光華号 – Wikipedia
光華号(こうかごう)は中華民国(台湾)台湾鉄路管理局が西部幹線で運行していた優等列車。自強号登場前の最速列車であった。なお、廃止されたが、台東線で活躍中のDR2700型が光華号名義で運行する場合がある。しかし、LED表示機器に「光華号」という車種表示は無いので「観光号」で代用する。 東部幹線(台東線)の同名の列車は台東線光華号を参照。 1966年10月31日、世界銀行の借款により新規購入したDR2700型気動車で台北-高雄間の半直達特快車として光華号を運行開始した。海線経由の列車は途中停車駅が台南駅のみで4時間45分で走った(高雄7時20分発車,台南7時57分発車,台北12時05分到着)。これは電化前の台湾で地上最速の乗り物であった。初期のある列車では台鉄弁当が提供されていた(1970年の経済日報による。2002列車は食事付きであり、18元の値段が乗車券の金額に含まれていた。)最初の乗車券の価格は台北から台中が71元、台北から台南が138元5角、台北から高雄が158元、台南から高雄が20元であった。 命名[編集] 台鉄はDR2700型投入に際して愛称を一般公募した。1966年3月1日から15日までに集まった総応募数1,915票には鉄道のない金門県や澎湖県からの応募も少なくなかった[1](p28)。 872もの命名案から一次選考で30案が選出され、二次選考で10案に絞り込まれた。最終的に第6代台鉄局長だった林則彬が「光華号」を選定し、8月10日にテレビ放送で発表された[1](p28)。 また、応募参加者には抽選で景品が贈呈された。1等賞は賞金1,000ニュー台湾ドル(NT$)、2等賞は賞金600NT$、3等賞は300NT$で他にも台北高雄間の往復乗車券が進呈されている[1](p28)。 重大事故[編集] 1966年11月4日:光華号は最初の事故を起こした。場所は台北市宝慶路交差で1名の通行人が死亡した。 1973年11月6日:2003次がトラックと衝突して乗客1名死亡、四十余名が負傷した。この事故を機にその場所は立体交差化された。それが今の嘉義市博愛陸橋である。 1976年7月21日:2001次がトラックと衝突して乗客1名が死亡した。 1978年5月13日:2002次がトラックと衝突して乗客31名が負傷した。 1979年1月22日:3086次がトラックと衝突して運転士と車掌が殉職した。 縦貫線光華号時刻表[編集] 時刻表中の(着)を除き出発時刻 下行 1966年10月31日改訂 車種の山光華は山線経由、海光華は海線経由 車種 車次
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