Month: March 2022

情報 (教科) – Wikipedia

情報(じょうほう、Information[1], Informatics[2])は、日本の後期中等教育の課程(高等学校の課程、中等教育学校の後期課程、特別支援学校の高等部)における教科の一つである。 一般的な意味である、「知らせ」を表す語である「情報」と混同されやすいことなどもあり[3]、情報科(じょうほうか)、教科「情報」(きょうか じょうほう)などと呼ぶことも多い。英訳については情報処理学会から「Informatics」を使うよう提言が出ている。教科「情報」には、普通教育に関する各教科(普通教科)としてのものと、専門教育に関する各教科(専門教科)としてのものの2つがある。教科「情報」は高度情報化社会に対応した人材を育成するために、情報の収集・分析から発信までを総合的に学ぶ教科であり、単にパソコン操作を教える教科ではない。総合的な学習の時間と同様に、他教科との連携も重要となる、複合的な教科である。 近年は形骸化が指摘され、専門知識を持たない数学の教諭が指導を行ったり[4]、簡単な表計算をもって合格としたり、センター試験の自習に振替えたりする学校も一部に存在している。[5] 平成20年1月の中央教育審議会答申において、「高等学校の各学科に共通する教科情報科(教科「情報」)」が改善されることになった。現行の「情報A」、「情報B」、「情報C」の3科目構成を見直し、平成25年度から「社会と情報」、「情報の科学」の2科目が設けられる。改善の具体的事項として、答申の中で次のように示された。高校生の実態は多様化している一方で、情報及び情報機器等の活用が社会生活に必要不可欠な基盤として発展する中、これらを活用して高い付加価値を創造することができる人材の育成が求められている。これらを踏まえ、情報活用の実践力の確実な定着や情報に関する倫理的態度と安全に配慮する態度や規範意識の育成を特に重視する。その上で、生徒の能力や適性、興味・関心、進路希望等の実態に応じて、情報や情報技術に関する科学的あるいは社会的な見方や考え方について、より広く、深く学ぶことを可能とするよう科目構成を見直す[6]。 「普通教育に関する各教科」における「情報」[編集] 目標[編集] 情報及び情報技術を活用するための知識と技能を習得させ、情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに、社会の中で情報及び情報技術が果たしている役割や影響を理解させ、社会の情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる[6]。 内容[編集] 普通教科「情報」の内容を大きく分けると、「情報活用の実践力」「情報の科学的な理解」「情報社会に参画する態度」の3つの要素がある。これらの要素は、単独で存在するのではなく、相互に関係し合っている。 この教科においては、「理系」「文系」という分類は行われないが、科目によって後述のとおり内容に若干の傾向が見られる。なお、専門学科においては、学習指導要領第1章第3款の2により、専門教科・科目の情報科目(ex.情報技術基礎、農業情報処理,生活産業情報、海洋情報技術)で情報科科目の履修と同様の成果が期待できる場合、情報科の必履修科目を代替できることになっている。 現行科目[編集] 普通教科の科目「社会と情報」 情報が現代社会に及ぼす影響を理解させるとともに、情報機器等を効果的に活用したコミュニケーション能力や情報の創造力・発信力等を養うなど、情報化の進む社会に積極的に参画することができる能力・態度を育てることに重点を置く[6]。 普通教科の科目「情報の科学」 現代社会の基盤を構成している情報にかかわる知識や技術を科学的な見方・考え方で理解し、習得させるとともに、情報機器等を活用して情報に関する科学的思考力・判断力等を養うなど、社会の情報化の進展に主体的に寄与することができる能力・態度を育てることに重点を置く。[6] また、上記の科目を通じて、情報通信ネットワークやメディアの特性・役割を十分に理解し、安全に配慮し、情報を適切に活用できる能力をはぐくむ指導をより一層重視する。また、情報通信ネットワークや様々なメディアを活用して、新たな情報を創り出したり、分かりやすく情報を表現したり、正しく伝達したりする活動を通して、合理的判断力や創造的思考力、問題を発見・解決することができる能力をはぐくむ指導をより一層重視する[6]。2022年より実施の新学習指導要領では上記の現行科目が必履修科目の「情報I」と選択科目「情報II」に改編される予定。 平成24年度入学者までの科目[編集] 普通教科の科目「情報A」

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肥前麓駅 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “肥前麓駅” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年1月) 肥前麓駅(ひぜんふもとえき)は、佐賀県鳥栖市平田町にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。駅番号はJH03。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。ホームは817系電車に対応して2両分がかさ上げされており、段差なしで乗降できる。自動券売機、ICカード専用チャージ機が設置されている。 のりば[編集] 利用状況[編集] 2019年(令和元年)度の1日平均乗車人員は547人であり、JR九州の駅としては第236位である[6]。 近年の1日平均乗車人員は下表のとおりである。 年度別1日平均乗車人員 年度 1日平均乗車人員 2011年(平成23年)[7] 598

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西田善夫 – Wikipedia

にしだ よしお 西田 善夫 プロフィール 出身地 日本 東京府(現・東京都) 生年月日 (1936-02-08) 1936年2月8日 没年月日 (2016-02-27) 2016年2月27日(80歳没) 最終学歴 早稲田大学法学部卒業 活動期間 1958年 – 2016年

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ホーコン7世 – Wikipedia

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砂川重信 – Wikipedia

砂川 重信(すなかわ しげのぶ、1925年3月15日[1] – 1998年8月7日)は、日本の理論物理学者。大阪大学名誉教授。 目次 1 来歴 2 翻訳書 3 著書 4 脚注 1925年、東京に生まれる。大阪大学理学部物理学科卒業。1960年大阪大学助教授、1963年東北大学教授を経て、1966年大阪大学教授になる。その後、1988年に退官して同大学名誉教授になる。 数多くの物理学の書物を著した。 1998年8月7日、腎不全のため逝去。享年73。 ファインマン物理学V『量子力学』(岩波書店) ファインマンさん、力学を語る(岩波書店) 散乱の量子論(岩波書店)

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モン族 (Mon) – Wikipedia

モン族( – ぞく、Mon)は、東南アジアに住む民族の一つ。古くから東南アジアに居住しており、ハリプンチャイ王国を建てたことで有名で、後にミャンマーのペグーに移り住んだのでペグー人(Peguan)とも言う。ラーマン(Raman)あるいはタライン(Talaing; ビルマ語: တလိုင်း IPA: [təlã́ĩ]、ただしこれは旧称で現代ではムン မွန် [mʊ̃̀][2])と呼ばれることもある。その後一部が中国の雲南から南下してきたタイ族やビルマ族などと混血した。 浅黒い肌にギョロリとした目、巻き舌音の多い言語、高床式住居、焼畑耕作、水牛供犠、精霊信仰、魔術、壺酒、精緻な竹藤細工、狩猟・罠、腰機織り、ゴング音楽などが、ラオス国内のモン・クメール民族に共通している[3]。 なお、中国国内に多く住むミャオ族(苗族)の支系で、自称をモン (Hmong) という民族集団とは全く別であり、混同に注意。こちらについてはモン族 (Hmong)またはミャオ族を参照のこと。 紀元前1500年頃には東南アジアに到達していたとされ、現在の東南アジアの少数民族としてはネグリト(オーストラロイド)のマニ族(英語版)などに次いで古い民族と考えられている。 スワンナプーム王国[ソースを編集] 伝説では、紀元前300年ごろ現在のスパンブリー県周辺にスワンナプーム王国(英語版)を建国し、紀元前200年ごろにはアショーカ王の遣わした伝道者により上座部仏教を信仰し始めた。しかし、モン族はそれ以前から海路による仏教との接触があったと主張する。4世紀ごろワット・プラパトムチェーディーが建設された。6世紀ごろから11世紀ごろまで東南アジアで繁栄したスワンナプーム王国は、モン文字などを開発し先住の文明民族として東南アジアに君臨した。古代モン語を話していたことが確実視されているが、モン族であったかどうかは確定していない。 ドヴァーラヴァティー王国[ソースを編集] ドヴァーラヴァティー王国(6世紀 –

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都立家政駅 – Wikipedia

ホーム(2011年3月) 都立家政駅(とりつかせいえき)は、東京都中野区鷺宮一丁目にある西武鉄道新宿線の駅である。駅番号はSS08。 駅名の由来[編集] 駅名は、「東京府立中野高等家政女学校」(旧・東京都立中野高等家政女学校、現・東京都立鷺宮高等学校)に由来する。昭和13年(1938年)に学校が中野区桃園町から現在地に移転するのに先立って、移転先が辺鄙な場所であった家政女学校の父母と学校長が西武鉄道に新駅の開設を陳情し、地主による土地提供を得て、西武鉄道が「府立家政駅」(現・都立家政駅)を新設した。そのため、鷺ノ宮駅の東側500メートルに位置し、鷺ノ宮駅ホームと都立家政駅ホーム間はわずか300メートルしか離れていない。西武鉄道の10両編成の電車が200メートルである事からも駅間が比較的近い事がわかる。両駅ホームから隣駅が見える距離に位置する。家政女学校は鷺宮高等学校へ校名改称されたが、旧来からの「家政」が入る駅名を採用している。これは駅前に「家政銀座商店街」が誕生していたことや、地元の愛着もあり、西武鉄道から「東鷺ノ宮駅」へ改称打診を受けるも、地元が旧来からの駅名を選んだためである[3]。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅。ホーム有効長は8両編成分である。各ホーム間は地下道により連絡している。この地下道は1984年春に完成し、使用開始までは構内踏切により連絡していた。現在ある駅横の踏み切りは夕方から夜にかけての時間帯にかけ長時間開かない、いわゆる開かずの踏切りの一つである。 駅舎は下りホーム側の南口と上りホーム側の北口の2か所で、北口改札は係員を配置していない。北口の開設時間は6:45から21:30までであったが、2010年3月30日より初電から上り終電まで利用可能となった。トイレは南口駅舎改札内に設置されており、多機能トイレも併設されている。 鷺ノ宮側のホームがカーブしているため、近年では上り西武新宿行ホームに注意喚起放送が導入されている。 のりば[編集] 利用状況[編集] 2020年(令和2年)度の1日平均乗降人員は14,360人であり、西武鉄道全92駅中55位[4]。 近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下記の通りである。 年度別1日平均乗降・乗車人員[5][6] 年度 1日平均乗降人員[7] 1日平均乗車人員[8] 出典 1990年(平成02年) 8,910 [* 1]

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キング&バルーン – Wikipedia

『キング&バルーン』(KING & BALLOON) は、1980年10月に日本のナムコから稼働されたアーケードゲーム用固定画面シューティングゲーム。北米ではGamePlanから稼働された。 基本的な内容は同社の『ギャラクシアン』(1979年)を基準としており、自機である砲台を操作して王様を連れ去りにくる気球を打ち落とす事を目的としている。『ギャラクシアン』とは異なり、敵を打ち落とす事だけが目的ではなく王様が連れ去られるとミスとなる事を特徴としている。また、音声合成が初めて使用されたアーケードゲームである[1]。 開発はナムコ開発部が行い、企画は『ギャラクシアン』を手掛けた澤野和則と『キューティーQ』(1979年)を手掛けた横山茂が担当、プログラムは『ボムビー』(1979年)を手掛けた深谷正一が担当、音楽は後に『ギャラガ』(1981年)を手掛けた大野木宣幸が担当している。[要出典] 1984年にMSXに移植された他、2006年には携帯電話ゲームとして配信された。アーケード版はPlayStation用ソフト『ナムコミュージアム アンコール』(1997年)に収録された他、PlayStation Portable用ソフト『ナムコミュージアム VOL.2』(2006年)、Xbox 360用ソフト『ナムコミュージアム バーチャルアーケード』(2008年)に収録された。 ゲーム内容[編集] プレイヤーは城の上に設置された砲台を2方向レバーとショットボタンで操作し、上空で待機しているバルーンを破壊していく。画面内のバルーンを全て撃ち落とせばラウンドクリアとなる。 バルーンは一面につき42機出現し、上空で待機して数機ずつ攻撃をしてくる。バルーンから発射される弾に当たるか、バルーンの体当たりで砲台は破壊されるが、破壊された砲台は数秒後復活する。砲台が破壊されることによるペナルティはこの無防備時間以外に存在しない。 『ギャラクシアン』との最大の違いはタイトルにもなっている「キング」の存在である。キングは自機である砲台の下をランダムで左右に動いている。バルーンを砲台の下に逃した場合、『ギャラクシアン』とは異なりキングの移動している段にしばらく留まる。その時にキングがバルーンに触れると、バルーンはキングを連れて飛んでいく。そのバルーンを打ち落とすことができればキングは傘をパラシュート代わりにして降りてくる(降りてくるキングにバルーンが接触しても連れ去られる)[要出典]。キングが画面外に連れ去られてしまうと1ミス。キングをすべて失うとゲームオーバー。得点が一定値に達するとキングが1UPする。 当時としては珍しく、自機は何度やられても構わないが、その代わりに勝手に移動するキングを守るという風変わりなゲームである。その為であろうが、バルーンの軌道はギャラクシアン等に比べてトリッキーな軌道を取ることが多い。 バルーンの色は4色あり、色によって撃ち落としたときの得点が異なる。また、攻撃時のバルーンを倒すと編隊時の2倍、キングを連れているバルーンを倒すと編隊時の3倍の得点が得られる。さらに、色の違う3つのバルーンが合体し巨大なバルーンとなることがあり、これに弾を3発当てて撃ち落とせば高得点が得られる。 当時では珍しい音声合成を搭載したゲームとしても知られている。しゃべる言葉はすべてキングの台詞で、連れ去られている途中の「HELP! HELP!」、キングを救出したときの「THANK

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ドル箱 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ドル箱” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年11月) ドル箱(ドルばこ)とは、俗語のひとつ。 明治時代初期に出来た言葉で、千両箱をもじったものが由来である。 当初は金庫の事をさしていたが、まもなく横浜の貿易商の間で使われていた「ドル旦」(ドルを稼ぐ金持ちの旦那)と結びつき、金持ちや金の引き出せそうな客を「ドル箱」「ドル旦」と呼ぶようになった。ドル旦は死語になったが、ドル箱は生き残り、のちに「金になる」という部分だけがクローズアップされ、儲けの良い俳優などが「ドル箱」と呼ばれるようになった(例:あいつは○○社のドル箱だね)。また、多くの利益をもたらす商品やコンテンツなども「ドル箱」と呼ばれる場合も少なくない。 ドル箱路線[編集] 鉄道や航空機、バスなどの交通機関において、需要が多く、さらに収益性の高い区間をドル箱路線(ドルばころせん)と呼ぶことがある。ドル箱路線の存在は、その運行事業者の経営安定化に大きく寄与することが多い。例えば、東海道新幹線の収益は、運行事業者であるJR東海の全収益の8割以上を占めている。在来線で言えば、JR東日本の山手線など。中小私鉄ではOsaka Metroの御堂筋線が挙げられる。 また、特急列車を始めとした速達列車の需要が高いため、特急券などによる運賃収入が高くなる路線もある。智頭急行智頭線などが挙げられる。 なお、需要が多い区間においてはシェアの奪い合いが起こることがあり、運賃の値下げやサービスアップなどでシェア獲得を試みた結果、収益性が悪化することがあるため、必ずしも需要の多い区間がドル箱路線であるとは限らない。例えば、東京国際空港と新千歳空港を結ぶ航空路線は1年あたり900万人から1000万人もの利用客が存在する[1]。しかし、この路線は日本航空、全日空、スカイマーク、AIRDOの4社が競合している。 パチンコ[編集] 積み上げられた玉箱 パチンコ・パチスロで、勝ち取った玉やメダルを入れておく器のことも、ドル箱と呼ぶ。これは本来、パチンコで一番大きな箱が、左官で壁土を練る「トロ箱」に似ているため、トロ箱と呼ばれていたが、それが誤って覚えられ、ドル箱となった。

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国道408号 – Wikipedia

国道408号(こくどう408ごう)は、千葉県成田市から栃木県塩谷郡高根沢町に至る一般国道である。 栃木県宇都宮市上籠谷町(2019年3月) 千葉県成田市や茨城県つくば市の国際都市を結ぶ重要な路線となっている。1982年に、研究学園都市として整備されることに決定した筑波地区と、国際空港を持つ成田市とを結ぶ路線として国道指定を受けた。 1993年に栃木県宇都宮市方面(終点は塩谷郡高根沢町に入る)への延伸が決定した。真岡市内では、全国的に珍しい時速80 km/h制限のバイパスが開通している。沿線では数字を取って「ヨンマルハチ」などと呼ばれている。 2012年3月14日の正午より真岡市下籠谷の井頭公園南陸橋南 – 同市亀山の亀山和田橋南までのバイパス区間を最高速度規制を時速80 km/hに引き上げた(2012年3月5日栃木県警察交通規制課が発表)。時速80 km/h規制の一般道路(道路交通法上の高速道路以外の道路)は国道119号宇都宮北道路に続き全国2例目で、同所と同様に荒天時は道路状況によって、規制速度を変更できるようになっている。 路線データ[編集] 一般国道の路線を指定する政令[2][注釈 1]に基づく起終点および経過地は次のとおり。 国道の分断[編集] 国道408号は元来、成田市からつくば市までであったが、1993年に宇都宮市近郊の高根沢町まで延伸された。その際、栃木県道真岡高根沢線(18 km)は国道に昇格したものの、つくば市から下館市(現・筑西市)を結ぶ茨城県道下館筑波線(現・茨城県道14号筑西つくば線)」(25 km)は国道に昇格せず、そのため地図上では国道408号はつくば市から下館市の間は分断された形となった。 1994年3月、朝日新聞は当時の建設大臣中村喜四郎の反対により、下館筑波線は国道に昇格しなかったとの建設省関係者の証言を報じた[5]。 当時の下館筑波線と真岡高根沢線の沿道にある7自治体および2県は、1987年より国道昇格に向けた期成同盟を立ち上げ、県も強く建設省に陳情した。しかし1990年に、自民党道路調査会の会長代理に中村喜四郎が就任して以降、雰囲気が変化した。1992年3月の国道昇格の道路審議会が開催された当時、衆議院の旧茨城3区には中村以外に2人の自民党議員がいたが、下館筑波線の沿道にあった下館市と明野町(いずれも現・筑西市)のいずれの市長・町長も中村派ではなかった。 自民党道路審議会後の10月に行われた下館市長の選挙では中村派が当選したものの、明野町は中村の地盤ではなく、1993年7月の総選挙では、この2人が合わせて9千票以上を得票したのに対し、中村は219票しか得票できなかった。建設省道路局の関係者は、下館筑波線は常識的には当然、国道に昇格すべき道路であったが、中村の反対により見送らざるを得なかったと証言。地元では沿線の首長が自派でないために「国道昇格を阻止されたと受け止めている」という。 国道408号は、1985年(昭和60年)に開催された国際科学技術博覧会(つくば万博)に備えて、成田市に所在する新東京国際空港(現:成田空港)から茨城県筑波郡谷田部町(現:つくば市)の万博会場を結ぶ交通アクセス路を整備することを主目的として、1982年(昭和57年)4月に在来の主要地方道から一般国道に指定された路線である。成田 – つくば間を結ぶ国道408号が誕生した数年後、茨城県道下館筑波線と、栃木県道真岡高根沢線の国道昇格運動が始まり、両県道を国道408号へ組み込んで、成田からつくばを経由して栃木県宇都宮市近郊をつなぐ路線へ延伸する計画が立てられていた。当時の県や建設省も地元市町村自治体の国道昇格運動を後押しし、両県道の国道昇格は確実視されていた。 最後に一般国道路線の追加指定が行われる年となった1993年(平成5年)の7月に、つくば市 –

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