この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “グループB” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年10月) グループBは、自動車レースに使用する競技車両のカテゴリーの1つ。1981年、国際自動車連盟(FIA)の下部組織だった国際自動車スポーツ連盟(FISA)によって、それまで1から8の数字によって形成されていたレギュレーション(国際自動車競技規則・付則J項)を改定し、AからF・N・Tという8つのアルファベットへ簡略化されたものの1つである。 モンテカルロ・ラリー1986年 1986年ラリー・サンレモでプジョー205T16E2をドライブするユハ・カンクネン 世界ラリー選手権(WRC)の最上位カテゴリーとして定められたグループBは、分類上「グランドツーリングカー」に定義付けられたマシンで、1982年の試験導入期間を経て翌年の1983年から全面施行される。移行期間中は新旧の両レギュレーショングループが入り混じって選手権を競った。排気量によって”B9(1,300cc未満)”、”B10(1,300cc以上1,600cc未満)”、”B11(1,600cc以上2,000cc未満)”、“B12(2,000cc以上)”の区分けがあり、過給機付きエンジンは排気量に係数の1.4を掛けた数値で振り分けられる。 ホモロゲーション(公認)の対象は「連続する12ヶ月間に200台製造された車両」で、従来トップカテゴリーであったグループ4(英語版)規定の「連続する24か月間に400台生産された車両」から大幅に負担が軽減された。競技専用の自動車であるグループC車両とは異なり、市販車として公認されたベース車両へ大幅な改造を施すことも可能となる。 これらの規定変更は1970年代の石油危機によって離れていった各マニュファクチャラーへ参戦を促す措置であったが、FISAの当初の目論見通り、各マニュファクチャラーがこぞってWRCに参戦することとなる。後に「ワークスカーとして選手権に参戦する車両となるエボリューションモデル20台をラリーカーとして認める」という文章が追加され、この規定を最大限広くとらえた各社ワークス、特にトップクラスの技術を持つワークスの手により、グループBでの選手権は実質限りなくプロトタイプスポーツカーに近い車両で行なわれることとなった。 また、サーキットレースである世界耐久選手権(WEC)にも参戦が可能であったが、グループC車両との混走となる為、目立った成績は残せていない。 1982年[編集] 前述のように、前身カテゴリーのグループ4との混走でシーズンが開催された。台風の目となったのは、WRCの世界にヨーロッパメーカーとしては初めてターボ過給エンジンと四輪駆動(4WD)を持ち込んだアウディ・クワトロ。ジープのような不整地用の特殊車両というイメージしかなかった当時、乗用タイプの4WD車で参戦したクワトロはグラベル(未舗装路)・アイスバーンで圧倒的な強さを見せつけ、ハンヌ・ミッコラ、ミシェル・ムートン、スティグ・ブロンクビストのドライブで快進撃を見せた。 特にムートンはこの年、ポルトガルラリー、アクロポリスラリー、ブラジルラリーで3勝を挙げ、ドライバーズタイトルにもあと1歩という好成績を挙げた。なお、モータースポーツの世界選手権で女性ドライバーとして優勝経験があるのは、現在においても彼女だけである。 この混沌とした移行期間を制したのは、マニュファクチャラーは4WD革命を引き起こしたアウディだったが、ドライバーズタイトルはグループ4車両の「オペル・アスコナ400」を駆るヴァルター・ロールが獲得し、混走の年を象徴する結果となった。一方、ランチアはいち早くグループB規定に合致させたランチア・ラリー037を投入した。
Continue reading
Recent Comments