ジェームス三木 – Wikipedia
ジェームス三木 | |
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誕生 |
山下 清泉 (1934-06-10) 1934年6月10日(87歳) |
職業 | 作家・脚本家・演出家 |
言語 | 日本語 |
国籍 |
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最終学歴 |
市岡高校 中退 (大学入学資格検定合格) |
ジャンル |
ドラマ脚本 小説 エッセイ |
デビュー作 | 『装飾音符』(ジャック天野名義) |
子供 | 山下規介(長男) |
特記事項:元歌手 |
ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました きよもと)、1934年6月10日 – )は、日本の脚本家、作家、演出家、元歌手。身長170cm。血液型はB型。
来歴・人物[編集]
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満州国奉天省奉天市(現・中国遼寧省瀋陽市)から小学生の時に大阪府茨木市に引き揚げる。中学2年の時、父が心臓病で急死。父の死後、医師である叔父の勧めで医学部を受験する予定だったが、大阪府立市岡高校に入学後は演劇や恋愛に熱中。高校2年の時、演劇部で自ら主演・演出した芝居が大阪府高校演劇コンクールで1位入賞。これを期に俳優志望となり、俳優座養成所の入所試験を受けたところ、12倍の競争率を突破して合格。1953年、3年生の5月に高校を中退して上京し、第5期生として俳優座養成所に入所。
しかし学費や生活費を稼ぐためのアルバイトに追われ、大阪弁が抜けなかったことによるコンプレックスも災いし第6期に落ち、市原悦子らと同期になる。さらに仲代達矢の後塵を拝していたこともあって養成所を2年で中退。その後テイチクレコードの新人歌手コンクールに応募したところ、200倍の競争率を突破して合格。月給6,800円でテイチクの専属歌手となり、ディック・ミネや三波春夫の前座を務め、また石原裕次郎『錆びたナイフ』のテスト録音を行っている。
テイチクからはフランク永井(ビクター)の対抗馬として売り出すために、ジェームス三木と名乗ったが人気が出ず、地方巡業など歌手として13年間の下積み生活を送る。その間、大学入学資格検定に合格する。
1960年3月1日、山下典子と結婚。生活のため横浜のナイトクラブ「ナイトアンドデイ」の専属歌手となる(この時の後輩に無名時代の青江三奈がいた)。30歳を過ぎて人気が落ち始めた頃、新聞広告を見て文芸同人誌に小説『装飾音符』を発表。この作品が『新潮』に転載される(ジャック天野名義)。これを機に文芸志望へ転じ、シナリオ作家協会主催のシナリオ研究所(現在のシナリオ・センター)に研究生として入所。半年後の1968年、処女作『アダムの星』で第18回新人映画シナリオコンクールに準入選を果たす。この作品が映画監督・野村芳太郎の目にとまり、ナイトクラブ歌手と二足の草鞋を履きながら野村に師事。1969年、34歳のときに映画『夕月』で脚本家としてデビュー[1]。
1983年には脳腫瘍で入院したが生還し、仕事復帰。
1985年、連続テレビ小説『澪つくし』が視聴率55%を記録し、純愛ブームが巻き起こる。1986年、本作で日本文芸大賞脚本賞受賞。
1987年、大河ドラマ『独眼竜政宗』を大ヒットさせ、大河史上1位の視聴率を獲得。
1989年、『善人の条件』で映画監督に初挑戦した。
1997年、『存在の深き眠り』『憲法はまだか』で放送文化基金賞脚本賞受賞。
1997年、山下直子と再婚
1999年、第50回NHK放送文化賞受賞。
舞台演出、小説、随筆なども手がけている。
エピソード[編集]
- ペンネームの由来は「税務署行き」をもじったもので、歌手時代にディック・ミネに芸名をつけてもらおうとしたところ「これから税務署に行かなくちゃならない」と言われたことから来ているとされていたが、これは事務所がつくったネタだとも言われている。小津安二郎の脚本家としての別名「ゼームス槇」にあやかったとの説もある。
- 歌手として13年ほど活動するが、一向に芽が出ず、脚本家へ転身した後もこの名前を使い続けている。脚本家としてのデビューは『七人の刑事』だったが、名前を覚えてもらえず「ジュース三本」と誤植されたこともあった。
- 脳腫瘍の経験談や日本国憲法について説く講演活動を、頻繁に行っている[2]。
- 「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている[3]。
- 『クイズダービー』(TBS)に複数回、ゲスト解答者として出演。しかし第700回[4]、第750回[5]では2回連続0勝8敗で、第845回[6]の2問目まで不正解で、実質18連敗以上している。
- 長男は俳優の山下規介。実弟の山下六合雄(やました くにお、1945年5月29日-2010年5月1日)にも、脚本や作曲を手がけた作品がある。
- 愛煙家としても知られ、昨今の公共の場所の禁煙に対し、「せめて70歳以上は、いつどこで喫煙してもよいと、大目にみてくれるとありがたい」と朝日新聞の投書欄[7]に投稿している。
- プロ野球は、30年以上に亘り東京ヤクルトスワローズのファン[8]である。
主な作品[編集]
脚本[編集]
映画[編集]
テレビドラマ[編集]
舞台[編集]
ゲームソフト[編集]
著書[編集]
戯曲[編集]
- 『青春泥棒徹と由紀子』(1984年、大和書房 ヤングアダルトブックス)
- 『花丸銀平』(1986年、実業之日本社)
- 『澪つくし 戯曲』(1986年、未来社)
- 『旅よ恋よ女たちよ』(1986年、実業之日本社)
- 『結婚という冒険 ジェームス三木戯曲集』(1986年、未来社)
- 『独眼竜政宗 NHKテレビ・シナリオ』(1987年、曜曜社出版)
- 『ときめき宣言 オリジナルシナリオ』(1989年、徳間書店)
- 『安楽兵舎V.S.O.P. ジェームス三木戯曲集』(1991年、未来社)
- 『巨人の帽子 ジェームス三木戯曲集』(1993年、未来社)
小説[編集]
エッセイ[編集]
- 『テレビドラマ紳士録 ジェームス三木対談集』(1982年、映人社)
- 『ヤバイ伝』(2000年、新潮社)
- 『ドラマと人生』(2008年、社会評論社)
- 『平成オトナの勝手塾 中高年一貫指導』(2008年、社会評論社)
- 『人間の正体 人を動かしているものは何か』(2008年、中経出版)
共著[編集]
- 『夏服のイヴ』(1984年、集英社文庫コバルトシリーズ)共著:はりう・しずえ
- 『夏服のイヴ 松田聖子主演映画』(1984年、実業之日本社)共著:佐藤映湖
- 『潔い女は美しい 歴史に学ぶ女の生き方』(2002年、致知出版社)共著:杉本苑子
- 『日本の歴史を動かした女たち』(中経の文庫)
- 『これまでの道、これからの夢』(2008年、きょうされん)共著:藤井克徳
音楽作品[編集]
歌唱[編集]
- 靴みがきとアコーディオン(1957年、テイチク C-4139)
- 酒場の隅で(1958年、テイチク C-4168)
- さまよえる靴音(1958年、テイチク C-4245)
作詞[編集]
講演活動[編集]
- 2017年4月26日に岐阜都ホテルにおいて、立川談四楼と共に日本たばこ産業株式会社のJTフォーラムの講演を行っている。[9]
その他・番組出演[編集]
外部リンク[編集]
注釈[編集]
- ^ a b c 自作テレビドラマの舞台化。
出典[編集]
関連項目[編集]
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