高山市図書館 – Wikipedia
高山市図書館(たかやましとしょかん)は、岐阜県高山市馬場町二丁目にある公立図書館。本館は高山市近代文学館および高山市生涯学習ホールとの複合施設である高山市図書館「煥章館」(たかやましとしょかん「かんしょうかん」)[注 1]内にあり、9つの分館を設置して日本一面積の広い高山市で図書館業務を行っている[3]。 煥章館にある本館と分館の一部は図書館流通センターが指定管理者として運営する。2004年(平成16年)の煥章館への移転以降、高い利用水準と利用者満足度を維持しており[3]、古典を講読する「煥章館セミナー」を開催するなどして市民の読書と生涯学習を推進している。 教育会運営期(1906-1943)[編集] 高山市図書館の歴史は、1906年(明治39年)2月に開館した戦捷記念高山図書館までさかのぼる。高山の町は金森長近が整備した高山城とその城下町を基礎とし、その後の幕府直轄領時代に京都と江戸の気風を反映した文化が栄えたところであり、人々の熱い思いを受けての開館となった。 1900年(明治33年)に大野郡高山町の教育者ら有志12人が東宮殿下御成婚記念事業として通俗図書館を設立する件を建議し、同年5月3日に高山町会は図書館の建設に対して補助を行うことを議決した。1905年(明治38年)11月2日には大野郡中部教育会が図書館創立委員8人を任命し、高山町へ諮問を行うなどの運動を展開した。同月、高山女子尋常小学校に図書館を置くことが決定している。こうして大野郡中部教育会の運営する私立図書館として1906年(明治39年)2月に戦捷記念高山図書館が開館した。大野郡中部教育会は書籍の購入費が十分でなく、設立趣意書を配布し、住民有志に賛助を求めた。 1908年(明治41年)7月、運営者の大野郡中部教育会は高山町教育会に改称した。1909年(明治42年)、高山町教育会は予算規模拡大が決まり、毎年図書購入費として約140円を支出することになった。1912年(大正元年)には荏野文庫1,400冊を購入、蔵書は倍以上の2,291冊に増加した。翌1913年(大正2年)9月20日、大野郡教育会施設図書館が創立され、戦捷記念高山図書館の蔵書や設備一式を大野郡教育会施設図書館に移した[注 2]。1914年(大正3年)11月30日、御大典記念として大野郡公会堂が城山三の丸に建設され、図書館はその1階に移った[14]。この時の大野郡公会堂は「仮開館」という形であり、1915年(大正4年)4月23日に落成式を挙行している。 1916年(大正5年)4月17日より、夜間開館を開始する。1923年(大正12年)4月に郡制が廃止されたことに伴い、高山町図書館に改称し[注 3]、高山町教育会の運営に戻った[注 4]。1929年(昭和4年)、高山町教育会は荏野文庫の整理・分類を行い、目録を作成した。翌1930年(昭和5年)2月11日には成績優良として文部省から選奨された。同年9月22日には蔵書目録を作成し、約800冊を頒布した。 1931年(昭和6年)4月10日、高山町に本籍を置く東京府牛込区在住の塚越正之助から332冊の図書の寄贈を受け、「塚越文庫」が設立された。同年の開館日数は前年比6日増の289日、閲覧人数は前年比5,993人増の10,762人であった。その後、高山町は大名田町と合併して市制施行し高山市となったことで、高山市図書館に改称する[注 5]。 高山市直営期(1943-2004)[編集] 1943年(昭和18年)4月1日、高山市図書館が教育会から高山市へ移管され、市では新たに館則を制定し、職員を任命した[注 6]。当時の蔵書数は5,539冊である。岐阜県で第二次世界大戦以前に設立された市町村立図書館は高山市図書館以外には岐阜市立図書館、大垣市立図書館、羽島市立図書館、蛭川村立済美図書館(現・中津川市立蛭川済美図書館)の4館しかなく、飛騨地方では唯一であった[14]。当時の図書館の活動として特筆すべきは、1944年(昭和19年)8月に始まった婦人読書会である。婦人読書会は月に1回、図書館が会費を徴収して会員に1冊回し読みさせるというもので、戦中という厳しい情勢でも市民の教育熱・文化熱の熱さを窺うことができる。 戦後間もない1949年(昭和24年)、読書サークル「紙魚の会」が発足し、名作を読む月例読書会の開催、年報の発行、文学散歩の企画などの活動を2008年(平成20年)まで継続し、図書館活動を支えることになる。1951年(昭和26年)度の蔵書数は7,663冊で年間290日開館し、34,133人が閲覧に訪れ、156,675冊が閲覧に供された。当時、高山市教育委員会が管轄していた社会教育施設は図書館と公民館だけであった。なお戦前から戦後間もない頃、古瀬文庫や角竹飛騨史料文庫など研究者向けに資料を公開する個人文庫が高山市内に点在していた。 1959年(昭和34年)9月1日に、火曜日と金曜日に19時から21時まで図書館を開く夜間開館を開始、1962年(昭和37年)9月には姉妹都市のアメリカ合衆国・デンバーから贈られたインディアンの女性民族衣装、カウボーイハット、現地の風景写真などを展示するデンバー室を設置し、市民に公開した。1969年(昭和39年)8月7日、高山市民会館北側の別棟に移転し、1階を書庫、2階を閲覧室として供用開始した。 1976年(昭和51年)10月31日、市制40周年記念事業の一環で進められていた新図書館の整備が完成、11月3日の文化の日から一般利用を開始した。図書館の建物は民間企業の社屋を改修したもので、鉄筋3階建て延床面積1,100m2で工費は4000万円だった。古い街並みの残る上二之町に立地(現・飛騨高山まちの体験交流館)したことから周囲になじむよう外壁の塗装は茶色系で統一し、前庭の植栽や自然石の配置により落ち着いた雰囲気作りが行われた。高山市の図書館整備に呼応して、高山市文化協会は「1冊の本寄贈運動」を同年10月に展開し、中でも北村兵四郎は4,000冊の寄贈を行った。また武田貞之は同年9月に自身の1973年(昭和48年)の日展入選版画『いらか』を寄贈した。新館は約21,000冊をもって出発し、1階に児童閲覧室・視聴覚室・書庫、2階に中高生閲覧室・書架・事務室、3階に一般閲覧室を設けていた。また市制40周年記念協賛事業として11月3日から11月7日まで名誉市民の瀧井孝作展を開催し、瀧井の手書き原稿、色紙、著書など約80点を展示した。旧図書館は高山市民会館の一部となり、大小のホールとして利用されることになった。 1990年代に高山市図書館を訪れた海野弘は、「石庭があったりして、風流な図書館」、「高山をさらに深く知るには、一時間でも、ここに来てほしいもの」と称賛している。また2階に郷土資料室があり、職員が休憩室代わりにコーヒーを飲むのに使っていたと記している。1996年(平成8年)、高山市図書館は『源氏物語』と漢詩を読む講座を開設した。この講座からは『源氏物語』を講読するサークルが3つ生まれ、別の古典を扱った講座が派生するなど後の図書館活動に大きな影響を与えた。煥章館への移転前の職員数は7人で、そのうち正規職員は4人であった。
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