しんがり 山一證券 最後の12人 – Wikipedia
『しんがり 山一證券 最後の12人』(しんがり やまいちしょうけん さいごのじゅうににん)は、清武英利によるノンフィクション小説。 1997年11月、当時四大証券と呼ばれた証券会社(野村證券・大和證券・日興證券・山一證券)の一角であった山一證券が自主廃業を発表した。ほとんどの社員が再就職に奔走する中、会社に踏み留まって経営破綻の原因を追究し、清算業務に就いた一群の社員がいた。真相究明と清算業務を続け、最後まで会社にとどまった”しんがり”社員たちの懸命な闘いを描いた実話に基づいた小説。1997年当時、読売新聞社で社会部次長として、山一證券の破綻を取材していた著者が、元社員に対して追加取材を実施して完成させた[1]。 小説は2014年度、第36回講談社ノンフィクション賞を受賞した[2]。 WOWOW連続ドラマW『しんがり 山一證券 最後の聖戦』としてテレビドラマ化され、2015年9月より放映された。 あらすじ[編集] 隠岐島出身の嘉本隆正は、高校卒業後山一證券に就職。30年に渡って8つの支店に勤務、大阪での取締役本部長を経て、1997年3月に常務に昇進。本社勤務となり業務監理本部長に就任した。その矢先である4月11日、山一證券に大蔵省証券取引等監視委員会(通称SESC)特別調査課の立入検査が入る。 1989年に、総会屋の小池隆一は、第一勧業銀行から32億円もの不正な無担保融資を得て、それをもとに4大証券会社の株を30万株ずつ取得。これで得た株主提案権を盾に、小池は各証券会社に利益供与を求め続けていた。1996年に野村證券社員による内部告発で、その事実が明るみに出ていた。山一證券も利益供与を行っており、SESCによる立入調査に至ったのだった。 4月15日、山一證券創業100周年。 7月30日、東京地検、SESCが商法と証券取引法違反容疑で山一證券を強制捜査し、三木淳夫前社長を含む8名が逮捕される。 8月11日、総会屋への利益供与の責任をとって旧経営陣11名が一斉に退陣し、野澤正平が社長に就任する。 8月14日、樽谷紘一郎顧客相談室長が何者かによって殺害されると言う山一証券顧客相談室長殺人事件が発生する。 10月10日、岡村勲山一證券顧問弁護士の妻が殺害されると言う山一証券代理人弁護士夫人殺人事件が発生する。 小池への利益供与額は数億円のものであったが、社内調査の中で、利益供与問題とは別に巨額の簿外債務の存在が明るみとなる。1989年のバブル崩壊を端に発した損失補填は、飛ばしと呼ばれる不正会計処理がなされ続けた。歴代のトップによって隠蔽され続けたその額は2,600億円にまで膨れ上がっていた。メーンバンクの富士銀行や大蔵省に救済を求めたが、いずれも拒否される。会社更生法による事業継続を模索するが断念。 11月17日、山一證券が主幹事を務めた北海道拓殖銀行が破綻、北洋銀行への営業譲渡を発表。
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