Month: August 2019

大塚久雄 – Wikipedia

大塚 久雄(おおつか ひさお、1907年(明治40年)5月3日 – 1996年(平成8年)7月9日)は、日本の経済史学者。専攻は英国経済史で、西洋諸国における近代資本主義、近代市民社会の研究で知られ、マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学は国際的評価を受けた[1]。 1907年京都府生まれ[2]。京都府立京都第一中学校(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)卒業後、旧制第三高等学校入学。このとき、片足を負傷し、後に切断することになる。1930年、東京帝国大学経済学部卒業[2][3]。大学では本位田祥男や内村鑑三に師事した。法政大学非常勤講師(1933年)、同大助教授(1935年)、同大教授(1938年)、東京帝大経済学部助教授(1939年)[4]を経て、1947年同大学教授、1968年から同大学名誉教授[1]。日本学士院会員(1969年)、勲二等旭日重光章(1977年)、文化勲章(1992年)を受ける[1]。1996年7月9日午前4時42分、老衰のため東京都練馬区の自宅で死去した[1]。大塚久雄氏の蔵書は,大塚久雄文庫として福島大学付属図書館に収納されている。 研究内容[編集] マルクス経済学とウェーバー社会学を基礎に「近代」を担うべき人間について考察を深めた。大塚はイギリスを近代と民主主義のモデルケースと考え、独立自営農民ヨーマンがその発展を支えたとした。小熊英二は、大塚の背景には日本の民主主義が、特にその担い手となる自由で自立した市民が未成熟であったことの反省があるし、大塚が「労働者の自発性と目的合理性」を重視したのは、太平洋戦争時の戦時体制が「過剰統制」と「神かがり主義」により、敗戦を招いたことへの批判にある指摘した(小熊 2002, pp. 91–95)。 この大塚の視座は「大塚史学」と呼ばれ一時代を築くが、その後、日本経済が高度経済成長期に入り、逆にイギリス製造業に陰が見える頃になると、戦前への反省やイギリスの理想視という大塚史学の特徴自体が求心力を失っていった。[要出典] 単著[編集] 『株式会社発生史論』 有斐閣, 1938年/中央公論社, 1959年ほか 『欧州経済史序説』 時潮社, 1938年 『近代欧州経済史序説』

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ジェームズ・フォーリー (ジャーナリスト) – Wikipedia

この項目では、ジャーナリストについて説明しています。同名の映画監督については「ジェームズ・フォーリー」をご覧ください。 ジェームズ・フォーリー 生誕 ジェームズ・ライト・フォーリー1973年10月18日 アメリカ合衆国・イリノイ州エバンストン 死没 (2014-08-19) 2014年8月19日(40歳没) シリア・ラッカ 死因 斬首刑 国籍 アメリカ合衆国 職業 ジャーナリスト ジェームズ・ライト・”ジム”・フォーリー(英語: James Wright “Jim” Foley、1973年10月18日

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高槻市立奥坂小学校 – Wikipedia

高槻市立奥坂小学校(たかつきしりつ おくさかしょうがっこう)は、大阪府高槻市別所本町にある公立小学校。 高槻市立磐手小学校と近い場所に設置されているが、これは古曽部町周辺においてマンションの建設が相次ぎ、磐手小学校の児童一気に増加したため、奥坂小学校が磐手第二小学校として建設されたのが理由である。 1977年4月1日 – 学校創立 1977年4月25日 – 体育館完成 1977年6月6日 – 創立記念日 1977年6月27日 – 簡易プール完工 1978年度(昭和53年)4月 正門整備。7月築山。1月 体育館バスケットゴール。3月 校舎大時計。 1979年度(昭和54年)校内舗装。校門より校舎、通用門より校舎など、職員作業で完成。

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アントウェルペン市電 – Wikipedia

アントウェルペン市電(フランス語: Tramway d’Anvers、オランダ語: Antwerpse tram)は、ベルギーの大都市・アントウェルペン(アントワープ)に存在する路面電車。地上区間に加えて地下鉄と同規格の地下区間(プレメトロ(フランス語版))の路線網(アントウェルペン・プレメトロ(フランス語版、オランダ語版))も有しており、2020年現在はフランデレン地域で路線バス、路面電車などの公共交通事業を展開するフランデレン交通公社、通称”ドゥ・レイン(オランダ語版)“によって運営が行われている[4]。 第二次世界大戦まで[編集] アントウェルペン市内に軌道交通が初めて開通したのは、急速に人口や規模が拡大した19世紀後半、1873年5月に開通した馬車鉄道であった。公共交通機関への高い需要に応じて同年以降多数の馬車鉄道の路線が開通したが、これらは複数の企業によって運営されており、車両の規格や料金体系も異なり一部は対立関係に陥った事から利便性に難が生じ、利用客のみならず各企業への不利益にも繋がった。そこでこの事態を解消するため、1895年に馬車鉄道や乗合馬車の資産管理会社である軌道相互会社(Compagnie Mutuelle de Tramways)が設立され、同社を中心とした協議の結果1899年以降馬車鉄道の運営企業はアントウェルペン一般路面電車会社(GGTA)(オランダ語版、フランス語版)へ統一された。そして、同社による路線網の再編成を経て1902年から路線の電化による路面電車の運転が始まった[8]。 1909年の時点で既にGGTAはアントウェルペン市内に13系統を擁する路線網を有していたが、1910年代にはアントウェルペン郊外への延伸が行われ、第一次世界大戦以降は市内の路線網の拡張が始まった。特に1920年のオリンピック、1930年のアントワープ殖民及起用万国博覧会での大量輸送において路面電車は大きな役割を果たした。その一方で1927年には路面電車の運営権が新会社のアントウェルペン軌道(T.A.)(オランダ語版)へと移管している。その後は同社による近代化が促進されたが、第二次世界大戦中は大量の乗客に対する深刻な輸送力不足や戦闘による被害に見舞われた[11]。 1920年代のアントウェルペン市電 1930年代のアントウェルペン市電 戦後の近代化[編集] 終戦後の1945年、ライセンス期限を迎えたアントウェルペン軌道に代わり、市電の運営権は暫定組織であるアントウェルペン市内・郊外路面電車会社(Tramwegen van Antwerpen en Omgeving、T.A.O.)へ継承される事となった。だが、1946年に最高値を記録した利用客数は同年以降バスや自家用車の発達(モータリーゼーション)により減少の一途を辿り、複数の路線が廃止された。それでも同社は系統の再編成や定時制確保や高速化を目的とした専用軌道化などの施策を進め、1960年からはアメリカ合衆国で開発された高性能路面電車・PCCカーの導入により本格的な近代化が始まった。その後、1963年1月1日に設立されたアントウェルペン市外交通会社(Maatschappij voor

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サジダ・リシャウィ – Wikipedia

サジダ・ムバラク・アトゥロウス・アル=リシャウィ(アラビア語: ساجدة مبارك عطروس الريشاوي‎、英語: Sajida Mubarak Atrous al-Rishawi、1970年 – 2015年2月4日[1])は、自爆テロ未遂犯であるとされるイラク西部のアンバール県出身の女性である[2]。2005年アンマン自爆テロに関与したと考えられているが、彼女の爆発物のベルト(英語版)が爆発しなかったために生き残った。 テロ事件[編集] 2005年11月9日、ヨルダンの首都アンマンのラディッソンホテルにおいて900人が出席した結婚披露宴が行われる中、自爆テロが発生した。新郎新婦両方の父親を含めて60人が死亡した他、115人が負傷した[3]。イラクの聖戦アル=カーイダ組織に共に所属し、事件の数日前に結婚した[4]サジダ・リシャウィと彼女の夫のアリ・フセイン・アリ・アル・シャマリが自爆テロを試みたものだったが、夫のみが死亡した[5]。リシャウィは夫が爆撃した後に爆発物のベルトを起爆しようとして失敗した。そして、その場から走り出した人々と一緒にホテルから逃げ出した[6]。市内の他の2つのホテルでもほぼ同時に自爆攻撃が起きたが、このラディッソンホテルで最も多くの犠牲者が出た[7]。 事件の4日後にリシャウィは逮捕され、ヨルダン当局は彼女が自爆テロを実行するために夫と共にイラクから偽造パスポートでヨルダンに入国したと供述する録画映像を国営テレビで繰り返し流した。映像の中で彼女は巻き付けた自爆ベルトをカメラに向かって見せ、犯行計画を説明している[7]。しかし、その後に一転してこの告白を撤回した[8]。取調べでは「夫に自爆を強制されたが、私は誰も傷つける意図はなかった」などと供述内容を変更している[9]。 2006年9月21日にヨルダンの軍事裁判所から絞首刑による死刑判決を受けた[8]。リシャウィは有罪判決に不服で控訴したが、2007年1月にこの訴えは退けられた[10][11]。その後に2010年10月4日時点で彼女がまだ控訴中であることが報じられた[12]。 2015年1月時点でリシャウィはアンマン市内にあるジュエイダ女子拘置所に収監中であると報道された[13]。 ISILとの関連性[編集] リシャウィはアンマン自爆テロを実行したアリ・フセイン・アリ・アル・シャマリの妻であり、イラクの聖戦アルカイーダ組織を率いたアブ・ムサブ・ザルカウィの側近の妹と考えられている[2]。また、彼女自身もザルカウィの部下だった[14]。一部報道ではこの兄の名前はムバラク・アトゥロウス・アル・リシャウィであるとされている[15]。イラク戦争で空爆された際に側近だったこの長兄に加えて2人の兄弟、前の夫も失っており[4]、反米感情を持つようになったという[16]。 イスラム過激派に詳しい評論家のハシム・ハシミはリシャウィがイラクの聖戦アルカイーダ組織にとって初めての女の自爆工作員だったと述べている。また、「ザルカウィ容疑者は死亡する前に、リシャウィ死刑囚の奪還を約束している」と説明している[14]。このイラクの聖戦アルカイーダ組織はISILの前身組織と見られている[15]。 2015年1月24日にISILはヨルダンに対し、日本人の人質である後藤健二の解放を交換条件として、リシャウィの釈放を要求した[5]。ISILは29日の日没までにリシャウィを釈放しなければ、ヨルダン軍のパイロットであるモアズ・カサスベを殺害すると脅迫した。これに対してヨルダン政府側もカサスベの生存の確認が出来てなおかつ彼が解放されるのであればリシャウィを釈放する用意があるとして釈放に応じぬまま期限を迎えた[17]。

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ホフマンナマケモノ – Wikipedia

ホフマンナマケモノ (Choloepus hoffmanni) は、哺乳綱有毛目フタユビナマケモノ科フタユビナマケモノ属に分類される哺乳類。 コスタリカ、コロンビア、ニカラグア南部、パナマ、ブラジル西部、ベネズエラ西部、ペルー、ボリビア、ホンジュラス[1] 模式標本の産地(基準産地・タイプ産地・模式産地)はコスタリカ[2]。ニカラグアとホンジュラスからベネズエラ西部にかけての地域(北部個体群)と、ペルー中北部からブラジル南西部・ボリビア中部にかけての地域(南部個体群)に隔離分布する[2]。 全長54 – 72センチメートル[2]。尾長1.4 – 3センチメートル[2]。体重3.1 – 4.7キログラム[2]。頬や喉の体毛は、頸部や肩の体毛と比較して短い[2]。 頸椎数は5 – 6個[2]。染色体数は2n = 49 – 51[2]。

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旭丘高等学校 (神奈川県) – Wikipedia

旭丘高等学校(あさひがおかこうとうがっこう)は、神奈川県小田原市にある私立の高等学校。 1902年 新名百刀が裁縫手芸編物伝習所として創立 1943年 財団法人新名学園設立 1951年 財団法人を解散し、学校法人新名学園設立 1953年 普通科課程を併設 1956年 旭丘女子高等学校に改称 1959年 旭丘高等学校に改称 1961年 商業科を併設 1999年 男女共学制実施、教育目標改定 2000年 第二校地の土地を購入開始 2002年 総合学科開設、創立100周年 旭丘高校の校歌は、この高校が女子校だった時代に作られた背景から、全体的にキーが高めである。作詞・作曲 米山正夫。 設置学科[編集] 普通科(普通科・クリエイティブ) 総合学科(大学進学・進路探求・ベーシック・スポーツ進学・国際科) 蓮池化問題[編集] 校舎は小田原城史跡内に建設されている。もともと現在の小田原市民会館のところに校舎があったのだが、市が市民会館を建設するに当たり、学校側に校舎移転の要求をし、学校側が受け入れた結果、現在の校地に移った。 1990年代前半、小田原市が現在の校地を江戸時代末期の状態に復元するために「蓮池」にするという構想を発表。これに対して高校側は、市の都合により現在地に学校が建てられた経過を踏まえるとともに、耐震度調査から校舎の危険性が高いことなどから建て替えの緊急性があること、また、仮に高校側が移転するにしても何ら補償をする意思のない市に対して、旭丘高校の教育権を守り、また史跡も重要であるとの立場から、景観や史跡に配慮した校舎建て替え計画を策定した。この計画を実現するために、全校を挙げて取り組み、小田原市に対して校舎建て替えの署名運動を行った。文化庁とも協議をもち、その結果、小田原市はこの構想を凍結するという対応をとり、蓮池化は免れ、新しい校舎の建て替えが実現した。 新名高等家政女学校1940年(昭和15年)

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ルイス・H・ウィルソン・ジュニア (ミサイル駆逐艦) – Wikipedia

ルイス・H・ウィルソン・ジュニア(英語: USS Louis H. Wilson Jr. (DDG-126))は、アメリカ海軍のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦第76番艦。 アーレイ・バーク級のフライトIIIとしてはジャック・H・ルーカス(英語版)に次ぐ2番目の艦[1]である。 艦名は、名誉勲章を受章したアメリカ海兵隊の将軍ルイス・H・ウィルソン・ジュニア(英語版)にちなむものであり、2016年9月17日に当時の海軍長官であったレイ・メイバス(英語版)によって命名された[2]。2020年3月3日、バス鉄工所によって造船が開始された[3]。2023年の就役を予定している[3]。 ^ LaGrone, Sam (2017年9月28日). “Bath Iron Works Awarded Second Flight III

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第三高等学校 (旧制) – Wikipedia

第三高等学校(三高) 創立 1869年 – 舎密局として1886年 – 第三高等中学校として1894年 – 第三高等学校として 所在地 京都市、岡山市 初代校長 折田彦市 廃止 1950年 後身校 京都大学、岡山大学 同窓会 三高同窓会 旧制第三高等学校(きゅうせいだいさんこうとうがっこう)は、京都市および岡山市に所在した旧制高等学校。略称は「三高」。現在の京都大学総合人間学部および岡山大学医学部の前身である。1894年に第三高等中学校(1886年設立)を母体として発足し、初代校長は折田彦市。

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アルナウ・テナス – Wikipedia

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はテナス、第二姓(母方の姓)はウレーニャです。(Template:スペイン語圏の姓名) アルナウ・テナス 名前 本名 アルナス・テナス・ウレーニャArnau Tenas Ureña ラテン文字 Arnau Tenas 基本情報 国籍 スペイン 生年月日 (2001-05-30) 2001年5月30日(20歳) 出身地 ビック 身長 185cm

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