Month: January 2020

高信太郎 – Wikipedia

高 信太郎(こう しんたろう、1944年9月19日[1] – )は、日本の漫画家、芸能評論家、タレント。愛知県蒲郡市出身[1]。本名は高橋信夫[1]。血液型はB型[1]。 公認候補者として所属した自由連合では文化局長を務めた。 1944年、左官の家に生まれる。県立蒲郡高校在学中の1962年に兎月書房より貸本単行本『ゆり子の窓から』で漫画家デビュー[1]。当時のペンネームは高原信也だった[1]。卒業後は家業を継ぐ意志が無かったことから、上京し印刷会社へ勤務。後にあすなひろしのアシスタントも務めた[2]。 ナンセンス系の作品を執筆し、1980年前後にはマニア層からの強い支持を得る。 その一方で、演芸に対する造詣の深さを買われてテレビのバラエティ番組にアドバイザーとして関わり、自身もコメンテーターとして出演する機会が多かった。著書『ビートたけしの賞味期限』にあるとおり、初期のビートたけしのブレイン役だったが、のち、たけしに切り捨てられた。 芸能人との個人的つきあいも多いが、小林信彦の「天才伝説 横山やすし」では、やすしの滞在先ホテルに居合わせた高の酔態が(小林が酔っ払いを嫌うこともあり)手厳しい描写で書かれている。やすしにただ酒をせびる酔っぱらいとして描かれていたが、実際の高は、酒席の勘定はすべて自分で持つ金払いの良い人物であった。主宰していた野球チーム「ハイボーズ」(無名時代の伊集院静、ビートたけしが在籍)の打ち上げもすべて高のおごりだった。 また、韓国文化に興味を抱き、韓国に関する著書も多数刊行している。 1998年、第18回参議院議員通常選挙において自由連合公認で東京都選挙区より出馬するが、定数4に対し第10位で落選。2000年、第42回衆議院議員総選挙においても、東京都第3区より出馬するものの定数1に対して第7位で落選している。以後も自由連合のサイト上で1コマ・4コマ漫画を掲載していた。 だが、徳田毅の自民党入党に伴い自由連合が政党要件を失ったのに前後して、綿貫民輔・亀井静香ら郵政民営化法案に反対し自民党を離党した議員が結成した国民新党へ移籍。後に、国民新党のサイト上で4コマ「ふざけるな! 喝!」を不定期掲載した[3]。 4コマ漫画及び数ページ程度のギャグ漫画作品が大部分を占める。長編・大作の類いはない。 作風としては駄洒落とパロディが中心で、特に駄洒落には異常なまでにこだわりがあり、ほとんどのすべて作品が駄洒落でできている、と言える程。 博識で、特にSFに造詣が深くパロディ作品も多い。例えば『スター・ウォーズ』のパロディに「ゲターウォーズ」(下駄の国にクーツ・ベーラーを先頭に靴の国が侵略する)や「アホのヨーダはかく語りき」(アホースの使い手である老師ヨーダがその使い方について弟子のルーク・スカイアホカーに語る)などがある。また、特に若い読者層には理解が困難と思われる日本の古典芸能(特に落語)などもよくネタにする。 1980年に刊行された『幻想の明治』は、唯一の非ギャグ作品集で、明治に起った不思議なできごとをそのまま漫画にした異色作である。 怪人二重面相(1972年)青林堂

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エア・カナダ018便密航事件 – Wikipedia

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吉田大八 (映画監督) – Wikipedia

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “吉田大八” 映画監督 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年10月) よしだ だいはち吉田 大八 生年月日 (1963-10-02) 1963年10月2日(58歳) 出生地 日本 職業 映画監督 ジャンル

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京極政経 – Wikipedia

京極 政経(きょうごく まさつね)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名。室町幕府相伴衆、近江・出雲・隠岐・飛騨4ヶ国の守護。京極持清の3男。勝秀、政光は兄、高清は甥(弟とも)。姉妹に畠山政長室。子に経秀(材宗)。官位は従五位下大膳大夫。 次兄・政光と同様、室町幕府第8代将軍足利義政より偏諱の授与を受け、政経と名乗る。また、別名に政高(まさたか)。 応仁元年(1467年)に応仁の乱が起こると、父は細川勝元の率いる東軍に属して京都で戦い、翌年からは西軍に属した六角高頼と近江で戦うが、高頼との戦いの中文明2年(1470年)に病死する。長兄の勝秀は既に亡くなっており、甥で勝秀の嫡子と考えられている孫童子丸が家督を継ぐが、文明3年(1471年)に死去、跡目を巡って次兄の政光及び勝秀の子とも弟ともされる高清と家臣の多賀清直・宗直父子との間で争った(京極騒乱)。家臣の多賀高忠・六角政堯らの働きで一時は近江を制圧したが、文明3年に政堯が敗死、文明4年(1472年)9月に高頼及び美濃守護代格斎藤妙椿の援軍と合流した高清派に大敗、高忠と共に越前に逃れた。 文明5年(1473年)に出雲・隠岐・飛騨・近江守護職に任じられるが、高清との争いは継続しており、文明7年(1475年)10月には幕命を受け、高忠と延暦寺の僧兵・小笠原家長と共に観音寺城下で高清・多賀清直父子・六角高頼と戦い大勝するが、11月になると西軍に属した土岐成頼、斎藤妙椿らの軍が高清軍へと加わり、最後は敗れる。文明9年(1477年)に応仁の乱が終わると、翌年には近江守護を解かれ、六角高頼が再び任命された。 文明14年(1482年)に室町幕府から出雲と隠岐において父の代から免除されていた税を要求されるが、守護代の尼子経久がこれに従わず、政経は翌々年に幕命を得て出雲の豪族に経久を追放させ、塩冶掃部介を新たな守護代として月山富田城に派遣する。しかし、文明18年(1486年)に月山富田城は経久の奇襲により奪い返されてしまったとされる。同年7月に息子の材宗と共に出雲から上洛、このとき多賀宗直が政経と結んで高清に反乱を起こすも、翌長享元年(1487年)5月にこれを討ちとった。 長享2年(1488年)8月に近江松尾(伊香郡)で高清と衝突、敗れて家臣の多賀経家と共に伊勢梅津へ逃れたが、翌延徳元年(1489年)に近江国人衆の協力を得て高清を追放、延徳2年(1490年)に幕府から京極氏当主と近江守護に補任されるが、2年後の明応元年(1492年)12月に10代将軍足利義稙に家督を取り上げられ、高清に与えられる。理由は政経が配下の国人衆の寺社領横領を止められなかった事が義稙の怒りを買ったためと見られる。さらに翌年の明応の政変で立場が逆転して政経が復帰、没落した高清は舅の斎藤妙純の支援で北近江に進出、政経はかつての敵・六角高頼と結んで内乱を再開。 しかし、美濃の内乱(船田合戦)を制した斎藤妙純が近江に出兵、政経は敗れて出雲へ下向した。材宗は近江に残って高清への抗戦を続けるも永正2年(1505年)に和睦、永正4年(1507年)に高清に討ち取られ、北近江は高清、南近江は高頼が領有することになった。 没年に2つの説があり、佐々木文書では永正5年(1508年)10月25日に孫の吉童子丸(材宗の子)へと家督を譲り、出雲安国寺で56歳で亡くなったとされているが、西讃府史では文亀2年(1502年)10月23日に50歳で亡くなったとされている。晩年は尼子経久とも和解し出雲に在ったとされ、経久に吉童子丸の身を託したとされる。京極氏代々の事跡を集めた佐々木文書はここで尼子氏の手に移ったとされる。 吉童子丸のその後の行方は分かっておらず、出雲は戦国大名となる経久の領国となる。 偏諱を与えた人物[編集] 参考史料[編集] 関連項目[編集]

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イン・ザ・トール・グラス -狂気の迷路- – Wikipedia

『イン・ザ・トール・グラス -狂気の迷路-』(原題:In the Tall Grass)は2019年に配信された米加合作のホラー映画である。監督はヴィンチェンゾ・ナタリ、主演はパトリック・ウィルソンが務めた。本作はスティーヴン・キングとジョー・ヒルが2012年に発表した短編小説『In the Tall Grass』を原作としている。 カンザス州。ベッキーとカルの姉弟は広大な草むら―そこに生えている草は大人の背丈ほどもあった―の中から助けを求める少年の声を聞き、草むらの中へと分け入っていった。2人はすぐ少年を見つけられると思っていたが、なかなか見つけられず、歩き回っているうちに自分たちも道に迷ってしまった。しかも、2人は離ればなれになってしまった。事ここに至り、2人は草むらの異様さに気が付いたが、既に手遅れであった。 キャスト[編集] 2018年5月8日、Netflixがスティーヴン・キングとジョー・ヒルの短編小説『In the Tall Grass』の映画化に着手しており、ヴィンチェンゾ・ナタリが監督に起用されたとの報道があった[1]。その際、ジェームズ・マースデンに本作への出演オファーが出ているとも報じられた[2][3]。8月7日、スケジュールの都合でマースデンが降板することになり、代役としてパトリック・ウィルソンが起用されたとの発表があった。また、ライズラ・デ・オリヴェイラとハリソン・ギルバートソンがキャスト入りした[4][5]。2019年9月11日、マーク・コーヴェンが本作で使用される楽曲を手掛けることになったと報じられた[6]。 撮影[編集] 2018年7月30日、本作の主要撮影がカナダのトロントで始まった[7]。撮影はオンタリオ州のパース・サウスやエルミラでも行われた[8][9]。 公開・マーケティング[編集] 2019年9月18日、本作のオフィシャル・トレイラーが公開された[10]。20日、本作はファンタスティック・フェストでプレミア上映された[11]。 本作に対する批評家からの評価は伸び悩んでいる。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには40件のレビューがあり、批評家支持率は43%、平均点は10点満点で5.43点となっている。サイト側による批評家の見解の要約は「『イン・ザ・トール・グラス

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石川県道・富山県道75号押水福岡線 – Wikipedia

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アレクサンドロスに贈る弁論術 – Wikipedia

『アレクサンドロスに贈る弁論術』(アレクサンドロスにおくるべんろんじゅつ、希: Ρητορική προς Αλέξανδρον、羅: Rhetorica ad Alexandrum、英: Rhetoric to Alexander)は、アリストテレス名義の偽書の1つ[1]。内容や文体からアリストテレスから数十年後、紀元前4世紀末辺りのペリパトス派の人物による作品と考えられる[2]。 アリストテレスの『弁論術』を踏襲・抜粋・要約した内容が多い。 概要[編集] 序論と38の章から成る。 遠征中のアレクサンドロス大王から再三弁論術の教授を求められていたアリストテレスがそれに応じ、弁論術の要点を講義風に順序立てて説明する体裁になっている。 序論がアリストテレスからアレクサンドロスへの返答の手紙で、1章以降が弁論術の内容となる。 章別[編集] 序論 – アレクサンドロスへの手紙 —

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ブロックネット – Wikipedia

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草枕 – Wikipedia

『草枕』(くさまくら)は、夏目漱石の小説。1906年(明治39年)に『新小説』に発表。「那古井温泉」(熊本県玉名市小天温泉がモデル)を舞台に、作者・漱石の言う「非人情」の世界を描いた作品である。 「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。」という一文に始まり、「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と続く冒頭部分が特に有名である。初期の名作と評価されている。 あらすじ[編集] 日露戦争のころ、30歳の洋画家である主人公が、山中の温泉宿に宿泊する。やがて宿の「若い奥様」の那美と知り合う。出戻りの彼女は、彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面、「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもあった。そんな「非人情」な那美から、主人公は自分の画を描いてほしいと頼まれる。しかし、彼は彼女には「足りないところがある」と描かなかった。ある日、彼は那美と一緒に彼女の従兄弟(いとこ)で、再度満州の戦線へと徴集された久一の出発を見送りに駅まで行く。その時、ホームで偶然に「野武士」のような容貌をした、満州行きの為の「御金を(彼女に)貰いに来た」別れた夫と、那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあった。そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を横で主人公はみてとり、感じて、「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」という筋を背景に、漱石の芸術論を主人公の長い独白として織り交ぜながら、「久一」や「野武士(別れた夫)」の描写をとおして、戦死者が激増する現実、戦争のもたらすメリット、その様な戦争を生み出す西欧文化、それに対して、夏にまで鳴く山村の鶯(ウグイス)、田舎の人々との他愛のない会話などをとおして、東洋の芸術や文学について論じ漱石の感じる西欧化の波間の中の日本人がつづられている。また、漱石がこだわった「探偵」や「胃病」が脈絡無くキーワードとしてでる。 「西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。」 「うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。…超然と出世間的(しゅっせけんてき)に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏(ひとりゆうこうのうちにざし)、弾琴復長嘯(きんをだんじてまたちょうしょうす)、深林人不知(しんりんひとしらず)、明月来相照(めいげつきたりてあいてらす)。ただ二十字のうちに優に別乾坤(べつけんこん)を建立(こんりゅう)している。…汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、全てを忘却してぐっすり寝込む様な功徳である。」と芸術を東洋(中国や日本)の自然の中の人間と西洋の人の中の人間としてそれを対比している。 “The Three-Cornered World” は、アラン・ターニー (Alan Turney) が草枕の英訳に付けた題名である。ターニーは序文で「直訳すると The Grass Pillow になるがそれでは意味をなさない為この作品のテーマと考えられる一部分を題名にした」といった意味の事を書いている。これは「三」にある「して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」を踏まえたものである。 日本の近代化(西洋文明の摂取)について[編集] 「二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛(うか)べてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。」と批判している。 制作時期に関して[編集]

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