長老派教会 – Wikipedia
長老派教会(ちょうろうはきょうかい、英語: Presbyterianism, Presbyterian Church)は、キリスト教のプロテスタント、カルヴァン派の教派。長老教会、長老派、プレスビテリアンとも訳される。 歴史の長いプロテスタントの一派である。16世紀のスイスの宗教改革において、チューリヒのツヴィングリ派はブリンガーに引き継がれ、ジュネーヴのカルヴァン派との、チューリッヒ協定による改革派教会の合同が成立した際、教会制度はカルヴァンの長老制が採用された。カルヴァンは聖書の権威にしたがって、教会を治める「監督、長老、牧師」を区別しなかったと述べた。改革派の中心地は1520年から1560年にかけてチューリッヒからジュネーヴに移っていったと言われる[3] 。聖書によって改革され続けるという改革派の信仰は、ドイツ、フランス、オランダなどで広まったが、ジョン・ノックスによってスコットランドに伝えられ、この地で発展し、教会制度によって「長老派」(プレスビテリアン[Presbyterian])を名乗るようになる。ノックスは『戒規の書(訓練、規律書)』で、長老制がジュネーヴからではなく、聖書から直接来たものであると明言している[4]。 1567年にスコットランドの国教となり、その後にフリー・チャーチが分離した。大陸の改革派とイギリスの長老派はそれぞれ信仰告白を整備し、準拠する信仰告白によって呼び分けられるようになる。ピューリタン(清教徒)のうちトマス・カートライトはイングランド国教会の監督制を否定し、長老制を主張した。長老派のウェストミンスター信仰告白は1647年にスコットランド議会で採択され、1648年、イングランド議会でも採択された[5]。ニュージーランドにおいては主流的存在である。 ウェストミンスター基準に準拠せず、大会、中会、小会を持たなくても、「長老派」「長老教会」を標榜する例は、日本、韓国、台湾などに散見される。現時点での日本においてスコットランドにおけるがごとくの規模の長老会を持つ教会は存在しない[6]。 長老派は、聖書の「使徒行伝」(使徒の働き)14章23節、20章17節、「テトスへの手紙」1章5節に由来する。新約聖書が書かれたギリシア語の πρεσβύτερος(presbyteros プレスビュテロス)は、長老と言う意味である。 教父たちの間では、長老職(カトリック教会で言う司祭)と司教(主教)職は同一視されており、時代が下るまで区別されなかった。長老たちが複数いるということは、教会政治の基準であるからである。[7] 教父ヒエロニムス(347年 – 420年)は、「テトスへの手紙」4章で、以下のように述べている。「長老というのは、主教と同一である。悪魔の影響によって党派が増える以前、教会は長老会によって、治められていた。」 教父ヨハネス・クリュソストモス(349年 – 407年)の “Homilia i,
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