ルイーズ・ド・サヴォワ – Wikipedia

ルイーズ・ド・サヴォワ
Louise de Savoie

称号 アングレーム伯妃
出生 (1476-09-11) 1476年9月11日
サヴォイア公国、ポン=ダン城
死去 (1531-09-22) 1531年9月22日(55歳没)
フランス王国、グレ=シュル=ロワン
埋葬 1531年10月19日
フランス王国、サン=ドニ大聖堂
配偶者 アングレーム伯シャルル・ドルレアン
子女 マルグリット
フランソワ1世
家名 サヴォイア家(サヴォイア=ブレッセ家)
父親 サヴォイア公フィリッポ2世
母親 マルグリット・ド・ブルボン
テンプレートを表示

捕虜となった息子に代わりフランスを統治する王母ルイーズ・ド・サヴォワ、手前に寝そべるのは同盟者のスレイマン大帝

ルイーズ・ド・サヴォワ(Louise de Savoie, 1476年9月11日 – 1531年9月22日)は、フランス王フランソワ1世の母。アングレーム伯シャルル・ドルレアンの妻。サヴォイア公フィリッポ2世と最初の妻マルグリット・ド・ブルボン(ブルボン公シャルル1世の娘)の娘で、イタリア名はルイーザ・ディ・サヴォイア(Luisa di Savoia)。サヴォイア公フィリベルト2世は同母弟、カルロ3世は異母弟である。また、ルイ11世の王妃シャルロット・ド・サヴォワは叔母に当たる。

ブルボン公シャルル3世の妻シュザンヌの死後にブルボン家の遺産を巡ってブルボン公と争い、ブルボン公を神聖ローマ皇帝カール5世の下へ走らせる原因を作った。1529年、マルグリット・ドートリッシュと交渉して貴婦人の和約を結び、コニャック同盟戦争を終結させた。

1488年2月16日、11歳の時にパリでシャルル・ドルレアンと結婚した。2人の間には1男1女が生まれたが、1496年にシャルルとは死別している。

  • マルグリット(1492年 – 1549年) アランソン公シャルル4世と結婚、のちナバラ王兼アルブレ伯アンリ・ダルブレと結婚。
  • フランソワ1世(1494年 – 1547年) – フランス王(1515年 – 1547年)となる

関連項目[編集]

  • 第三次イタリア戦争
先代:
シャルル3世
ブルボン女公
オーヴェルニュ女公
1522年 – 1531年
次代:
(王領に併合)