草薙剣盗難事件 – Wikipedia
神宮の伝承では、草薙剣を盗み出した僧道行はこの門を通ったという。 草薙剣盗難事件(くさなぎのつるぎとうなんじけん)は、飛鳥時代の天智天皇7年(668年)に発生した、草薙剣(天叢雲剣)の盗難事件。 日本書紀[編集] 事件は、『日本書紀』(養老4年(720年)成立)において簡潔に記載されている。同書天智天皇7年(668年)是歳条によると、沙門(僧の意)の道行が草薙剣を盗み、新羅に向かって逃げた。しかしその途中で風雨に遭ったため、道行は迷って帰ってきたという。同書では道行の素性に関する記載はなく、その後の道行の経緯も記されていない。 草薙剣のその後については、事件18年後の朱鳥元年(686年)6月10日条に記述がある。同条によると、天武天皇が病を得た際に占いで草薙剣による祟りだと見なされたため、剣を尾張国の熱田社(現・愛知県名古屋市の熱田神宮)に送り置いたという。 是の歳に、沙門道行、草薙剣を盗み、新羅に逃げ向く。而して中路に風雨にあひて、芒迷(まと)ひて帰る。 — 『日本書紀』天智天皇7年是歳条[2] 戊寅に、天皇の病を占ふに、草薙剣に祟れり。即日(そのひ)に、尾張国の熱田社に送り置く。 — 『日本書紀』朱鳥元年6月戊寅条[3] 熱田太神宮縁記[編集] 熱田神宮側の文献として、鎌倉時代初期頃の成立[注 1]になる『尾張国熱田太神宮縁記』では、道行を新羅僧として説話を記載する(素性を新羅僧とするのは、一説に『日本書紀』の記述の拡大解釈[2])。 それによると、道行は熱田社から神剣(草薙剣)を盗み出し本国に渡ろうとしたが、伊勢国において神剣は独りでに抜け出して熱田社に還った。道行は再び盗んで摂津国より出港したが、海難のため難波に漂着した。道行は神剣を投げ捨て逃げようとしたが、神剣がどうにも身から離れず、ついに自首して死罪に処せられたという。 そして朱鳥元年(686年)6月10日、天武天皇の病が神剣の祟りと見なされ、神剣は熱田社に移されたとしている。 その他[編集] 大同2年(807年)の成立になる『古語拾遺』では、簡潔ながら、外賊が草薙剣を盗み逃げたが境を出ることが出来なかったと事件について触れている。 草薙神剣者。尤是天璽。自二日本武尊催旋之年一。留任二尾張熱田社一。外賊偸逃。不レ能レ出レ境。 — 『古語拾遺』[6] 草薙剣関連年表 年月日
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