河瀬断魚 – Wikipedia
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年5月) 河瀬 断魚(かわせ だんぎょ、昭和4年(1929年)8月14日 – 平成22年(2010年)10月25日)は、島根県平田市(現:出雲市)出身の日本の書家。本名は、河瀬喜重(かわせきじゅう)で、雅号を断魚としていた。昭和の三筆の一人と称されている手島右卿に師事。実弟には、考古学者で広島大学名誉教授の河瀬正利が存在したが2008年6月に病気の為兄より先に他界している。 日本の漢字書家一覧 父:亀市(かめいち) 母:シエノ(しえの) 長女:キミコ(きみこ) 長男:生後直ぐ他界の為に無名 次男:寿三郎(じゅさぶろう) 三男:喜重(きじゅう) 四男:正利(まさとし) 妻:富代(とみよ) 長女:弘子(ひろこ) 次女:法子(のりこ) 島根県平田市(現:出雲市)に河瀬家の三男として生まれる。長男は生後間も無く亡くなり、次男寿三郎も戦時中に戦死している。三男である喜重も通信兵として戦争に出兵したが幸いにして無事生還し次男寿三郎に代わり河瀬家の跡取となる。 幼少期は生前からは想像も付かない程の活発な腕白少年であった。大変厳しい性格だが、それ以上に情が非常に厚い性格でもあり、その人柄からか幅広い人脈からも多く支持され、意外にもその厳格な喋り口調が愛され、好んで話を聞く者もあった。 自分の行き方として生涯何より大事にしていたのは家族・自分のことよりも弟子を大切に思う気持ちであり、自分の弟子達の活躍を耳にする度に眼を赤くし自分のことの様に大変喜んでいた。
Continue reading
Recent Comments