ムーミンの登場人物 – Wikipedia

ムーミンの登場人物(ムーミンのとうじょうじんぶつ)では、小説『ムーミン』およびその派生作品に登場するキャラクターを解説する。 作者であるトーベ・ヤンソンは小説、絵本、新聞連載漫画、戯曲など様々なメディアで「ムーミン」シリーズの作品を発表したが、共通する登場キャラクターであってもその性格付けやキャラ関係などが作品ごとに異なることがよく見られ、一度あるメディアで発表した作品を別のメディア向けに書き直す場合、ストーリーラインさえ大幅に変更していた。さらにアニメーションなどの二次著作においては、第三者の意図によりさらなる改変が加えられている。したがって登場人物について解説を加える際、どの作品に準拠しているのかを明確にしないとしばしば咬み合わない。本項目は現在、小説版、コミックス版、アニメ版、その他の設定が必ずしも準拠する作品を明示することなく入り混じった表記になっているため注意が必要である。 ムーミン・シリーズには、ムーミンのほか、スノーク、ミムラ、ヘムル(ヘムレン)、フィリフヨンカ、クニット/はい虫(むし)などの架空の生物が登場する。下記に詳細を記すが、容姿が人に似ていても決して人ではないこれらの名称はその生物の種族名であるが、一部の名称については個人名や家族名のように使用されている。 なお、ムーミン・シリーズには他にも種族名や個体の名称や、姿の見えないキャラクターも数多く登場している。また、人のような外見のキャラクターも登場するが、基本的に人ではない別の生き物で、小さかったり、尻尾が生えていたりする[注釈 1]。 以下の説明中の声優名は、「1969年・1972年版ムーミン」 / 「楽しいムーミン一家」「楽しいムーミン一家 冒険日記」「楽しいムーミン一家 ムーミン谷の彗星」「劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス」(2015年) / 「2009年劇場版[注釈 2]」 / 2019年3月16日開業「ムーミンバレーパーク」アトラクションでの担当声優[1] / 「ムーミン谷のなかまたち」(2019年)[2]、の順に表記している。声優名の記載がない場合は同キャラクターについて声優がいない、あるいはその作品には未登場であることを意味する。1979年版のパペットアニメーションは、始めは全てのキャラクターを、岸田今日子が1人で吹き替えを演じてCSで放送されていた。この後2009年版を再編集をし、女優の松たか子と俳優の段田安則の2人で全ての役を演じたバージョンは2012年にNHKBSプレミアで放送された。 そのほか、絵本が原作の紙芝居ふうのアニメ作品がある。日本で発売されたDVDソフト「それからどうなるの」、「さびしがりやのクニット」の原語のナレーションはトーベ自身が担当、日本語の吹き替えは小泉今日子が1人で全てのキャラクターを演じたほか、いくつかのバージョンがある。アニメーションの絵もトーベ自身の絵本の絵が用いられていた。2012年にも3話になり、再発売された。 主要人物[編集]

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西尾忠成 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “西尾忠成” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年11月) 西尾 忠成(にしお ただなり)は、駿河田中藩の第2代藩主、後に信濃小諸藩主、遠江横須賀藩初代藩主。横須賀藩西尾家4代。絵画に秀でた文化人であった。 田中藩主[編集] 承応2年(1653年)、田中藩の初代藩主西尾忠昭の長男として生まれる。承応3年(1654年)に父が死去したため、家督を継ぐ。このとき、忠成が幼少のため幕命により叔父の忠知に後見役が命じられ、かつ5000石を分与したため2万石の大名となった。寛文元年(1661年)3月8日初めて将軍徳川家綱に御目見し、寛文7年12月28日(1668年)に従五位下、隠岐守に叙任される。 延宝3年(1675年)に忠知が死去したため、5000石が幕府より還付され、再び2万5000石の大名となる。延宝7年(1679年)9月6日、信濃小諸に移封された。 小諸藩主[編集] 小諸藩では、前藩主である酒井忠能の失政を改めるべく努力したが、3年後の天和2年(1682年)3月9日、遠江横須賀に移封された。 横須賀藩主[編集] 天和2年(1682年)、幕府より遠江国見付宿での朝鮮通信使の饗応役を命じられている。 横須賀藩では、城下町を近世的に整備するなどしたが、宝永4年(1707年)の宝永地震で横須賀湊が塞がるなど、災難も重なった。正徳3年(1713年)7月23日、四男の西尾忠尚に家督を譲って隠居し、同年10月13日に江戸外桜田において死去。享年61。

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広島広域公園 – Wikipedia

広島広域公園(ひろしまこういきこうえん)は、広島県広島市安佐南区の西風新都内にある都市公園(広域公園)である[1]。運動施設が充実している。施設は広島市が所有し、広島市スポーツ協会が指定管理者として運営管理を行っている。 1994年の第12回アジア競技大会広島大会と、1996年の第51回国民体育大会秋季大会「ひろしま国体」のメイン会場として1992年に開場。 同年AFCアジアカップ1992で杮落とし。 陸上競技場は1994年以降(公式なJリーグへの移転届出は1996年)サンフレッチェ広島の本拠地となる。また、毎年4月下旬には織田幹雄記念国際陸上競技大会が開催されている。 第1球技場はラグビー・サッカーの競技場として、第2球技場はサッカー・ホッケーやアメフト会場、 テニスコートではピースカップが毎年開催など、多くのイベントが行われている。 2009年、ヒロシマ・オリンピック構想において、ここを中心とする半径10kmを「西風新都ゾーン」として競技場を整備する計画が挙がった。 陸上競技場のみ命名権をエディオンに売却し、2013年から「エディオンスタジアム広島」としている。 広島広域公園第一球技場 広島広域公園第二球技場 開催された主な大会・イベント[編集] 主なスポーツイベント[編集] 陸上競技[編集] サッカー[編集] コンサート[編集] 1995年8月 Mr.Children-Hounen Mansaku- 夏祭り1995 空[ku:](第一球技場にて開催) 2002年7月20日 B’z

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シャーマンキングの登場人物 – Wikipedia

シャーマンキングの登場人物(シャーマンキングのとうじょうじんぶつ)は、武井宏之による漫画、およびそれを原作にしたテレビアニメ『シャーマンキング』に登場する架空の人物の一覧。 担当声優はテレビアニメ第1作(2001年版)・ドラマCD版・PS2版 / テレビアニメ第2作(2021年版)の順に記載。1人しか記載されていない場合は同一のキャスト。 主要人物[編集] 麻倉 葉(あさくら よう) 声 – 佐藤ゆうこ / 日笠陽子[1][2] 1985年5月12日生まれ。牡牛座のA型。好物はカレーうどん。趣味は音楽鑑賞。日本・島根県・出雲市出身。 本作の主人公。頭のヘッドホン、首に掛けた熊のツメと木製の便所サンダルがトレードマーク。一人称は「オイラ」[注 1]。「楽に生きられる世界」を作るためシャーマンキングを目指す。自他共に認めるユルい性格ではあるが、戦う時は冷静な性格になる。口癖は「なんとかなる」。双子の兄であるハオは千年に亘る因縁の敵であるが、彼の心の奥底にある孤独や苦しみを斟酌し、何とかして救いたいと考えている。作中で、唯一本気で怒ったのはファウストとの対戦時のみであるが、自分勝手な理由で仲間を傷つけたリゼルグや、蓮の命を奪うよう指示したニクロム、チョコラブの命を奪ったルドセブに対し鋭い目つきで睨み付けたこともある(アニメでは、一度チョコラブのギャグに激昂した様子を見せたことがある)。好きな歌手はボブ。好きなブランドはユリイカ。シャーマンとしての精神の強さは“優しさと何が起きても動じない心”。麻倉家及び自身とハオの関係の深さや、ガンダーラの「五人の戦士」の一人に選ばれたことなどにより、あらゆる陣営のあらゆるシャーマンから色々な意味で注目を集める存在である。 幼少よりシャーマンキングになるために祖父・葉明から修業を受けていた。日本有数のシャーマン一家である麻倉家の世継たる葉は町中から「鬼の子」として忌み嫌われ、人間の友達が1人もおらず、孤独な日々を送ったが、それでも「霊の見える奴に悪い奴はいない」と固く信じている。その一方で、実は人間不信ゆえに「それほど人間のことが好きではない」ということをGS内でのハオとの会話で明かしている。13歳で出雲から単身上京し、シャーマンファイトに参加する。作中中盤において、死亡した蓮を蘇生させるため、一度はシャーマンファイトを辞退するも、ハオからの命令と、自らの未練により復帰。その後も順当に勝ち上がっていき、ムー大陸での最終決戦時は五人の戦士の一人として仲間と共にハオを倒す役目を担う。 S.F.より7年後は、森羅学園卒業後、ハオとの約束を守り、未来のために愛と平和「Love&Peace」を広めるべく、アンナと共に世界中の無法区域を渡り歩き、「大地の交渉人」と呼ばれる程の人物となっているが、大国の首脳陣や独裁者からは危険視され、戦争による利益を求める人物からは命を狙われてもいるようである。日本に帰国後、かつて共にハオと戦った4人と6歳になった息子の花と再会し、その際に花に金的攻撃を受けている。後にまん太とも、ふんばり温泉で再会した。 ゲームではハオではなく葉がシャーマンキングになるエンディングがある。 持霊は侍の霊・阿弥陀丸。また、多少式神を扱える。オーバーソウル(以下O.S)の媒介は阿弥陀丸の愛刀「春雨」。後に「フツノミタマノツルギ」(刀の神の剣)を加えた二段媒介による巨大な刀「スピリット・オブ・ソード」を会得。なお、スピリット・オブ・ソードの形状はマタムネの鬼殺しを参考にしており、巫力消費が激しい。なお、アニメでは縮小することで巫力の密度を高めることも可能。さらに修行で甲縛式O.S「スピリット・オブ・ソード白鵠(-びゃっこう)」を開発している。白鵠のモデルは葉が昔から心惹かれていた白鳥。元々はO.Sの存在を知らず憑依合体を主な戦闘手段としていたため、「真空仏陀切り(しんくうブッダぎり)」を始めとする阿弥陀丸の阿弥陀流剣術の数々の技が体に染み付いており、O.S会得後もこれらを得意技としている。後に相手の巫力をO.Sから放つ光で無効化しつつ攻撃する“浄”の技「無無明亦無(むむみょうやくむ)」を阿弥陀丸と共に編み出した。持霊になる五大精霊はスピリット・オブ・アース(S.O.E)で、『シャーマンキングFLOWERS』での描写からシャーマンファイト以後も持霊として連れていることが分かる。巫力は270(予選時)→1万500(本戦参加時)→10万8,000(ハオ追跡時)。

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鉄道博物館駅 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “鉄道博物館駅” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年9月) 鉄道博物館(大成)駅(てつどうはくぶつかんえき)は、埼玉県さいたま市大宮区大成町三丁目にある埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)の駅である。駅番号はNS02。 開業時の駅名は大成駅(おおなりえき)だった。なお、改称後も副称として括弧併記されている。 なお、1906年(明治39年)から1941年(昭和16年)まで(旧)西武鉄道(開業当時は川越電気鉄道)が西武大宮線の駅として(旧)大成駅を設置していた。これは、現在の大宮駅の西側約500 m、現在のさいたま市大宮区桜木町四丁目にあたり、当駅からは1 km以上離れている。 鉄道博物館開業に伴う駅名変更・施設改良について[編集] 東日本旅客鉄道(JR東日本)と東日本鉄道文化財団は、2007年10月14日に鉄道博物館を当駅の東側の隣接地に開館した。 同館の開業に併せ、JR東日本は出資している埼玉新都市交通に対し、当駅の名称を「鉄道博物館駅」など利用者に分かりやすく変更するように打診した。これに対して、地元自治会からは駅名存続の要望が出されていたが、2006年12月末に埼玉新都市交通は「鉄道博物館駅」に改称し、「大成」は副駅名称として括弧表記にて残すことを決定した。さらに、さいたま市では同年度に13億円の予算を組み、2年をかけてバリアフリー対応や駅前整備事業を実施し、駅コンコースから博物館エントランスまでが一体的に整備された。 相対式ホーム2面2線を有する高架駅。東北・上越新幹線の高架軌道を挟んで位置する。改札口は内宿駅側にある。 2007年3月18日の「Suica」供用開始にあわせて、ニューシャトルの中間駅では初めて自動改札機(3通路)が設置されたほか、液晶型の発車標も設置された。 駅の前後は上下線とも勾配になっており、新幹線高架よりも数メートル(路盤面基準)低くなっている。 鉄道博物館のエントランスと一体化した構造のコンコースは広々としており、改札内には自動販売機を備えた休憩室やコインロッカーがある。余裕のある空間を活かしてニューシャトルに関連した展示がなされている。 のりば[編集]

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武久源造 – Wikipedia

武久 源造(Genzoh Takehisa、1957年7月27日[1] – )は愛媛県松山市生まれの鍵盤楽器奏者、チェンバロ奏者、フォルテピアノ奏者、オルガン奏者、古楽器奏者、クラヴィコード奏者、研究者、作曲家。指揮者。1998~2010年3月フェリス女学院大学音楽学部器楽科及び同大学院講師。現在、国立音楽大学客員講師。 略歴・人物[編集] 2000年、古楽器グループコンヴェルスム・ムジクムを結成・主宰し、指揮・編曲活動にも力を注ぎ、常に新しく、また充実した音楽を追求し続けている。02年から毎年、韓国からの招請による「コンヴェルスム・ムジクム韓国公演」を行い、両国の音楽文化の交流に大きな役割を果たした。さまざまな編成でヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ヴィヴァルディ、シュッツ等をレパートリーにする他、チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり様々なレパートリーを持つ。特にブクステフーデ、バッハなどのドイツ鍵盤作品では、その独特で的確な解釈に国内外から熱心な支持が寄せられている。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。音楽的解釈とともに、楽器製作の過程についても造詣が深く、楽器の構造的特色を最大限に引き出す演奏が、楽器製作家たちからも高く評価されている。オルガン、チェンバロのソロ活動も多く行い、現代作品演奏、即興演奏も行っている。 2005年より鍵盤楽器の新領域とも言えるシンフォニーのピアノ連弾版に取り組み多方面から注目を集めている。学生時代から数多く放送に出演し、演奏やレクチャー、解説などを担当した。特に、06年NHK第一ラジオ「ときめきカルチャー」コーナーに年間を通して出演。その後もNHKのカルチャー・ラジオのシリーズで何度かレクチャーを務める。 2011年7月、ドイツ・シュタインスフェルトでのバジリカ・オルガンを使ったコンサートでは、山口眞理子との共演で、自作の「アクア・ベリターティス」を発表。好評を得る。 2013年、ラモーの抒情喜劇『レ・パラダン』の日本人による初演を指揮して、絶賛を博する。また、近年、毎年、ヨーロッパ各国(ドイツ、リトアニア、アイスランド、スウェーデン等)で、即興演奏を含む多彩なプログラムによって、オルガン、チェンバロ、ピアノその他の楽器を使った・コンサートを行い、注目を集めている。 2015年、ジルバーマン・ピアノによるバッハ作曲「パルティータ」の世界初の全曲録音をリリース。 2016年3月には、2度目のゴールトベルク変奏曲の録音をリリース。ここでは、日本で初めて16ft弦付チェンバロによって、ゴールトベルクの新しい可能性を切り開いている。さらに、同年、市瀬玲子との共演によって、バッハのガンバ・ソナタ全曲を、ジルバーマン・ピアノとチェンバロを使い分けて録音し、発表。 2017年4月、やはり、ジルバーマン・ピアノとペダル付チェンバロを使い分けて、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》全曲録音を始動。4部作の第一~四弾全曲を2019年8月完成発表。その際、従来誤訳として議論されてきた《平均律》を《適正律》と改め、「適正律クラヴィーア曲集」とした。 古楽コンクール(97年、2001年、甲府)他多数、国際チェンバロ製作家コンテスト(1991年、米アトランタ)等で審査員を歴任。 コジマ録音を中心に演奏発表するほか、作曲も手がけている。 91年よりプロデュースも含め40作品以上のCDをALMRECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1~9)、チェンバロによる「ゴールトベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集Vol.1」、オルガン作品集「最愛のイエスよ」、「バッハの錬金術Vol.2 #1/4#2/4#3/4 #4/4 適正律クラヴィーア曲集 第1集・第2集

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エミエミ – Wikipedia

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郡修彦 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “郡修彦” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年7月) 郡 修彦(こおり はるひこ、1962年(昭和37年)7月 – )は、日本の音楽史研究家、SPレコード(SP盤、78s)の復刻技術者。復刻だけでなく、徹底した文献調査を行い、詳細な解説書の執筆も常としている。専門分野はクラシックレコードと日本の流行歌・軍歌・愛国歌。郡音楽事務所代表。 メンゲルベルクの有名な、チャイコフスキーの「悲愴」の復刻音源が、長年にわたって1937年版と1941年版のミックスであったことを、世界で最初に発見・指摘し、「レコード芸術」誌に発表したところ、誌上にて編集部に絶賛され話題となった。また、山田耕筰の作品および演奏録音を集成したCD14枚組の大作も、世界の音楽史における最大の功績の1つとしてあげられる。 1990年ごろから、SPレコード誌に藤原義江唯一の私家盤『景雲荘の歌』をめぐってなど複数の記事及び作品紹介が掲載される。古賀政男、山田耕筰などの人物から、一曲一曲、レコードの時代背景まで幅広いジャンルを扱っている。また、2000年代に「昭和館だより」を連載(現在は終了)。 SPレコードの発売時期により、戦前のラジオ体操には一つの型に複数の伴奏音楽が存在した事実を、1998年5月22日にキングレコードから発売された「NHKラジオ体操第1/第2」(KICG-180)の解説にて明らかにした。これは、従来のラジオ体操の文献には登場しない新事実であった。また、このCDでは終戦直後に制定された二代目のラジオ体操3作を復刻し、本放送以降初めて耳にできる貴重な機会を供した。 古賀政男の楽曲の復刻にも力を入れ、1998年7月に日本コロムビアから発売された16枚組では、従来から劣悪な音質で不評であったテイチク時代の代表作品を、すべて復刻し直した。さらに2004年には、1977年にテイチクからLP8枚で発売された作品集の全曲に、追加楽曲を加えた6枚組のCDの復刻を担当。使用音源の詳細なデータは、古賀政男の足跡を知るうえで重要とされている。 キングレコードが1998年から不定期発売している「…のすべて」シリーズでは、SPレコード音源の復刻と録音データの調査を担当。新復刻音源はもとより既復刻音源の見直しにも力を入れ、2008年3月発売の「さくらさくらのすべて」では、三浦環・宮城道雄・貴志康一の諸作品を再復刻している。 2001年11月26日発売の「音楽家人名事典-新訂第3版」(日外アソシエーツ株式会社)の「音楽教育・研究・評論」の項目に掲載あり。

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松平重勝 – Wikipedia

松平 重勝(まつだいら しげかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。越後国三条藩主、下総国関宿藩主、遠江国横須賀藩初代藩主。官位は大隅守。能見松平家4代。 松平重吉の四男(異説有り)として誕生。母は松平親長の娘(異説有り)。 徳川家康に仕えて初期の大番頭を務め、慶長10年(1605年)に伏見城の守護、慶長17年(1612年)に、家康の六男・松平忠輝の附家老となり、越後高田藩を支配した忠輝の配下として越後三条2万石を与えられる。長男・重忠は将軍家で大番頭を務めていたため、次男・重長を手元に置いた。 後年、元和2年(1616年)7月に主君・忠輝が改易となるが、その際、蟄居処分を伝える使者となったのが三男・重則で、改易の上使を務めたのが五男・勝隆だった。勝隆は、高田より先に三条の父兄の元を訪れ、忠輝除封を報告した。そののちの高田における除封申し渡しでは重勝は重長共々、息子、弟といえども上使の勝隆に伏し従う形だったと伝わる。 忠輝の改易後は連座せず幕府に召し返されて徳川秀忠に仕え、翌元和3年(1617年)に譜代大名として2万6,000石を拝領して下総関宿藩主となった[1]。その後元和5年(1619年)遠江横須賀藩に移り、駿河国駿府城の城代を兼務する。 元和6年(1620年)に駿府城下にて死去。享年72。法名「松岳院殿雄誉助白大居士」。墓所は現在の静岡県静岡市葵区大鋸町の西福寺に存在する。 嫡男・重忠が跡を継いだ。 ^ 白根孝胤「徳川一門付家老の成立過程と駿府政権」1999年3月(『徳川林政史研究所研究紀要33』)

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クーデルカ (ゲーム) – Wikipedia

『クーデルカ』(KOUDELKA)は、1999年12月16日にSNKから発売されたPlayStation用ゲームソフト。 物語の舞台は1898年10月31日のイギリス・ウェールズのネメトン修道院。 世界観としては「クトゥルフ神話」「ケルト神話」、ウェールズ民話集『マビノギオン』『ヴォイニッチ手稿』など、イギリス及びアイルランド伝承の創作物語や古文書、宗教などをモチーフにしたゴシックホラーである。 ゲームジャンルは「RPG」だが、『バイオハザード』のように建物の中(フィールド)を探索して歩き回り、敵(クリーチャー)と遭遇したときの戦闘はターン制のシミュレーションRPGとなっている。 イベントシーンやムービーはモーションキャプチャ技術を駆使し、モーションキャプチャの演者の動作を4人同時にキャプチャリングしてCG(コンピュータグラフィックス)のデータに落とし込む、世界初の試みが成功した。また、ムービーのアフレコ時の唇の動きとセリフを同期させ、「リップシンク」と呼ばれるCG技術を本作のムービーにいち早く導入した。これはゲーム業界において日本初の試みである。 ゲーム中に登場する人物や事件のいくつかは、実在の人物や事件を基としている。例を挙げると、プレイヤーキャラクターの一人であるエドワードは若き日のロード・ダンセイニであり、シャルロッテの母はゾフィア・ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルクである[1]。なお、舞台となるネメトン修道院はセント・デイヴィッド大聖堂がモデルであり、ネメトン修道院の創設者である聖人ダニエル・スコトゥス・エリウゲナはヨハネス・スコトゥスの弟であると『クーデルカ公式パーフェクトガイド』のコラムに記載されている。また、実在のものではないが、ゲーム中に登場する最強の剣「サクノス」(開発元の会社名でもある)は、ダンセイニの短編『サクノスを除いては破るあたわざる堅砦』に登場する同名の魔剣に由来している。 本作から15年後である1913年の別大陸の世界を描いているのが『シャドウハーツ』である。本作の企画者の菊田裕樹は『シャドウハーツ』の開発に関与していないが、本作の美術監督だった板倉松三が監督・脚本を手がけている。 登場キャラクター[編集] 声優表記は「ゲーム版 / ドラマCD版」。 メインキャラクター[編集] クーデルカ・イアサント(Koudelka Iasant) 声 – ヴィヴィアンナ・ベイトマン / 堀江由衣 本作の主人公。強力な霊力の持ち主。1879年ウェールズの片田舎、アバーノルウインの寒村に生まれる。気が強く、皮肉屋で口が悪い。エレインの強い霊力に導かれ修道院に訪れる。基本的に隙がないが、霊力で死者などの苦しみや悲しみを共有したことで自身も苦しむことから、そこを突かれて隙だらけになることも少なくなかった。細身だが堅牢な肉体を誇る。

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