ロドリゴ・デ・ビベロ – Wikipedia

ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・アベルサRodrigo de Vivero y Aberruza、1564年 – 1636年)は、エスパーニャ貴族、植民地政治家。江戸時代初期に日本を訪れた人物でもあり、日本ではドン・ロドリゴDon Rodrigo)の呼び名で知られる。

村上直次郎訳『ドン・ロドリゴ日本見聞録』をはじめ、『国史大辞典』や『世界大百科事典』など、姓をビベロ・イ・ベラスコとする文献が多いが、これは父親のロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ (Rodrigo de Vivero y Velascoとの混同によるもので、誤りである[1]

1564年に父ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコの任地であるヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)で生まれ、エスパーニャ本国で成長し、フェリペ2世の王妃アナ・デ・アウストリアの小姓などを勤める。その後、ヌエバ・エスパーニャ副王だった伯父のルイス・デ・ベラスコに重用され、1595年サン・フアン・デ・ウルア要塞守備隊長兼市長、1597年タスコ市長、1599年ヌエバ・ビスカヤ地方長官兼軍司令官を経て、前総督在任中の死去にともない1608年に臨時総督としてフィリピンに派遣される[注釈 1]

フィリピン臨時総督の後、パナマ地方長官兼軍司令官などを勤め、1627年にフェリペ3世によりバリエ・デ・オリザバ伯爵スペイン語版に叙爵され、1636年に没した。

日本との関係[編集]

フィリピン臨時総督在任中、マニラで起こった日本人暴動に際し暴徒を日本に送還し、貿易量の制限と暴徒の処罰を要求、徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムスが訪れた際会見し、家康に友好的な書簡を送る。

1609年(慶長14年)、次期総督と交代のため召還命令を受け、ガレオン船3隻の艦隊でマニラからアカプルコへ向けての航海中台風に遭い、ロドリゴの乗った旗艦「サン・フランシスコ」は難破、9月30日に上総国大多喜藩領の岩和田村(現千葉県夷隅郡御宿町)田尻の浜に漂着、地元民に救助される[注釈 2][注釈 3]。大多喜城の本多忠朝も300人余りの家臣を率いてロドリゴのもとを訪れ、幕府への報告を約束し温情ある措置をとった[2]。なお僚艦の「サンタ・アナ」も、9月12日豊後の臼杵中津浦に緊急入港し[注釈 4]、もう一隻の「サン・アントニオ」のみヌエバ・エスパーニャへの航海を続けた。

地元民に救助されたロドリゴ一行は、本多忠朝の歓待を受け、大多喜城から江戸城に立ち寄り、駿府城で家康と会見するなど日本滞在の後、家康からウィリアム・アダムスの建造したガレオン船(日本名:安針丸)の提供を受け、「サン・ブエナベントゥーラ」と命名、1610年(慶長15年)8月1日に日本を出発し、同年11月13日アカプルコに帰還した。この日本滞在中の見聞録は『ドン・ロドリゴ日本見聞録』として今に残されている。

サン・ブエナ・ベントゥーラには、ヌエバ・エスパーニャとの交流拡大を目指す家康の使節アロンソ・ムニョス神父や京の商人・田中勝介らも同乗した。その翌年の1611年(慶長16年)、田中勝介らとともにヌエバ・エスパーニャからセバスティアン・ビスカイノが答礼使として来日し、1613年(慶長18年)にルイス・ソテロや支倉常長ら慶長遣欧使節団とともにサン・ファン・バウティスタ号で帰国した。

現在、ロドリゴ一行が本多忠朝の居城大多喜城に立ち寄る際に通ったコースを走るロドリゴ駅伝が、漂着した御宿町、いすみ市、大多喜町で開催されている。

『ドン・ロドリゴ日本見聞録』には以下の日本語訳がある。

  • ドン・ロドリゴ; ビスカイノ; 村上直次郎訳註 『ドン・ロドリゴ日本見聞録 ビスカイノ金銀島探検報告』 駿南社〈異国叢書〉、1929年。  – セバスティアン・ビスカイノの『金銀島探検報告』との合本。のち奥川書房(1941年)、雄松堂書店(1966年)、雄松堂出版(2005年、ISBN 4-8419-3022-1)から再刊。
  • ロドリゴ・デ・ビベロ; 大垣貴志郎監訳、JT中南米学術調査プロジェクト編 『日本見聞記 1609年』 たばこと塩の博物館、1993年12月。 
  • フアン・ヒル、平山篤子訳 『イダルゴとサムライ――16・17世紀のイスパニアと日本』 法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、2000年12月。

    ISBN 4-588-00693-2。

     フアン・ヒルスペイン語版による校訂版「ドン・ロドリゴ・デ・ビベロの旅行報告書」全文を収録。

参考文献[編集]

  • 山本美子「近世初期の日西交渉とドン・ロドリゴ」(『千葉県の歴史』11号、1976年)

関連書籍[編集]

  • “An unscheduled visit : Rodrigo de Vivero in Japan, 1609-1610″ Michael Cooper, The transactions of the Asiatic Society of Japan, 0913-4271 ; 4th ser., v. 22 , 2008

日本語[編集]

  • 金井英一郎 『ドン・ロドリゴ物語』 新人物往来社、1984年7月20日。  – 小説。
  • 小倉明 『ドン・ロドリゴの幸運――日本・メキシコ交流の始まり』 汐文社、2008年12月。ISBN 978-4-8113-8499-3。  – こども向け読み物[注釈 5]
  • 安藤操 『ドン・ロドリゴの日本見聞録』 たにぐち書店、2009年10月2日。ISBN 978-4-86129-095-4。  – こども向け読み物。
  • 岸本静江 『家康とドン・ロドリゴ』 冨山房インターナショナル、2019年11月14日。ISBN 978-4-86600-074-9。 

注釈[編集]

  1. ^ 前総督ペドロ・アクーニャ死去時、伯父のルイス・デ・ベラスコが2期目のヌエバ・エスパーニャ副王に在任していた。
  2. ^ 地元の海女が救難者を人肌で温めたと伝えられる。ただし、史料的な裏付けはなく、また、当時の岩和田村にはまだ海女はおらず、後世に作られた話ではないか、とする指摘もある(安藤操 『ドン・ロドリゴの日本見聞録』 たにぐち書店、2009年10月2日、103-104頁。ISBN 978-4-86129-095-4。 )。
  3. ^ この故事を記念して1928年、御宿に日西墨三国交通発祥記念之碑(メキシコ記念塔)が建てられた。
  4. ^ 緊急入港した「サンタ・アナ」は破船せず、家康の発行した朱印状があったため、厚遇された。
  5. ^ 日本・メキシコ友好400周年記念として、2008年9月に千葉県総合企画部報道広報課から発行され、県内の図書館や関係する大使館などに配布されたのち、12月に汐文社から一般書籍として発行。(堂本暁子 (2008年9月17日). “知事定例記者会見(平成20年9月17日)概要”. 千葉県. 2016年11月8日閲覧。
    堂本暁子 (2008年12月25日). “知事定例記者会見(平成20年12月25日)概要”. 千葉県. 2016年11月8日閲覧。

出典[編集]

  1. ^ エバ・アレハンドラ・ウマクニ、榊玲子訳 「バジェ・デ・オリサバ伯ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・アベルサの生涯とその時代(1564-1636)」 『日本見聞記 1609年』 たばこと塩の博物館、1993年12月、117頁。 
  2. ^ 『千葉県の歴史 通史編 近世1』、2007年、126-127頁。

関連項目[編集]