無相流 – Wikipedia
無相流には二つの系統がある。 嶌家の家伝である無相流逆捕。 中條が無相流逆捕と他数流を学んで創始した無相流新柔術。 ここでは、主に無相流新柔術について記す。 無相流新柔術(むそうりゅうしんじゅうじゅつ)とは、讃岐国(現在の香川県)で伝承されていた柔術の流派の一つ。 無相流新柔術は、中條勝次郎澄友(1799-1846)が開いた流派である。 中條勝次郎澄友は十四歳の時に丸亀雑賀の嶋友三(嶋左之右衛門家貞)の門人となり無相流逆捕組討、天下無双流捕縄術、関口流居合を学び十七歳で全ての免許を受けた。また、嶋友三の門人図子與之助に師事し関口眼流柔術(岸流)、浅山流、萩野流火術、静流長刀を学んだ。他に赤羽流所秘大国火、村上流鉄鎖、無天流剣術も学んだ。 また、中條は直心影流剣術の免許皆伝を持っている。 文政七年(1824年)ごろに自宅に中條塾を新設し、昼間は武士に夜間は百姓町人に文武を教えた。その後、嶋から学んだ無相流逆捕に工夫を加え新たに無相全流を創始し、天保三年(1832年)に流派名を無相流新柔術に改めた。 天保十一年(1840年)、中條勝次郎が41歳の頃に、文武の門人が増加して210余名を数え道場は全盛をきわめた。県内や他国からの武者修行者が相次いだとされる。 中条塾の名が広まったのは二代目の中條秀次郎の時代である。高松藩の留守居寄合となり領主から目を掛けられていた。明治24年に西庄村(坂出市西庄町)の白峰宮の神職となった。中條秀次郎の門下には千田伝四郎、綾野孫七、福井利吉、宮武浪次郎の「中條四天王」と呼ばれる免許皆伝の高弟がおり、自宅に道場を設けて多くの師弟を育成していた。 空手家の小西康裕も松井三蔵から無相流を学んでいる。 無双流と書かれることもある。 無相流逆捕[編集] 嶌理休翁が創始した。 丸亀城で武術指南役をしていた嶌家の家伝武術である。逆捕組討とも書かれる。 嶌家は嶌左近の末裔と伝わる。 無相流の乱捕における寝技は有名であり、これらの技術は松井三蔵、宮武浪次郎、宮武京一らによって県下に普及し当時の讃岐は寝技王国讃岐と言われていた。また、講道館の嘉納治五郎は松井三蔵と山下義韶の乱捕を見て、寝技の重要性に気付き松井に講道館に入門して寝技を指導してほしいと懇願したという。しかし、松井は投技主体の講道館の乱捕が無相流の逆 絞 主体の乱捕に比べ甘く感じ入門しなかったとされる。松井三蔵の門下からは講道館柔道10段の岡野好太郎が出ている。 後に講道館柔道が全国に広り講道館に迎合する形で吸収されたので、当時の香川県の柔道家は無相流出身者が多かった。
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