イズミカワソラ – Wikipedia

イズミカワ ソラ(2月14日生[1])は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、トリマー、リトミック講師。広島県広島市出身。同志社大学文学部文化学科教育学専攻卒業[2]。フジパシフィックミュージック所属[1]。血液型A型。身長152cm。 同志社大学卒業後、日本火災海上保険勤務を経てデビュー。1998年からメジャーレーベルで、2000年よりインディーズで活動。他のミュージシャン・タレント・声優やテレビ番組への楽曲提供も多数。かつては「泉川そら」と表記(読みは同じ)。楽曲提供時などに「雲子」(くもこ)の名義を使用する事がある。 2004年、実妹・marhyと共にボーカルユニット・DAUGHTERを結成し活動。また、YOSK(坂上庸介)をボーカルとする6人組バンドSPIRAL SPIDERSのキーボーディストとして2006年に東芝EMI Virgin Musicよりメジャーデビュー(2008年に無期限活動休止・現在活動再開)。 2009年1月、犬猫の殺処分ゼロを目指す動物愛護会社ドッグライツを設立し代表取締役就任。フリーマガジン『Dog-Rights』を発行(2010年3月号で最終号)。2010年6月に同社退職。その後同2010年、dogrhythmを新たに立ち上げ、save the dogsの活動を続けている。 2009年アルバム「11」をリリースして以降、シンガーのみならず音楽プロデューサーとしても音楽活動の道を拓きはじめている[3]。 広島出身だが、京都(大学時代)、大阪(OL時代)に住んでいたこともあり、関西弁に広島弁が混ざった話し方をする。 動物愛護センターから引き出された保護犬を綺麗にしたいという想いからトリマーの資格を取り、トリマーとしてボランティアトリミングもしている。2014年からTOKYO ZEROキャンペーンの呼びかけ人に就任[4][5][6]。 2014年8月6日 ドッグトレーナーと結婚[7]、2015年1月18日男児を出産。 出産を機に出逢ったリトミックの講師資格を取り、2016年より、自由が丘リトミッククラスを開講。現在0歳から4歳までを教えている。 リトミック認定講師、日本リフレクソロジー協会認定 ドッグセラピスト、日本ペット美容学校協会認定 トリマー2級。

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猿田駅 – Wikipedia

猿田駅(さるだえき)は、千葉県銚子市猿田町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線の駅である。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “猿田駅” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年12月) 相対式ホーム2面2線を有する地上駅[1]。ホームは嵩上げされていない。2つのホームは駅舎倉橋方の跨線橋で結ばれている。 銚子駅管理の無人駅で[1]、駅舎内に乗車駅証明書発行機・簡易Suica改札機が設置されている。 のりば[編集] (出典:JR東日本:駅構内図) ホームは8両編成までに対応する[1]。 利用状況[編集] 2006年(平成18年)度の1日平均乗車人員は240人である。 千葉県統計年鑑によると、近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通り。 年度別1日平均乗車人員[統計 1][統計

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重根 (多項式) – Wikipedia

重根(じゅうこん、英称:multiple root)とは、1 変数多項式 f(x) の根のうち重複度が2以上のもののことをいう。 1 変数多項式 f(x) が、定数 a≠0 ,α1,α2, … αn を用いて f(x)=a(x−α1)(x−α2)⋯(x−αn){displaystyle f(x)=a(x-alpha _{1})(x-alpha _{2})cdots (x-alpha _{n})}

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お昼ですよ!ふれあいホール – Wikipedia

『お昼ですよ!ふれあいホール』(おひるですよ!ふれあいホール)は、NHK総合テレビとNHKワールド·プレミアムで毎週月~金曜日(平日)の昼12時20分から12時43分まで(大晦日は臨時放送で、正月の3日を除く。祝祭日は原則昼12時15分から12時38分までだったが5分延長して12時43分までの場合もあった)放送していた生放送番組。 番組概要[編集] 13年間続いた『ひるどき日本列島』の後継番組として2004年3月29日にスタートした。NHK全体の経費節減のため、コストのかかる地方からの生中継をやめ、東京でのスタジオ番組に切り替えたという。 NHK放送センター(東京·渋谷)の敷地内に同年3月22日開設されたオープンスタジオ·『みんなの広場ふれあいホール』からの公開方式。番組の内容はかつての昼のバラエティ番組であった『ひるのプレゼント』に似ており、毎週一つのテーマを基に様々な角度から暮らしに役立つ情報、またアーティストによるライヴパフォーマンスを展開。番組の体裁としては『公園通りで会いましょう』(2000.04~2004.03 衛星第2テレビ·衛星ハイビジョンテレビ)を継承した。6月、8月、12月31日には、ジャンボ宝くじの抽せん会放送のため、12時38分で放送を打ち切った。 台風情報等臨時ニュースで通常時間に生放送できなかった場合、収録したものを後日、深夜時間帯の『ミッドナイトチャンネル』の枠や週末の午後などに振替放送したが、放送枠の兼ね合いで1 – 3ヶ月後の放送となることも多かった。そのため、テーマによっては話題がチグハグになる弊害が生じていた。 なお、2005年3月25日から9月23日までの毎週金曜日は、『お昼ですよ!愛・地球博』として、愛知県長久手町の『愛・地球博会場』内から生放送を行った。(一部はグローバルスタジオからの放送)従って、期間中ふれあいホールからの生放送は月~木曜となった。なお、『お昼ですよ!愛・地球博』は、NHKワールドTVでも時差放送されていた。 初期は、毎日武内陶子(後に阿部渉・松本和也)アナウンサーがふれあいホールの玄関前からその日のラインナップを紹介して、オープニングを迎えていた。途中から、後半で日替わりのコーナーを設けていた(マジックショーの「きょうの現象」など)。 日替わりで出演するゲスト出演者は様々で、片岡鶴太郎など常連ゲストの他、中谷彰宏や千住明など普段、あまりテレビに出演しない人など様々だった。また、球団合併騒動で動向が注目されていた時期に岩隈久志がゲストで出演したこともあった。 番組開始当初は武内陶子アナウンサーが務めていたが、武内アナが産休に入った為、同年5月から『NHK歌謡コンサート』等の司会も担当している阿部渉アナウンサーに交代した。その後阿部アナが「NHK歌謡コンサート」の地方公演等の為に出演できない週が発生した為、『英語でしゃべらナイト』に出演している松本和也アナウンサーが新たに司会に加わり、2004年度は阿部アナウンサーを基本に代理は松本アナウンサーという体制になった。更に翌2005年度からは阿部·松本両アナウンサーに加え、高山哲哉アナウンサーも司会に加わり、この3人がほぼ同じ出演頻度でローテーションとなった。 なお2004年11月1日~5日に関西ウィークの一環で、NHK大阪放送局内のBKプラザスタジオから放送した際は、大阪放送局の藤井彩子アナウンサーが司会を務めた(但し事前の番宣スポットは松本アナが担当)。 「お昼ですよ!愛·地球博」は、NHK名古屋放送局の3人の女性アナウンサー(石井麻由子、森山春香、青木希久子 何れも当時は名古屋局在勤)がキャスターを、杉浦太陽(後半は実弟の杉浦太雄)がレポーターとして出演した。 レギュラー演奏[編集] Vanilla Mood(バニラムード)(月〜金曜日:2004年3月29日-2005年3月25日、月・水曜日:2005年3月28日-2005年9月30日) オルモット(火・木曜日:2005年3月29日-2005年9月30日) オープニングテーマ「素敵なフラメンコはいかが」は宮川泰が番組のために作曲したもの。途中からアレンジを入れて演奏時間を短くしていた。 ゴールデンウイークやお盆期間中は特別企画放送のため、レギュラー演奏を休止したり、録画放送にすることもあった。 Vanilla

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小城駅 – Wikipedia

小城駅(おぎえき)は、佐賀県小城市三日月町久米にある、九州旅客鉄道(JR九州)唐津線の駅である。 九州鉄道が1903年(明治36年)12月14日に唐津線を開通させた際に開設された[3]。駅舎は開通当初のものが残されており[1]、地元の小城市では2013年度から2年間の計画で約3億2000万円を費やして改修工事を行った。駅前ロータリーの拡大や公衆トイレの設置、駅舎の改装などを実施し、2015年(平成27年)5月30日に完成記念式典が行われた[4][5]。 2015年に小城駅駅舎は「22世紀に残す佐賀県遺産」に認定[6]、および国登録有形文化財に登録された[7]。 年表[編集] 単式ホーム2面2線を有する地上駅で、駅舎側からホーム・線路・ホーム・線路の順に並んでいる[3]。互いのホームは構内踏切で連絡している。開通当初からの木造瓦葺平屋建ての駅舎が残っている[3]。 JR九州サービスサポートが駅業務を行う業務委託駅で[2][1]、きっぷうりばが設置されている[11]。 駅舎の前には高田保馬と与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑が設置されている[4]。また駅舎には中林梧竹揮毫による駅名額が掲げられている[4]。 2014年(平成26年)にかつてあった駅舎がリニューアルされ、それと同時に駅前も整備された。 2018年9月には佐賀県による「ピアノの駅」プロジェクトにより駅構内にアップライトピアノが設置された[12][13] のりば[編集] 利用状況[編集] 2019年度の1日平均乗車人員は1,050人である[14]。 年度 1日平均乗車人員 2000年 961 2001年 942 2002年 956

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ラファール (航空機) – Wikipedia

ダッソー ラファール ラファールB ラファール(フランス語: Rafale)は、フランスのダッソーが開発した多用途戦闘機。当初フランスは、イギリス、西ドイツ、イタリア及びスペインとの欧州戦闘機の共同開発計画に参加していたが、軍事的・政治的理由により脱退し、単独で完成させた。機体名称は、フランス語で「疾風、突風」の意味。 開発の経緯[編集] 1980年代初め西ヨーロッパ諸国で戦闘機を共同開発する計画が上がり、当初フランスもその計画に参加していた。この戦闘機はフランス以外の国では陸上戦闘機として使用するため機体サイズに制約はなかったが、当時は欧州各国で唯一フランスだけがCTOL型航空母艦(クレマンソー級)を保有しており、その艦上機としての運用も考えていたフランスは機体サイズに関するフランス案の採用を求めていた。空軍はミラージュF1とミラージュ2000、海軍はシュペルエタンダールとLTV F-8Eの後継機をそれぞれ必要としており、前者を戦術作戦機(Avion de Combat Tactique:ACT)、後者を海軍作戦機(Avion de Combat Marine:ACM)と呼び、空軍海軍両軍はACTとACMを共同で試作用作戦機(Avion de Combat Experimenatal:ACX)として開発することにした。これが後のラファールの原型である。 フランスは自国産のエンジンに執着しており、スネクマ社[注 1]のM88エンジン(推力7,600kg[1])の採用を強く主張した[注 2]。しかし、より高性能な国際共同開発(事実上はイギリス政府と、再民営化前のRRが主導)のユーロジェット

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プラント (ガンダムシリーズ) – Wikipedia

プラント(P.L.A.N.T.)は、アニメ『機動戦士ガンダムSEED』及び『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に登場する架空のスペースコロニー群であり国家。本項目ではプラントの武装組織であるザフトの解説も記述する。 プラントとザフトの設定製作は森田繁が担当した。森田は書籍のインタビューに際し、ザフトが軍隊、プラントがコロニーの呼称であることはまず決まっていたため、コーディネイターの統治機構や行政システムの設定を製作したと語っている[1]。 また、神話で語られる楽園=ユートピアをイメージしてデザインがなされたとされている。デザインを担当したのはスタジオぬえの宮武一貴[2]。 プラント(P.L.A.N.T.:Productive Location Ally on Nexus Technology プロダクティブ・ロケーション・アレイ・オン・ネクサス・テクノロジー)は、コーディネイターが中心となって作り上げた砂時計型をした新世代コロニーの総称[3][注 1]。 太陽粒子・宇宙放射線遮断フィールド発生システムを外壁側に有する円錐状構造物の底面に位置する直径10キロ相当の面積が居住区であり[4]、その約7割は水源(湖)で占められている[5]。ゆえに充分な居住地帯を確保するにはサイズそのものを巨大化させる必要があり、その景観はL5宙域にあるにもかかわらず地球上から肉眼で視認できるほどのものとなった。支点となるセンターハブを軸に回転する事で擬似重力を生み出し、地球上とほとんど変わらない環境を確立[4]。側面は多層超弾性偏光&自己修復ガラスで覆われている[4][注 2]。気候は亜熱帯に設定[4]。太陽光発電の変換効率が80パーセント強[2]の世界ゆえに、中央のくびれ部分から伸びるシャフト先端の第1次ミラーで太陽光を受け、支点側の2次ミラーへ反射させて電力を蓄える事でエネルギーをまかなっている[5][注 3]。行程60キロにもおよぶ両端への移動は内部中心にそびえ立つシャフトタワー内のエレベーターが用いられ、その中間が宇宙港などの施設地帯となっている[4]。 作品世界の来歴[編集] その前身となるのはL5に建設された研究用コロニー「Zodiac」である。CE31年頃からジョージ・グレンや異星生物研究機関の手によってエヴィデンス01を始めとした研究を行っていた同施設は宇宙での一大研究施設として発展していき[7]、CE38年には大型化・複雑化したため、ジョージ・グレンによって同年に天秤型コロニーが考案・発表された[7]。そして大西洋連邦・ユーラシア連邦・東アジア共和国の三国がこれに出資し、理事国となった[7]。この天秤型コロニーはCE44年には地球に対する大規模生産基地としての意味から「プラント」と命名[7]。CE45年には既にその従事者はコーディネイターがほとんどを占め、「プラントに作れないものはない」と言われるほどの生産力となる。しかし、食料生産のみは厳重に禁じられており、100%が地球からの輸入品であった[7][注 4]。同年には反コーディネイター組織によるテロが発生するが、非武装かつ自治権のないプラント市民には対抗手段がなく、不満が高まった。また、理事国からは多大なエネルギー供給ノルマが課せられており、これが切っ掛けとなり、CE50年にはパトリック・ザラ、シーゲル・クラインらが中心となり政治結社「黄道同盟」が組織され、プラントの自治権と貿易自由権を求める運動が行われていく事となる[5]。 その後、地上での迫害から多くのコーディネイターが移住[5]。CE63年にはプラント内でブルーコスモスによるテロが発生し、エネルギー生産部門が破壊される[注 5]。理事国はこれに対しエネルギー輸出停止を認めなかったため、プラント内で深刻なエネルギー危機が発生[7]。これを受けてプラント内技術者の一斉サボタージュ[要曖昧さ回避]が行われるが、理事国はモビルアーマーによる威嚇を敢行。プラント内で独立論が高まる[10]。理事国からの独立を目指すグループは結束し、MSの軍事転用の研究を開始。CE65年にはその試作一号機のロールアウトに成功し、黄道同盟も活動を活発化させ「ZAFT」に名称変更。CE68年にはプラント内における評議会の多数派はザフトの議員が占めるようになり、自治獲得・貿易自主権獲得を表明する[10]。その一方で南アメリカ合衆国・大洋州連合と極秘裏に取引が行われ、両国からの食料生産とプラントからの工業製品輸出が取り決められる[10]。

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増田みのり – Wikipedia

この項目では、フリーアナウンサーについて説明しています。ピアニストについては「増田みのり (ピアニスト)」をご覧ください。 増田 みのり(ますだ みのり、本名:高須 美乃里)、1977年11月15日 – )はフリーアナウンサー。父はフジテレビ元アナウンサーで、解説委員の増田明男、夫は放送作家の高須光聖。 東京都出身。父がソウル支局記者をしていた関係で、小学生の時に韓国ソウルに住んでいたことがある。ソウルでは日本人学校に通っていたため韓国語を学ぶのは大学生になってからだったという。学習院女子高等科、2000年3月、学習院大学法学部政治学科卒業後の同年4月、ニッポン放送に入社。入社同期は、元ディレクター、エンターテインメント開発局エンターテイメント開発部、現・CP局コンテンツプロデュースルーム副部長の桐畑行良。 元ミス東京(第42代)、元着物の女王で、日本けん玉検定1級という経歴を持つ。学生時代は応援団のチアリーダー部に所属しており、チアリーダー歴は6年である。 大学時代の同級生に俳優の田村幸士が居り、田村とは番組で共演したことがある。 2010年10月10日に放送作家の高須光聖と結婚[1]。結婚については同じ番組をつとめる高田文夫にも数年前から相談していたという。 『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』2014年1月10日放送分にて、妊娠7か月・4月中旬に第1子を出産予定であることを発表し、同年4月10日に第1子(長女)を出産[2]した。2016年12月27日、自身のTwitterのツイートにて、2016年12月末付けでニッポン放送を退社する事を明かし[3]、同局を退職。 その後、フリーアナウンサーとしてイベント司会等の仕事をこなしていたが、長男を妊娠、出産していたため、2019年4月に『ラジオビバリー昼ズ』に出演するまで特段の仕事はしていなかった。 出演番組[編集] 過去[編集] ラジオ[編集] ニッポン放送時代[編集] フリー以後[編集] インターネット動画配信[編集]

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河口湖 – Wikipedia

この項目では、山梨県にある湖について説明しています。とんねるずのアルバムについては「河口湖 (アルバム)」をご覧ください。 河口湖(かわぐちこ)は、本州中部山梨県の富士山北麓に存在する富士五湖の1つに数えられる相模川水系の湖である。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。 富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖では2番目の大きさで、最大水深は精進湖とほぼ同じで14.6メートルを測る。 湖の中央に鵜ノ島(鸕鶿島)と呼ばれる小さな島がある。また、産屋ヶ崎は富士山展望の好適地とされている[3]ほか、乳ヶ崎、小曲岬(子轉ヶ崎)、長崎(胞ヶ崎)などの景勝も存在する[4][5]。 「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。 富士五湖の中で最も北に位置し、全体が山梨県南東部の南都留郡富士河口湖町に属する。 河口湖には天然の流出口がないため、古来より大雨により増水し、湖岸の村々に洪水被害を出した。一方で、山を挟んだ東の新倉村(現・富士吉田市新倉)では透水性の溶岩台地が広がり、水利に乏しく、湖水を新倉方面へ通水させる用水路の開発が求められていた。全長3.8キロメートルを測る日本最長の手掘りトンネルといわれる新倉掘抜は江戸時代初期から工事が行われ、曲折を経て江戸後期の1866年(慶応2年)に完成し[6]、新倉村は河口湖の水利権を保持している。1911年には新たなトンネルが掘削されたため、それ以降、新倉掘抜は利用されていない。 現在は、1917年に竣工した第二嘯川(東京電力の放水路)と1994年に完成した嘯治水トンネルを合わせた、嘯(うそぶき)川から構成される放水路により、宮川に放水される[7]。この宮川は桂川(=相模川)の支流であるため、河口湖は相模川水系に属している。 湖の東には三つ峠、北には御坂山地の黒岳、節刀ヶ岳が連なり、さらに西には十二ヶ岳がそびえる。南側は開け、そこに富士山が山容を見せ、湖面に写る逆さ富士は、湖の優れた景勝である。 河口湖から富士山を望む。 産屋ヶ崎からの富士山と桜 富士五湖のうち、もっとも早く観光開発された。平成になってから温泉が掘削され、富士河口湖温泉郷として東岸に温泉街が形成されている。湖畔にはオルゴールの森、天上山へのアクセスとなる〜河口湖〜 富士山パノラマロープウェイ、河口湖遊覧船、河口湖猿まわし劇場、キャンプ場、そして多くのホテル・旅館、飲食店、物産店などがある。また、山梨県内で唯一の漕艇場があり、河口湖漕艇場として北岸側に艇庫・桟橋が整備されている。シーズン中は1000m×6コースが岸に対して斜めに張られており、斜めであるため、競技観戦の際には注意を要する。元々は河口湖大橋の北側付近に艇庫・桟橋があったものの、1986年の山梨国体の開催が決まった際、その大会規模に対して当時の設備が小さすぎることから、現在の場所に移転・拡大された。 ブラックバスが遊漁の対象として公的に認められている湖であり、マス類の放流もバスと共に盛んであるため、周囲には貸しボート店や釣具屋が多く、さらにはコンビニにまで釣り具が置いてある。全国的にもバスフィッシングのメッカとして知られており、連日多くの釣り人が訪れる。ただし、湖底にソフトルアーが大量に残されていることが問題視され、2007年に、芦ノ湖に次いでソフトルアー使用禁止の湖となった。 2013年6月22日には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つとして世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録された。 2013年、水位が低下した状態が半年以上継続[8]。通常は水上に浮いて見えるお堂の「六角堂」まで歩いていける状態となり話題を呼んだ[9]。2015年にもまた水位が低下し、六角堂が再び陸続きとなった[10]。 観光施設一覧[編集] 864年 –

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文殊 (列車) – Wikipedia

文殊(もんじゅ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)と北近畿タンゴ鉄道 (KTR) が新大阪駅 – 天橋立駅間をJR西日本東海道本線・福知山線(JR宝塚線)・KTR宮福線・宮津線経由で、2011年3月まで運行していた特別急行列車である。 本項では、日本国有鉄道(国鉄)とJR西日本が大阪と天橋立を結んでいた優等列車の沿革についても記述する。 北近畿ビッグXネットワークを形成する列車の一つで、新大阪駅から兵庫県丹波地区・京都府北部の福知山市北近畿地区・宮津市の丹後地区を結んでいた。イメージカラーは緑色(■)で、走行路線の一つであるKTR宮福線沿線に聳え立つ大江山の鬼伝説に登場する「青鬼」にちなんでいた。 1996年3月16日に山陰本線園部駅 – 福知山駅間およびKTR線福知山駅 – 宮津駅 – 天橋立駅間が電化されたことにより運転を開始した。だが、1998年から2003年にかけて綾部宮津道路が開通し、舞鶴若狭自動車道・綾部宮津道路経由で大阪と丹後地区の間が高速道路で結ばれるようになってからは利用客が減少した。その後、2011年3月12日のダイヤ改正において、同じく大阪から丹後地区を結んでいた「タンゴエクスプローラー」とともに廃止された[1]。 列車名の由来[編集] 列車名は、日本三文殊の一つで京都府宮津市天橋立にある天橋山智恩寺の本堂「文殊堂」および同所に安置されている本尊の「文殊菩薩」が由来となっている。 運行概況[編集] 運転開始当初は、新大阪駅 – 天橋立駅間で下り1本と上り2本が運転され、1999年には1往復に削減された。基本的に福知山線内では「北近畿」のダイヤに準じており、上下ともに午後に運転されていた。また、福知山駅の同一ホームの向かい側にて特急「きのさき」に接続していた。

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