このページ名「韓系諸語」は暫定的なものです。(2021年3月) この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “韓系諸語” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年5月) 韓系諸語(かんけいしょご、Han languages)とは古代朝鮮の三韓(馬韓、辰韓、弁韓)で話されていた言語の総称である。 中国の歴史書による記録[編集] “辰韓は馬韓の東にある。そこの老人が語るところによれば、その昔、中国の秦国の苦役に服することを嫌って逃亡した流民たちが韓に渡ってきた。馬韓では東の国境地帯の土地を割いてかれらに与え、住まわせた。(『三国志』の「魏書」東夷傳 辰韓条)”とされている。辰韓の言語は馬韓と異なり弁韓と類同し、中国語とも類似していた[1]。『後漢書』弁辰伝によれば弁韓と辰韓は城郭や衣服などは同じだが、言語と風俗は異なっていた[2]とされる。 普通は『三國志』のほうが『後漢書』よりも資料的価値が高いとされるので、岡田英弘は弁韓と辰韓の言語の差は同じ言語の中での方言差とする説を唱えている。南部の弁韓、辰韓には韓人の他にも倭人も居住しており[3]、辰韓や弁韓の言語とされるものは「倭人語」を指している可能性もあり、注意が必要である。 馬韓語と百済語の関係[編集] 馬韓の地域は後の百済になったが、馬韓語と百済語は異なっていたと考えられる。というのも、百済語は高句麗語と馬韓語の混合言語と考えられるからである。李基文(1930年生)(朝鮮語版)は、百済において王族をはじめとする支配層と民衆を中心とする被支配層とで言語が異なる二重言語国家だったとし、この二重言語状態は高句麗と同じ夫余系言語を話す人々が韓系の言語を話す馬韓の住民を征服したことによって生じたと推定した[4]。 百済の王族は高句麗から出ているため、彼らは扶余系高句麗語を話していたと考えられる(扶余系百済語)。一方で百済の民衆は韓系諸語を話していた(韓系百済語)。 辰韓語と新羅語の関係[編集] 辰韓の12カ国は辰王に属していて、辰韓はそれで一つの政治勢力だった。辰王は新羅が台頭するまで馬韓人だった。辰韓の領域は後に新羅となるが、新羅語は現在の朝鮮語の直系の祖先であり、辰韓語がそのまま新羅語になったかどうかは不明である。
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