内藤信光 – Wikipedia

内藤 信光(ないとう のぶみつ、慶長16年(1611年) – 延宝3年5月23日(1675年7月15日))は、江戸時代前期の寄合旗本(5000石)。通称は主税、官位は従五位下伊勢守。旗本(一時大名だった)内藤信広の長男。母は三宅康信の娘。正室は本多利長の娘。子に弌信、信清、信之、ほか。

元和7年(1621年)徳川秀忠に初御目見する。寛永9年12月6日(1633年)従五位下・伊勢守に叙任された。慶安3年(1650年)8月7日、父・信広の遺領を継ぎ、弟・信雪、信直、信通にそれぞれ1000を分与、自らは5000石を知行して交代寄合となった。

延宝3年(1675年)5月23日、江戸において死去した。享年65。法名は善閑。葬地は父・信広に同じとされている(「寛政譜」新訂13巻206頁)。家督は三男の信清が継いだ。

「寛政譜」は次の4男3女をしるす。括弧内は『村上郷土史』所載系図による(75頁)。

  • 牧野長門守成房の妻
  • 「某」主税:早世
  • 内藤弌信
  • 吉十郎 信清:嗣子
  • 女子(タケ、天和3年7月早世)
  • 女子(ルリ、天和2年3月早世)
  • 兵庫信之
  • 『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年 
  • 『村上郷土史』村上本町教育会、1931年