高賀神社 – Wikipedia

高賀神社(こうかじんじゃ)は、岐阜県関市洞戸高賀[1]にある神社である。別名、高賀山大本神宮。標高1,224mの高賀山の山麓にあり、高賀山を囲む高賀六社の一社。旧社格は郷社。

平安時代から室町時代にかけて、白山信仰[2]の影響を受け、本地垂迹説により十一面観音(白山比咩神)、大日如来を本地仏として信仰された。さらには、牛頭天王信仰、虚空蔵菩薩信仰がされていた。

23柱を祀る。

社伝によれば、創建は奈良時代の養老年間と伝わる(養老元年という説もある[3])。言い伝えによれば、霊亀年間、高賀の地には光を放つ魔物が住み着いた。これを聞いた朝廷は使者を派遣し、この山の麓に21柱の神々をまつり、退魔の祈祷を行なった。すると魔物は姿を消したとされる。その後、この山は「秀でて高き故まためでたい」という意味で「高賀山」、神社を「高賀山大本神宮大行事神社」と名付けたとされる。

高賀神社にある「高光公とさるとらへび」の像

平安時代の天暦年間、この地に妖怪さるとらへびが住み付き、村人に危害を加えているのを聞いた朝廷は、藤原高光をこの地に遣わせ、高光が妖怪を退治したと伝わる。この際に高光が高賀山大本神宮大行事神社を再建し、七昼夜妖怪退治の祈願をしたとされる。またその後、高光は高賀山麓の六ヶ所に神社(高賀六社・後述)を建立したとされている。この妖怪退治は承平3年の説もあるが、藤原高光の生誕年との矛盾があり、疑問視されている。

詳しい時期は不明であるが、鎌倉時代以前、高賀神社の境内に蓮華峯寺が建立される。高賀神社と蓮華峯寺を合わせて、「西高賀山 蓮華峯寺」と称していた。

1517年(永正14年)、火災により焼失するが、江戸時代に再建される。

1869年(明治2年)、神仏分離令による廃仏毀釈の影響で蓮華峯寺は廃寺となる。僧侶の手で一部の仏像は持ち出され、高賀神社から約1.5km離れた観音堂に納められる。これが現在の蓮華峯寺である。

高賀六社[編集]

高賀山を主峰とした山(瓢ケ岳、今渕ケ岳、片知山など)の山麓にあり、高賀山を囲む6つの神社。かつては六社めぐりという、この六つの社を尾根伝いに一日で歩いて巡る苦行が存在した。

円空のゆかりの地[編集]

江戸時代前期の天台宗僧侶、円空は全国行脚の中で、数回、高賀神社を訪れ修業を行なっているという。確実なのは1671年(寛文11年)、1684年(貞享元年)、1692年(元禄5年)の3回である。円空はまた、最晩年をこの地で過ごしたと伝えられ、円空仏の最後の作と言われている歓喜天像ほか、多数の仏像が高賀神社に奉納されている(後述)。

円空仏[編集]

円空が晩年すごした地であることから、高賀神社は円空仏を多数所蔵しており、高賀神社伝来円空作仏像群として岐阜県指定重要文化財となっている[4]。大半は1995年(平成7年)に開館した関市洞戸円空記念館に保管されている。

円空仏以外[編集]

  • 高賀信仰資料として、岐阜県指定重要文化財に一括指定されている[5]。宝物館(所蔵庫)に保管されている。
    • 蓮華峯寺仏像群 28躯
    • 懸仏 280面
    • 大般若経 502巻 など
  • 円空自筆和歌集附神符三十枚(岐阜県指定重要文化財)[6]

交通機関[編集]

  • 岐阜バス板取線「高賀口」バス停より徒歩40分。

シドニーオリンピックの女子マラソンにおいて、金メダルに輝いた高橋尚子選手が給水に利用した「高賀の森水」は、高賀神社の宮水である「ふくべの霊水」である。ふくべの霊水とは1996年(平成8年)、高賀神社参道わきに掘られた井戸の水であり、その水を商品化したものが高賀の森水である[7]。1999年1月に洞戸村、岐阜県森林組合連合会、洞戸村森林組合が出資する第三セクター、奥長良川名水有限会社が設立された[8][9]。のちに株式会社化。2006年に民営化された[10]

参考文献[編集]

  • 岐阜県博物館、1982、『高賀山の信仰 – 鬼と行者と円空と』、岐阜県博物館資料刊行会(特別展図録)
  • 洞戸村史編集委員会編集、1988-1997、『洞戸村史』、洞戸村

外部リンク[編集]