市町村歌 – Wikipedia

市町村歌(しちょうそんか)は、日本の基礎自治体である市町村が制定する歌の総称。市町村の歌(しちょうそんのうた)、市町村民歌(しちょうそんみんか)、市町村民の歌(しちょうそんみんのうた)、もしくは都道府県民歌との総称として自治体歌(じちたいか)とも呼ばれる。

東京都の特別区(23区)が市歌に準じて制定する区の自治体歌や、政令指定都市の行政区が市歌とは別に区単位で制定する歌については区歌を参照のこと。

1889年(明治22年)の市制施行から9年後の1898年(明治31年)、日本で最初の市歌とされる京都市歌(作詞・黒川真頼、作曲・上真行)が作られた[1]。ただし、現在の京都市歌(作詞・藤山於菟路、作曲・諸井三郎)は1951年(昭和26年)制定の4代目である[注 1]。初代京都市歌が作られてから11年後の1909年(明治42年)、横浜港の開港50周年を記念して現存する最古の市歌とされる横浜市歌が発表された。以後、昭和初期までに全国の大都市がこぞって市歌を制定したが、この当時の市歌は五・七・五調の文語体で作詞されたものが多い。太平洋戦争が終結した1945年(昭和20年)以前に制定された市町村歌の中には、主に「歌詞の内容が軍国主義を想起させる」などの理由で仙台市のように公の場で演奏されなくなったものや、旧市歌を廃止して新たな市歌を制定した水戸市のような事例が見られる。

六大都市や県庁所在地以外の市町村でも1960年代から1970年代にかけて多くの市町村歌が制定された。この時期に制定された市町村歌は口語体で、高度成長期の世相を反映した明るい曲調のものが多い。特に1968年(昭和43年)は「明治百年」を記念して各地で記念行事が行われ、その一環として新しく市歌を制定した事例が多くみられる[2]。2000年代に入ってからは「平成の大合併」で新たに誕生した市が住民の融和を目的として新規の市歌を制定する事例が多い[3]。2003年(平成15年)の新設合併に際し、1937年(昭和12年)制定の旧市歌を引き継がず新たな市歌「わたしの街 静岡」を制定した静岡市が代表的である。

演奏の機会は自治体が主催する式典や市民運動会などの行事、役所・役場内で始業・終業時刻を知らせる庁内放送、電話の保留音などが主である。

都道府県単位で制定率が高いのは秋田県・栃木県・大阪府・沖縄県で、逆に制定率が低いのは岡山県・香川県・高知県・佐賀県など。特に佐賀県は佐賀市が全国の県庁所在地では唯一、市歌を制定していない[注 2]。群馬県・山梨県・兵庫県・山口県では平成の大合併以前の段階で県内の全ての市が市歌を制定していたが、新設合併に伴う失効や協議会の合意事項履行の遅れで制定率が低下している。

平成の大合併に伴う問題[編集]

自治体が合併する場合、合併協議会で取りまとめられる協定書に「慣行の取扱い」の項目を設けて市町村章や木・花・鳥などのシンボルに関する取り決めに付随する形で合併後の自治体歌の取り扱いについて記載されることが多い。

平成の大合併で編入合併方式を採用した自治体の場合、大半は編入元の市歌がそのまま継承されたが浜松市や鳥取市、新潟県上越市のように合併協議会の申し合わせを受けて既存の市歌廃止・新市歌制定が行われた事例もある。編入元の市歌に統一する場合は、秋田市のように町村部の歌を「地域の歌」として存続させる旨の申し合わせが協定項目に含まれる事例がみられる。

新設合併の場合、名称は合併に参加する旧自治体を引き継いでいても地方自治法上は別個の自治体となるため、旧自治体の市町村歌は合併協議会で存続を取り決めた場合を除き原則的に失効したものとして扱われる。新設合併に伴う旧市歌の失効から早期に新市歌を制定した事例には前述の静岡市の他、青森市や松江市などがある。しかし、市町村章が合併前後に最優先で決定されるのに対して市町村歌は優先順位が低く、取り決めに含まれないまま旧自治体が制定していた楽曲の地位が不明確な状態に置かれることも少なくない。例えば、山口県では平成の大合併に際して新設合併方式を採った下関市・岩国市・光市・長門市の4市で合併協定書に新市歌制定を取り決める項目が明記されたにも関わらず合併から10年前後を経過しても取り決めが履行されたのは岩国市のみとなっており、美祢市では旧自治体の市歌の扱いに関する取り決めが協定書に無いため合併後の同名旧市の市歌の扱いが不明確な状態となっている。なお、新設合併に際して同名旧市の市歌を継承した自治体には秋田県男鹿市、埼玉県秩父市、千葉県鴨川市、新潟県三条市、長野県伊那市および佐久市、兵庫県西脇市、和歌山県橋本市および新宮市などがある。これらの自治体では合併協定書に「旧市の市歌継承」を明記するか、新設合併後に市歌の扱いを検討した結果として継承(新市の告示による再制定)が選択された。

同名旧市が存在しない全くの新市の場合は協定書に「新市において調整する」等の申し合わせが含まれるのが通例であるが、合併から10年以上を経過しても財政上の問題や制定後の普及に対する懸念を理由として合意内容が履行されないまま放置されることも珍しくない。

合併で既存の自治体歌が失効した場合に特有の問題として、作詞・作曲者が著名な人物である場合の著作の亡失が挙げられている。浜松市の場合、横浜市と並んで森鷗外が作詞したことで有名だった旧市歌の廃止決定に対して旧市域の住民を中心に批判が存在した。

憲章歌[編集]

市町村や東京都の特別区が制定した自治体歌の他に「市民憲章」や「市民の誓い」他の自治憲章に関連して制定される楽曲が存在する。例えば京都市では「京都市歌」の他に「京都市市民憲章の歌」[4]、北九州市では「北九州市歌」とは別に市民憲章のうた「緑のまちにしませんか」が定められている[5]

札幌市の「市民の歌」は一般に市歌とみなされているが、市ではなく外郭団体の札幌市民憲章推進会議が制定主体とされる[6]

岩手県二戸市[7]、福井県あわら市[8]、鹿児島県垂水市では市民憲章の条文をそのまま歌詞に転用して曲を付けた「市民憲章の歌」が制定され、市歌に相当する楽曲の扱いを受けている。

主要な市・特別区・政令指定都市歌[編集]

ここでは都道府県庁所在地と政令指定都市を中心に掲載する。新宿区(東京都庁所在地)以外の特別区歌については区歌#東京都の特別区歌を、その他の各都道府県の市町村歌については#一覧を参照のこと。

  • 同名の旧市時代に廃止された市歌や新設合併で継承されなかった市歌が存在する場合は、便宜的に旧市の履歴を含めて現在の市歌をカウントする。背景が濃い灰色の楽曲は平成の大合併以前に同名旧市が制定し、新設合併により失効したままとなっていることを表す。

旧外地の市歌等[編集]

旧外地の自治体歌も参照。現在はすべて廃止されている。

市町村歌に関する記録[編集]

制定時期の古い市町村歌[編集]

現行のものに限る。

代替わりの多い市歌[編集]

新設合併により地方自治法上は別個の自治体として扱われる同名旧市が存在していた場合は便宜上、連続するものとしてカウントする。町村(市制施行した場合を除く)で3代以上の代替わりを行った事例は確認されていない。

同じ曲で歌詞を全面改訂した市歌[編集]

いずれも新設合併による。

カテゴリ:日本の市町村歌の一覧を参照。

注釈[編集]

  1. ^ 明治・大正期に作られた3代の市歌には制定の告示が無く、正規の告示を経た市歌としては現在の市歌が「初代」とされる。
  2. ^ ただし、富山市も新設合併により1952年(昭和27年)制定の旧市歌が失効した状態となっている。
  3. ^ 合併時に歌詞の「裏日本」が不適切であるとして問題視されたため、例規上は存続しているが2006年(平成18年)の新市歌制定後は演奏されていない。

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]