牛の角突き – Wikipedia

牛の角突き(うしのつのつき)とは、新潟県長岡市山古志地域(旧:山古志村)・小千谷市などの「二十村郷」周辺で江戸時代より行われている闘牛の一種である。

国の重要無形民俗文化財に指定されている。2004年の新潟県中越地震で開催が中断されたが、2005年に長岡市では長岡市東山ファミリーランドを、小千谷市では小千谷市白山総合運動場を仮設闘牛場として再開した。

二十村郷の牛の角突きの習俗は数百年以上、一説には千年以上続いているともいわれる[4]。江戸時代後期に曲亭馬琴が著した大長編読本『南総里見八犬伝』に二十村郷の牛の角突きが登場することから、この頃には既に始まっていたのは確かである。起源として、岩手県南部地方から鉄を売りにきた商人が運搬役の牛も売って帰ったため、その牛を荷役として使うかたわら闘牛も始めたという説、大陸から越後国に移住した人々が牛を持ち込み闘牛も伝えたという説の2説が伝わっているが定かではない。

明治から大正期には、二十村郷で約130軒ほどの家が角突き用の牛を1~2頭飼育し盛んに行われていた。1978年5月22日、古くから行なわれている習俗がよく保たれ伝承されているとして国の重要無形民俗文化財に指定。平成期に入っても2004年の新潟県中越地震前までは旧山古志村で約100頭、小千谷市で約40頭の角突き用の牛が飼育されていた。

闘牛場内への立ち入りは長らく女人禁制であったが、2018年5月に取組後の牛の「引き回し」のため立ち入りが認められた。闘牛ファンの女性が牛持ち(牛のオーナー)になり、「女子部」を作って普及に努めたことが考慮されたという[5][6]

新潟県中越地震の影響と復興[編集]

勢子は鼻綱を放してウシを組み合わせる。他地域の闘牛と異なり、基本的に明確な勝敗が付く前、もしくは膠着状況になった時点で引き離すことが原則。これは神事であること、またウシの闘争心を維持するために行われるという。

小千谷闘牛場

山古志闘牛場(長岡市山古志南平)、小千谷闘牛場(小千谷市小栗山)の会場で5月~11月頃まで、それぞれ毎月1回程度開催される。

ギャラリー[編集]

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外部リンク[編集]