Month: August 2019

死亡帳 – Wikipedia

死亡帳(しぼうちょう)とは古代の律令制度の下で、6年に1回つくられる戸籍(これを「造籍」という)に関連して、造籍と造籍の間に毎年作成される死亡者に関する帳簿のこと。いわば、古代の物故者リストである。 死亡帳は、すでに京進[1]されている戸籍に載せられていた人についてだけその死亡者名を提出するもので、造籍後に生まれた乳幼児については記載しない。『延喜式』勘大帳条に「死亡帳」の名がみえ、『政事要略』巻五十七の雑公文事に「郷戸帳」「浮浪人帳」など20ほどの帳簿類が掲げられているなかに「死亡帳」も掲げられている。 現存する死亡帳[編集] 次の2例が現存する。 河内国大税負死亡帳(天理図書館蔵) 備中国大税負死亡帳(正倉院蔵) ともに正倉院文書である。この2点の帳簿は、ともに公出挙稲(大税)を負ったまま死去した人々の歴名簿であり、1.は天平9年(737年)、2.は天平11年(739年分)をそれぞれ記載している。 河内国大税負死亡帳[編集] ここに記載されている氏(ウジ)には、「伊我臣」、「海犬養」、「牛鹿部」、「車持連」、「酒人」、「日下部」などがある。河内国(現大阪府)の地域性などもわかる貴重な資料である。 備中国大税負死亡帳[編集] 備中国(現岡山県)の賀夜・宇都・窪屋(現在の岡山市・総社市を中心とする地域)の死亡者72名を記した帳簿である。ウジに付した「西漢人」などの記載により、賀夜の渡来系の人の割合は全体の2割、宇都は3割を占めたことがわかる。 出土した死亡帳(漆紙文書)[編集] 死亡帳の出土例としては、次の2例がある。 長岡京跡/延暦九年死亡帳[編集] 長岡京跡(京都府向日市・長岡京市・京都市)第341次調査の漆紙文書は、数片の断片で、延暦9年(790年)6月に死亡した数人について死亡年月日(だいたい6月3日から8日の間)が判明できる程度であり、人名や年齢などは失われていて知ることができない。釈文は、向日市埋蔵文化財センター・向日市教育委員会により1997年8月13日に記者発表されている。 秋田城跡/死亡帳16号文書[編集] 平成10年(1998年)度に行われた秋田城跡(秋田県秋田市)第72次調査で見つかった漆紙文書は、国立歴史民俗博物館の平川南教授の赤外線カメラを用いた解読によって死亡帳であることが判明した。姓、戸主、死亡者名、年齢、区分、死亡月日の一連の情報がわかるものとしては秋田城跡の例が最初である。 16号文書の年代[編集] この死亡帳は同時に出土した20号文書(解文の書止部分)に「嘉承二年」(849年)、21号文書(書状)に「嘉祥三年」(850年)の年紀があることから、9世紀前半のものと判断される。嘉祥2、3年からさほど隔たっていないとみられる。 16号文書記載の人名[編集]

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クーヨンガ – Wikipedia

クーヨンガ(Kooyonga)は、アイルランドの競走馬、繁殖牝馬。1991年の3歳時にアイリッシュ1000ギニー(G1)とコロネーションステークス(G1)に勝利、カルティエ賞最優秀3歳牝馬に選出された。 出自[編集] アイルランドのキルデア県メイヌース近郊にある、シーン・コリンズの持つオーヴィッズタウン牧場で生まれたサラブレッドの牝馬である[2]。父ペルシアンボールドは、1977年にリッチモンドステークスで優勝した競走馬で、種牡馬としてもファルコンフライト(オカール賞)、ペルシャハイツ(セントジェームズパレスステークス)、ボールドロシアン(セレブレーションマイル)などを出して成功していた[3]。母アンジュリーは未出走馬で、2000ギニー勝ち馬ローランドガーデンの半姉にあたる血統であった[4]。 クーヨンガはミース県アシュボーンのマイケル・カウンツェ調教師に預けられて調教を受けた。クーヨンガという名前は南オーストラリア州ゴルフクラブの名前に由来してつけられた[5]。 2歳時(1990年)[編集] クーヨンガは8月のゴーランパーク競馬場の未勝利戦でデビューし、3馬身差で初勝利を手にした[6]。 それから4週間後に出走したシルバーフラッシュステークス(L・フェニックスパーク)においては1番人気であったアフリカンダンスという馬をアタマ差抑えて勝利している[7]。 10月には高額賞金競走であるカルティエミリオン(LR・フェニックスパーク)に出走、リンカダスに次ぐ2着となった。年内最終戦はレパーズタウンステークス(G3)で4馬身差をつけて優勝、初の重賞勝ちを収めた[8]。 3歳時(1991年)[編集] 3歳シーズンの初戦はレパーズタウン1000ギニートライアルステークス(L)から始動して勝利、その後ニューマーケット競馬場に送られて1000ギニーステークス(G1)に出走、レスター・ピゴット鞍上のもとシャダイードの2馬身差2着に食い込んだ。 その後クーヨンガはアイリッシュ1000ギニー(G1・カラ)に登録された。この競走では前走で手綱を握ったピゴットがヴィンセント・オブライエン厩舎のルアドーロを選択したため、クーヨンガは新たにウォーレン・オコナー騎手を迎えて出走、単勝オッズ5倍の支持のもと、2着馬ジュリーラルースに3馬身差をつけて優勝、初のG1勝ちを収めた[9]。この競走後、クーヨンガは日本のオーナーブリーダーである芳賀満男に120万ドルで繁殖牝馬の候補として購入された[10]。 次に出走したアスコット競馬場でのコロネーションステークス(G1)では英1000ギニー以来のクーヨンガとシャダイードの再戦が行われた。オコナーはクーヨンガを先頭を行くグッシーマーロウの後ろにつけて進み、最後の直線で先頭にクーヨンガを先頭に押し出した。シャダイードもそこに果敢に詰め寄っていったが、クーヨンガは3/4馬身先にゴールに飛び込み、前走の借りを返して優勝した[11]。 9月に入って、クーヨンガはメイトロンステークス(G3)に出走、2着馬ブルーデイジーに1馬身差をつけて勝利した。その後出走したクイーンエリザベス2世ステークス(G1・アスコット)にはライバルのシャダイードのみならず、ヘクタープロテクター、セルカーク、セカンドセットなどの強力な面子が揃っていた。クーヨンガはシャダイードの広報2番手につけてレースを進め、直線に向いてシャダイードを追い抜いて先頭に立ったが、最後の1ハロンでセルカークに1馬身半差追い抜かれて2着に敗れた。 同年の最後にはアメリカ合衆国に遠征、ブリーダーズカップ・マイル(G1・チャーチルダウンズ)に出走したが、この競走では14頭中の13着と大敗している。 4歳時(1992年)[編集] これまでマイル戦が主戦場であったクーヨンガは、この年から距離10ハロンの中距離戦まで戦場を広げていった。クーヨンガの4歳シーズンの始動は6月からで、初戦のレパーズタウン競馬場でのグレンシャイアンステークス(L)において1番人気に支持されていたが5着に敗れている。次いで出走したプリンスオブウェールズステークス(G2)では1位入線したが、終盤に右によれてヤングバスター(3位入線)にぶつかったため3着に降着、2位入線のパーペンディキュラーが優勝馬となった[12]。カウンツェはクーヨンガがヤングバスターを妨害したことを認めたが、「彼女は少し不運だった。彼女は明らかにこの日最高の馬だった」と付け加えた[13]。 7月4日、クーヨンガはサンダウン競馬場のエクリプスステークス(G1)に出走した。この競走ではオペラハウス、アルカング、ゾーマン、テリモンなどの強豪が集まるなか、クーヨンガは単勝4.5倍の1番人気に支持されていた。不良馬場のなかスタートしたこの競走で、クーヨンガは道中を抑えて進めていったが、最後の1ハロンでオコナー曰く「彼女の好きなようにさせて」先頭を奪取、1馬身半差で優勝した[14]。オコナーはアスコットでの騎乗が批判され、このため木馬で技術を鍛錬しており、「前2頭を追いかけてはいたが、ゴール前ではまだ少し余裕があった」と語っている[15]。牝馬のエクリプスステークス優勝は1985年のペブルス以来のものであった。 クーヨンガは次にドイツへと遠征、8月のミュンヘン競馬場のバイエルンツフトレネン(G1)に出走、パーペンディキュラーと再戦となった。クーヨンガは先頭につけて1馬身ほどのリードを保って進めると、その差が縮まる前に「快適に」ゴール、2着ザーヒに3/4馬身差をつけて勝利した[16]。3着にはパーペンディキュラーが入っている[17]。その後ヨーク競馬場のインターナショナルステークス(G1)でも人気をとなったが、その走りは非常に悪く、最初からペースが全く上がらず、直線でオコナーによって停止され、最下位に終わった[18]。その後、クーヨンガはレース中にフケ(発情)を迎えていたことが明らかになった[19]。 本来はジャパンカップに出走する予定があったものの[16]、インターナショナルの後のアイリッシュチャンピオンステークス(G1・レパーズタウン)でドクターデヴィアスとセントジョヴァイトに敗れ4着、また10月のレパーズタウンでの一般戦で2着と調子が戻らなかったため予定は白紙となった[20]。 繁殖入り後[編集]

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地球の地殻 – Wikipedia

地球の地殻にあるプレート 地球の地殻(ちきゅうのちかく 英:Earth’s crust)は、地球の表層部にある薄い地殻で、地球の体積の1%にも満たない。地殻と上部マントルからなる地球の層区分リソスフェアの頂部にある構造体である。リソスフェアは複数のプレートに分割されていて、その動きが熱を地球内部から宇宙へと逃がしている[1]。 地殻はマントルの上にあって、組成は安定している。なぜなら上部マントルが橄欖岩で出来ており、地殻よりも著しく高密度なためである。地殻とマントルの境界は、地震波速度の対比によって慣習的に定義される境界のモホロビチッチ不連続面である。 地殻の温度は深くなるにつれ上昇し[2]、下にあるマントルとの境界部では通常約100°Cから600°Cまでの範囲内にある値に達する。地殻上部では、局地的ながら1km毎に温度が30°C上昇することもある[3] 地球上部の大陸地殻中にある元素の存在度(原子分率) の表で、横軸は元素番号。地殻で最も稀な元素(黄色部分)は最も重いものではなく、むしろゴルトシュミット分類でいう親鉄元素にあたる。これらは地球の核へと深部に向かったことにより減少した。流星物質の存在度が高い。他にはテルルとセレンが揮発性水素化物の形成により地殻から枯渇している。 地球の地殻には二種類ある。 海洋地殻 厚さ5-10kmで[4]、玄武岩、輝緑岩、斑れい岩といった密度の高い苦鉄質岩で主に構成されている。 大陸地殻 厚さ30-50kmで、花崗岩など密度の低い珪長質岩で主に構成されている。 地殻の平均的な厚みは約15-20kmである。 大陸地殻と海洋地殻は両方ともその下のマントルより密度が低いため、どちらの地殻もマントルの上に「浮かんで」いる。大陸地殻の表層は海洋地殻の表層よりも有意に高くなっているが、これはより厚くて低密度な大陸地殻のほうが浮力もより大きくなるためである(アイソスタシーの成立例)。その結果、大陸は深海盆に囲まれた高い大地を形成する[5]。 大陸地殻は安山岩と類似した平均組成となっており[6]、とはいえ組成は均質ではなく、上部地殻は平均的にデイサイトと類似した珪長質の組成であり、下部地殻は平均的に玄武岩と類似した苦鉄質の組成である。地球の大陸地殻において最も豊富な鉱物が長石で地殻重量の約41%を占め、続いて石英が12%、輝石が11%である[8]。 地球の地殻に豊富な元素 およその重量割合(%) 酸化物 およその重量割合(%) O

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猫のひたいほどワイド – Wikipedia

猫のひたいほどワイド 1000回スペシャルの際に使用した特設スタジオ ジャンル 地域情報バラエティ番組 企画 小林敦樹 出演者 細貝圭(月曜)鎌苅健太(火曜)三上真史(水曜)井上正大(木曜)岡村帆奈美(月曜 – 水曜)照井七瀬(木曜) オープニング 「ネコですもの」 エンディング 同上 製作 プロデューサー 渡辺史門 制作 テレビ神奈川 放送

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日倉士歳朗 – Wikipedia

日倉士 歳朗(ひぐらし としろう、1952年4月25日 – 2021年1月9日)は、日本のミュージシャン。レパートリーはボーカル、ギター、スライドギター、ラップスティール・ギター、マンドリンなど。 1976年 BOB’S FISH MARKETに、ギタリストとして参加。 1979年 アルバム「BOB’S FISH MARKET」(victor)を発表。 アルバムの中の「のっぺらぼう」が後に、久保田真琴と夕焼け楽団のアルバムにて取り上げられる。 1981 – 1983年 バンド解散後、井上憲一 (ex.SANDII &

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京浜急行電鉄のダイヤ改正 – Wikipedia

ダイヤグラム > ダイヤ改正 > 京浜急行電鉄のダイヤ改正 京浜急行電鉄のダイヤ改正(けいひんきゅうこうでんてつのダイヤかいせい)は、京浜急行電鉄において実施されてきた歴代のダイヤ改正について記述する。 鉄道事業者名・路線名・駅名・車両形式名は時系列で記述する。 目次 1 1960年代 1.1 1968年6月15日改正 2 1970年代 2.1 1974年12月2日改正 2.2 1975年4月26日改正 2.3 1978年3月6日改正 3 1980年代

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皆川玲奈 – Wikipedia

皆川 玲奈(みながわ れいな、1991年6月30日[1] – )は、TBSテレビのアナウンサー。東京都出身[1]。旧芸名、星川 玲奈(ほしかわ れいな)。身長162cm[1]。 青山学院高等部、青山学院大学総合文化政策学部卒業[1]。中学は学習院女子中等科に1年と少し在学していたことがあり、そこでは同い年の眞子内親王と学友で、何回か弁当も一緒に食べたこともあったという[2]。 小学生だった2003年に第9回全日本国民的美少女コンテスト審査員特別賞受賞[3]。受賞をきっかけに「星川玲奈」としてオスカープロモーションに所属。2005年にはミスセブンティーンに選出されるなど、高校卒業までタレントとして実績を残す[4][3]。その後、大学在学中の一時期には本名の「皆川玲奈」としてキューブに移籍し、テレビドラマに出演するなど女優として活動していた[5]。これらの経験が、後にテレビ局の仕事に興味を持ったきっかけにもなる[4]。 青学在学中には芸能活動とは別に体育会自動車部に入り、レースに出場したこともあって国内A級ライセンスも所持している[3]。 2014年4月にTBSテレビに入社し、研修期間に入る。この間、7月19日から8月31日まで行われた『夏サカス2014デリシャカス〜番組グルメでおもてなし〜』では、同期入社の宇垣美里や品田亮太とともに「デリシャカス食べ歩き隊」としてイベントのPRを行った[6]。 2016年3月、先輩アナウンサー小林悠の退社を受け、『NEWS23』など複数の番組を引き継ぎ[3]、同番組では3年間出演した。 現在の出演番組[編集] テレビ[編集] ひるおび(2021年10月7日 – )[7] – 木曜アシスタント Style2030

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京極高賢 – Wikipedia

  凡例 京極高賢 時代 江戸時代中期 – 後期 生誕 安永5年6月20日(1776年8月4日) 死没 天保9年3月6日(1838年3月31日) 改名 秀松、内膳(幼名)、高賢 戒名 玄渕院殿前壱州刺史鶴道寿大居士 墓所 東京都港区の光林寺 官位 従五位下、壱岐守 幕府

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クリステン・プレス – Wikipedia

クリステン・プレス (2015年アルガルベ・カップ) 名前 本名 クリステン・アンマリー・プレスChristen Annemarie Press 愛称 CP23 基本情報 国籍 アメリカ合衆国 生年月日 (1988-12-29) 1988年12月29日(33歳) 出身地 ロサンゼルス 身長 170cm(5フィート7インチ) 選手情報

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五島市立奈留小中学校 – Wikipedia

五島市立奈留小中学校 過去の名称 【小学校】第五大学区長崎県管下第五中学区松浦郡奈留島小学校第五中学区松浦郡奈留島村奈留小学校公立中等奈留小学校尋常奈留小学校奈留尋常小学校奈留尋常高等小学校奈留第一尋常高等小学校奈留島村第一国民学校奈留島村立第一小学校奈留島村立奈留小学校奈留町立奈留小学校【中学校】奈留島村立第一中学校奈留島村立奈留中学校奈留町立奈留中学校 国公私立 公立学校 設置者 五島市 併合学校 【小学校】奈留町立江上小学校五島市立船廻小学校【中学校】奈留島村立第三中学校奈留町立奈留中学校葛島分校奈留町立江上中学校 校訓 なせばなる 設立年月日 【小学校】1874年(明治7年)8月9日【中学校】1947年(昭和22年)4月1日 共学・別学 男女共学 小中高一貫教育 長崎県立奈留高等学校(連携型) 学期 3学期制 所在地

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