オロロン=サント=マリー – Wikipedia

Oloron-Sainte-Marie

Blason Oloron-Sainte-Marie.svg

Oloron N-Dame 01.JPG

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏
県 (département) ピレネー=アトランティック県
郡 (arrondissement) オロロン=サント=マリー郡
小郡 (canton) 2
INSEEコード 64422
郵便番号 64400
市長(任期) Gerard Urrustoy
(2008年-2014年)
人口動態
人口 11 984人
(2007年)
人口密度 175人/km2
地理
座標

北緯43度11分41秒 西経0度36分20秒 / 北緯43.194722度 西経0.605556度 / 43.194722; -0.605556座標: 北緯43度11分41秒 西経0度36分20秒 / 北緯43.194722度 西経0.605556度 / 43.194722; -0.605556

標高 平均:?m
最低:194m
最高:1280m
面積 68.31km2 (6 831ha)
Oloron-Sainte-Marieの位置(フランス内)

Oloron-Sainte-Marie

Oloron-Sainte-Marie

テンプレートを表示

オロロン=サント=マリー(フランス語:Oloron-Sainte-Marie、バスク語:Oloroe-Donamaria、オック語:Auloron)は、フランス南西部のヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ピレネー=アトランティック県の郡庁所在地で、ベアルン地方の中心都市。

ピレネー山麓に位置する。南のアスプ渓谷からアスプ川、東南のオソー渓谷からオソー川がオロロン=サント=マリーで合流し、オロロン川となる。

ローマ時代の文献にはノベンポプラニアのイルロ(Iluro)として記載されている。1080年にベアルン子爵サントゥル5世がオロロンを建設、これに対して13世紀にサント=マリーが司教座都市となり、それぞれ別の都市として発展した。1858年5月18日にナポレオン3世によってこれら2つの町が合併され、今日のオロロン=サント=マリーとなっている。

サント=マリー大聖堂のロマネスク彫刻

かつてのサント=マリーにサント=マリー大聖堂、オロロンにサント=クロワ教会、このほかにノートルダム教会もある。

サント=マリー大聖堂(Cathédrale Sainte-Marie)
1102年、十字軍やレコンキスタに参加したベアルン子爵ガストン4世によって建設が始められた大聖堂。入り口にほどこされたロマネスク彫刻は、12世紀にピレネー山地で活動した2人の彫刻家によるものである。ユネスコの世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に登録されている。
サント=クロワ教会(Église Sainte-Croix)
11世紀末に建設されたロマネスク建築の教会。

おもな出身者[編集]

姉妹都市[編集]

  • スペインの旗 ハカ、スペイン

参考文献[編集]

外部リンク[編集]