Month: November 2019

まるもふびより – Wikipedia

まるもふびより(ラテン文字表記:Marumofubiyori)は、サンリオでデザインされたキャラクター群。フラフワとした見た目の癒し系キャラクターである[2]。公式サイト内の特徴では「くま・パンダ」に分類される。 2017年2月、デビュー[3]。2月10日よりサンリオ公式YouTubeチャンネルにてアニメーションの配信を開始[4]。同年6月、雑誌『ちゃお』(小学館)7月号より漫画『まるもふびより しろくまモップのゆるふわダイアリー』連載開始。サンリオピューロランドにもデビューしており、Miracle Gift Paradeの前座に「いちおしキャラクター」として「モップ」のライブキャラクター(着ぐるみ)が出演している[5]。 キャラクター[編集] モップ[6][7] まるもふびよりのメインキャラクター[3]。白い子熊である。水玉模様のブランケットをいつも頭から纏っている。性格はぐうたらでのんき。趣味は動画サイトや通販サイトの閲覧をしながら家でごろごろすること。好物は大福。名前はブランケットを引きずっている様子がモップ掛けに見えることから。何か都合が悪くなると寝たふりをする癖がある。 カニカマ(命名、モップ)[6] かにの形をした赤い自律性のぬいぐるみ。性格はしっかり者。 ギョニク(命名、モップ)[6] さかな形で頭にアンテナが付いている青い自律性のぬいぐるみ。性格はマイペースでのんびり屋。 あじまる[6] モップの近所に住んでいる丸くて白いあざらし。チャームポイントは背中のお花模様。好物はメロンパン。寝ぼけたモップに好物の大福に間違えられて噛まれることも。 ましゅ[6] モップの近所に住んでいる王冠を被ったペンギンのあかちゃんで、あじまるの友だち。趣味は帽子集め。好物はマシュマロ。 まるもふびよりシールブック(2018年7月11日、小学館)ISBN 9784097355625 まるもふびより しろくまモップのゆるふわダイアリー [編集]

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宇宙大作戦チョコベーダー – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “宇宙大作戦チョコベーダー” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年2月) 宇宙大作戦チョコベーダー(うちゅうだいさくせんチョコベーダー)は、トミーから発売されていた食玩シリーズ。 企画・プロデュースはビルドアップ。 実際に目撃された(とされている)UFOや宇宙人をディフォルメタッチのフィギュアにしたというシリーズ。惑星を模ったチョコレートの中にフィギュアとミニカタログ入りのカプセルが入っているというもので、パッケージは立方体の紙製。定価は150円(税抜き)であった。カプセルはUFOフィギュアのスタンドとしても利用できる。 宇宙人フィギュアは中澤博之が原型を担当。UFOフィギュアは山口隆が原型監修を手掛けている。 第4弾まで発売されており、各弾は「第○シーズン」と呼称されていた。全シーズンともブラインド式のパッケージで、UFO・宇宙人とも12種類ずつラインナップされた。またそれとは別に、シークレットアイテムも存在。 さらに食玩展開に合わせて、3種類のゲームも世に出ている。また、5分枠のテレビアニメも放送された。 各シーズン概要[編集] 第1シーズン[編集] 2001年10月発売。 01 –

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ジュラシック・パーク/ラプターズ・ハイジャック – Wikipedia

『ジュラシック・パーク/ラプターズ・ハイジャック』(Jurassic Park: Raptors Hijack)とは映画『ジュラシック・パーク』のシリーズのコミック作品の一つ。全4冊からなるストーリー構成になっている。、スティーブ・エングルハートによって描かれ、Topps comicsから出版された。ラプターシリーズの第3弾で前作の『ジュラシック・パーク/ラプターズ・アタック』からの続きである。 総集編の「Jurassic Park: Adventures」にも収録されている。また『リターン・トゥ ジュラシック・パーク』はその後的な物語にもなっている。 あらすじ[編集] ロバート・マルドゥーン、アラン・グラント博士、エリー・サトラー博士、イアン・マルカム博士の4人はヘリコプターに乗り、上空から南米コロンビアの熱帯多雨で逃げた、残りのヴェロキラプトル、「アルフィー」、「セリア」を探していた。一方、地上の熱帯多雨ではコロンビアの熱帯多雨にゴリラを放して観察の研究していたラドンナ・ベルヴェデーレ博士と言う老人の女性学者がいた。一方ヘリコプターからマルドゥーンがゴリラを発見し、マルドゥーン達はゴリラの調査の為、ヘリコプターから降り、マルドゥーン達はゴリラと遭遇し、エリーを誘拐する。しかし、2匹のヴェロキラプトルのアルフィーとセリアが現れ、ゴリラと対決しゴリラは死んでしまい2匹は去って行った。ベルヴェデーレ博士は2匹のラプトルと遭遇し、博士は2匹のヴェロキラプトル、アルフとセリアを観察し、ボディーランゲージを学ぼうとする。一方でハモンド財団では、バイオシン・コーポレーションがイスラ・ヌブラル島からラプトルの誘拐に資金が使われたと言うニュースを聞き、ハモンドは激怒し、バイオシン社を攻撃しろと部下のプレイザーを送り、グラント博士らを捜索するためヘリコプターを現地に送る。そして新しいジュラシック・パークの建設を企むバイオシン社のヘリコプターが現れマルドゥーン達を攻撃した。 登場人物[編集] この節の加筆が望まれています。 アラン・グラント博士 エリー・サトラー博士 ロバート・マルドゥーン イアン・マルカム博士 ラドンナ・ベルヴェデーレ博士(Dr. LaDonna Belvedere)

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チョンゴル – Wikipedia

チョンゴル チョンゴル(朝: 전골)は、朝鮮の鍋料理。煎骨、氈骨とも表記される[1]。 大きい鍋に具材を並べてスープを注いで食卓で煮ながら食べる[1]。なお、同じく韓国の鍋料理であるチゲは調理が完成してから食卓に並べることが多いのに対し、チョンゴルは具材の下ごしらえなどをして食卓で調理する[2]。もともと宮廷料理だったため来客に出すことが多い[2]。18世紀に柳得恭(朝鮮語版)が「氈笠を逆さにしたような形のチョンゴル鍋を用いて深い中央部で野菜を煮、平らな縁部で肉を焼いた」、という記述を『京都雑誌(朝鮮語版)』に残している[1]。この形状から、李氏朝鮮時代のチョンゴル用の鍋は氈笠套(チョルリプトゥ)と呼ばれた[1]。 下記のようなバリエーションがある。 コプチャンチョンゴル(牛モツのチョンゴル、곱창전골):コプチャン自体は牛の小腸を指すが、テッチャン(大腸)やミノ(胃)なども用いる[1]。これらのモツや野菜、キノコ、春雨とともにヤンニョムを乗せ、スープを注ぐ[1]。ヤンニョムはコチュジャンをベースとしてニンニクやショウガ、カンジャンなどを混ぜることが多い[1]。 セゴキチョンゴル(牛肉のチョンゴル、소고기전골):牛肉およびネギやキノコを具材とし、カンジャンをベースとしたスープを注ぐ[1]。 トゥブチョンゴル(豆腐のチョンゴル、두부전골):生ないし焼いた木綿豆腐を野菜やキノコ、魚介類、牛肉などと並べてスープを注ぐ。スープは唐辛子またはカンジャンをベースとする[1]。 ナッチチョンゴル(テナガダコのチョンゴル、낙지전골):テナガダコ(英語版)をヤンニョムで和え、野菜やキノコと並べてスープを注ぐ[1]。 カクセクチョンゴル(各種の具入りチョンゴル、각색전골):カクセクは各色を意味し、肉団子や魚介類、豆腐、餃子、野菜など多様な食材を並べ、カンジャンベースのスープを注ぐ[1]。 神仙炉(シンソルロ、신선로):中央に煙突がある専用の金属鍋(神仙炉)に長方形に切った具材を並べ、牛肉のスープを注ぐ宮廷料理[3]。牛肉、白身魚、干しシイタケ、セリなどを使う[3]。名称は、燕山君の治世に山中に隠遁した鄭希良(朝鮮語版)が野草や山菜を炉で煮炊きし、その様子が神仙のようだったことに由来する、とされる[3]。 コプチャンチョンゴル ナッチチョンゴル 神仙炉 プルコギチョンゴル マンドゥチョンゴル ポソッチョンゴル ^ a b

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赤芽球 – Wikipedia

血液疾患の為に血液中に現れた赤芽球。右上に二つある有核細胞のうち丸い核のものが好塩基性赤芽球、左下にある2つの有核細胞の大きいほうが多染性赤芽球、小さいほうが正染性赤芽球。一番右上と右下のいびつな核の細胞は白血球である。 赤芽球(せきがきゅう、英: erythroblast)とは骨髄中に存在する幼若な血液細胞であり、造血幹細胞から赤血球にいたる分化途中段階の細胞である。成熟して脱核し赤血球になる。赤芽球は健康人では骨髄中にしか存在せず、血液中に赤芽球が現れるのは血液疾患や癌の骨転移、骨折などの時だけである。 分化過程[編集] 赤血球は造血幹細胞を基にし、次第に分化・成熟して完成する。 その段階は、造血幹細胞、骨髄系幹細胞(骨髄系前駆細胞)、赤芽球・巨核球系前駆細胞、前期赤芽球系前駆細胞(BFU-E)、後期赤芽球系前駆細胞(CFU-E)、前赤芽球、好塩基性赤芽球、多染性赤芽球、正染性赤芽球、(網赤血球)、赤血球であるが、前駆細胞は形態的には赤血球系との同定は困難であり、形態学的に通常は前赤芽球がもっとも幼若な赤芽球とみなされ、脱核する前の正染性赤芽球までが赤芽球とされる。 若い細胞ほど細胞分裂能が高いが、多染性赤芽球の段階まで細胞分裂能はある。[1][2] 正染性赤芽球の段階になると細胞分裂能は失われ、やがて核が抜け落ちて赤血球となる。 赤芽球島[編集] 赤血球は骨髄で造血幹細胞から作られるが、その分化・成熟には骨髄においてマクロファージが大きく関わっている。 骨髄において、赤血球の幼若な段階である赤芽球はマクロファージを中心にその回りを取り囲むように数個から数十個が集団で寄り集まっている。中心に存在するマクロファージは赤芽球に接し、ヘモグロビンの合成に不可欠な鉄や細胞の生育に必要な物質を供給し、成熟をコントロールし、また脱核させた核の処理や、不要になった赤血球細胞の除去にも関与している[1][3]。 この、骨髄内においてマクロファージを中心に赤芽球が集まり、赤血球の形成に関わっている細胞集団を赤芽球島もしくは赤芽球小島という[1]。 ^ a b c 『三輪血液病学 第3版』p120-124 ^ 『三輪血液病学

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ミハイン・ロペス – Wikipedia

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はロペス、第二姓(母方の姓)はヌネスです。(Template:スペイン語圏の姓名) 獲得メダル  キューバ 男子 レスリング・グレコローマンスタイル オリンピック 金 2008 北京 120kg級 金 2012 ロンドン 120kg級 金 2016 リオデジャネイロ 130kg級 金 2020

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サッカーブロール – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “サッカーブロール” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年9月) サッカーブロール(英語: Soccer Brawl)は、SNKが発売したネオジオのサッカーゲーム。1992年に発売された。 ゲームの特徴[編集] 概要[編集] 近未来(スタジアム選択画面から、21世紀末期以降が舞台と推測される。後述。)を舞台にしたサッカーに関するゲームである。選手は人間ではなく、ロボット(サイボーグ)である。そのためか、実際のサッカーとは異なったルールが設定されている。 1チーム7人制である(実際のサッカーは11人制)。ポジションもゴールキーパー1人とフィールドプレイヤー6人という設定であり、DF,MF,FWの区別はない。フィールドプレイヤー6人のうち1人がヘッドマスター(頭にバンダナを巻いている。実際のサッカーのキャプテンに相当)であり、残り5人がノーマルプレイヤーである。 スタジアムにはバウンドウォールが設置されているので、タッチラインを割ってもボールが反射して進む。タッチラインの外でボールが静止した時のみスローインによって試合が再開される。 ファウル、オフサイドがない。よって、イエローカード・レッドカード,ファウルによって発生する可能性のあるフリーキック・PKもない。 1試合アーケード版では2分30秒(150秒)制[要出典]、家庭版では15分,30分,45分,90分ハーフ(但し、実際の時間より進行が早い。尚、実際のサッカーは45分ハーフ)。家庭版のみハーフタイムショーがある。アーケード版では、ボールがライン外に出ると時間がストップするが、家庭版ではストップしない[要出典]。また、アディショナルタイムもない。 一方で、実際のサッカーと同じルールも存在する。ゴールキック,コーナーキック,同点で終了した場合のPK戦である。このうちPK戦は3本勝負で決められ、3本勝負で決まらない時は、アーケード版と家庭版(ネオジオ,ネオジオCD,バーチャルコンソール)ではルールが異なる[3]。

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ナンシー (映画) – Wikipedia

『ナンシー』(原題:Nancy)は2018年に公開されたアメリカ合衆国のミステリ映画である。監督はクリスティーナ・チョー、主演はアンドレア・ライズボローが務めた。 ナンシー・フリーマンは人付き合いを苦手としていたが、別人になりすますことで何とか他者との関係を築いていた。そんなある日、ナンシーの目に30年前に行方不明になった娘を探し続ける老夫婦の姿が飛び込んできた。娘の写真を見た瞬間、ナンシーは驚愕した。と言うのも、老夫婦の娘の風貌と幼少期の自分のそれが瓜二つだったのである。ナンシーはすぐさま老夫婦の元に向かい、「30年前に行方をくらませた娘さんはもしかすると自分かもしれません」と名乗り出た。老夫婦は「そんな都合良く見つかるわけはない」と半信半疑だったが、徐々にナンシーと心を通わせていくのだった。 しかし、そんな心温まる日々は長く続かなかった。 キャスト[編集] 2017年2月6日、本作の主要キャストが発表された[3]。2018年7月6日、ナウエヴァー・レコーズが本作のサウンドトラックを発売した[4]。 公開・興行収入[編集] 2018年1月10日、本作の劇中写真が初めて公開された[5]。20日、本作はサンダンス映画祭でプレミア上映された[6]。2月19日、サミュエル・ゴールドウィン・フィルムズが本作の全米配給権を獲得したとの報道があった[7]。5月2日、本作のオフィシャル・トレイラーが公開された[8]。6月8日、本作は全米3館で限定公開され、公開初週末に1万5056ドル(1館当たり5018ドル)を稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場51位となった[9]。 本作は批評家から好意的に評価されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには58件のレビューがあり、批評家支持率は84%、平均点は10点満点で7.04点となっている。サイト側による批評家の見解の要約は「『ナンシー』は気分良く鑑賞できる作品ではない。しかし、アンドレア・ライズボローの名演技とクリスティーナ・チョー監督の主人公―危険を知りながらも、誤った選択をしてしまった―に対する共感のお陰で、鑑賞する価値のある作品に仕上がっている。」となっている[10]。また、Metacriticには17件のレビューがあり、加重平均値は67/100となっている[11]。 外部リンク[編集]

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大韓民国全国体育大会 – Wikipedia

大韓民国の全国体育大会(ぜんこくたいいくたいかい、朝鮮語: 전국체육대회)または全国体典(ぜんこくたいてん、朝鮮語: 전국체전)は日本の国民体育大会に当たる、スポーツの総合競技大会である。 毎年10月の1週間[1]に全国17都市・道の代表選手団、および在外選手団約20,000人が参加し、約40競技が実施される。毎年ソウル、釜山、大邱、光州、仁川などの大都市を中心に持ち回りで開催される。 高校の部、大学の部、一般の部に分かれて実施される。日本統治時代を否定している韓国でも、日本統治時代から開催されていた朝鮮体育会を認めている[2]。2019年大会を100周年としている[3][4]。 1920年、朝鮮体育会が発足し、その年の11月に第1回全朝鮮野球大会が開かれた。この大会を第1回として起算し、現在に至っている。第14回大会までは各競技で開催時期と場所とが異なっていたが、1934年第15回大会から総合競技大会の形式で行われるようになった。1937年まで日本政府から半島在住者の競技大会として認可されていたが、1938年に朝鮮体育会は国民体育大会に吸収されて日本人を含む朝鮮半島在住している選手も在日朝鮮系民同様に国民体育大会に出場するようになった[2]。第二次世界大戦終戦後の1945年に第26回大会から再開された。1948年に大韓民国が樹立され、この年から大会名称が「全国体育大会」となった。1950年の第31回大会は朝鮮戦争の影響で中止された。1988年の第69回大会はソウルオリンピックの影響で種目別大会のみ行われた。大会歌はオリンピック賛歌を使用している。 その他の全国的スポーツ大会[編集] 全国体育大会と関連して以下の大会が開催されている。 全国少年体育大会 全国冬季体育大会 全国障害者体育大会 ^ 1964年の第45回大会は9月3日から9月8日まで。1968年の第49回大会は9月12日から9月17日まで。1986年の第67回大会は第10回アジア競技大会の関係で6月20日から6月25日。2002年の第83回大会は第14回アジア大会の関係で11月9日から11月15日まで。 ^ a b 「生活者の日本統治時代: なぜ「よき関係」のあったことを語らないのか」p142,呉善花,2000年 ^ 「北朝鮮にソウルでの体育大会参加を提案 韓国担当相」『』。2018年11月14日閲覧。

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松平忠告 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “松平忠告” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年9月) 松平 忠告(まつだいら ただつぐ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。摂津国尼崎藩第3代藩主。桜井松平家12代当主。俳人としても知られ、俳号として一桜井(いちおうせい)・亀文(きぶん)を称している[5][注釈 2]。 寛保2年(1742年)5月26日[7][注釈 3]、尼崎藩2代藩主・松平忠名の三男として生まれる。長兄は早世しており、次兄は庶出であった(のちに養子に出され、近江国水口藩主加藤明堯となる)。 宝暦元年(1751年)4月19日、忠告が嫡子と定められた[1][7]。宝暦7年(1757年)4月1日に16歳で将軍徳川家重に御目見し、同年12月18日に従五位下大膳亮に任官した[1]。 明和3年(1766年)12月に父が死去し[1]、明和4年(1767年)2月20日に相続が認められた[1]。翌21日、桜井松平家当主が称する遠江守に遷る[1]。同年6月22日、領国入りのための暇を賜う[1]。 明和6年(1769年)2月13日、摂津国武庫郡・菟原郡・八部郡にまたがる知行地(武庫郡今津村から八部郡兵庫津までの浜手24か村[8])が幕府に召し上げられ[注釈 4]、赤穂郡・多可郡・宍粟郡内に替地が与えられた[1]。召し上げられた沿岸地域には、のちに灘五郷と呼ばれる地域が含まれている[8]。当時酒造業が盛んになりつつあり、活況を呈していた当地の状況を、長崎と江戸とを往来していた長崎奉行石谷清昌が見て、老中に進言したのが収公のきっかけという[8]。 文化2年(1805年)12月10日、江戸において死去した[9]。享年64[9]。跡を次男・忠宝が継いだ。

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