セントピーターズバーグ (フロリダ州) – Wikipedia
セントピーターズバーグ(St. Petersburg)は、アメリカ合衆国フロリダ州西海岸に位置する都市。地元ではセント・ピート(St. Pete)と呼び表すことが多い。人口は25万8308人(2020年)で、ジャクソンビル、マイアミ、タンパに続いて州第4の都市である。近隣のタンパやクリアウォーターとともにタンパ・ベイエリア(英語版)と呼ばれる人口280万人の都市圏を形成している。 1年を通じて穏やかで温暖な気候であることから、同市は観光・保養都市として、また引退後の転居先として人気が高い。一方、政治的には共和党と民主党の勢力が拮抗しており、アメリカ大統領選挙において重要な地域のひとつである。 セントピーターズバーグはまた、ウィキメディア財団が本部を置いている都市でもある。 セントピーターズバーグは、デトロイト出身のジョン・C・ウィリアムズ(John C. Williams)とロシア人移民のピーター・デメンズ(Peter Demens)の2名によって創設された。ウィリアムズは1876年に土地を購入した一方で、デメンズはこの地に鉄道を引き、ターミナルを設けた。1892年2月29日にセントピーターズバーグは正式な市となった。当時の人口はわずか300人であった。 市名はデメンズの出身地であるサンクトペテルブルクにちなんで名付けられた[1]。地元の言い伝えでは、ウィリアムズとデメンズがコイントスをし、勝ったデメンズが市を名づける権利を獲得し、故郷にちなんだ名をつけたと言われている[2]。一方、ウィリアムズもまた、セントピーターズバーグ最初のホテルに自分の出身地の名を冠し、「デトロイト・ホテル」と名付けた。現在でもデトロイト・ホテルはダウンタウンで営業している。 なお、セントピーターズバーグとは「聖ペトロの町」の意味で、同名の町が全米各所にある。(「トム・ソーヤーの冒険」のトムの住む町もこの名前だが、こちらは架空の地名。作者マーク・トウェインが生まれ育ったミズーリ州ハンニバルがそのモデルといわれる) 1899年、ノースカロライナ州ニューポート出身のヘンリー・W・ヒッブズ(Henry W. Hibbs)は鉄道の埠頭の近くで魚の卸売りを始めた。ヒッブズの事業は成功し、1年たたないうちに1日450kg以上の魚を取り扱うようになった。また、この事業はセントピーターズバーグにとっても初めて発達した産業であった。 1906年から1910年代にかけてより深い運河の掘削が進み、セントピーターズバーグの港はさらに発展した。その間に市の人口は4倍に増え、1910年には4,127人を数えた。 1914年には、エアボート・ライン社により、対岸のタンパとの間に航空機の便が設けられた。パイロットを務めたのはトニー・ジャニュス(Tony Jannus)であった。ジャニュスは1916年に黒海での航空機テスト中に事故死した。1924年、タンパ湾に橋が架けられるとセントピーターズバーグとタンパとの間の交通機関は自動車に取って代わられ、この2都市間の航空路はなくなった。 20世紀中も市の人口は増え続けた。1970年代以降、市は寒い中西部からのリタイア層が移住する地として人気が高まり、人口の増加を促した。1980年には人口238,647人を数えた。しかしその後は市内に開発の余地がなくなってきたことから、人口増加のペースが鈍化傾向にある。 市はタンパ湾とメキシコ湾に挟まれた半島の先端に位置する。本土(とは言ってもフロリダ自体が半島である)とは北側でつながっている。湾を挟んだ東側にタンパ市が位置している。タンパとセントピーターズバーグとはタンパ湾に架かる長い橋で結ばれている。また半島から南側にも橋が架かっており、この橋によってブレイデントンと結ばれている。 アメリカ合衆国統計局によると、セントピーターズバーグは総面積344.7km²(133.1mi²)である。このうち154.4km²(59.6mi²)が陸地で190.2km²(73.4mi²)が水域となっている。総面積の55.19%が水域となっている。
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