伊良コーラ – Wikipedia

伊良コーラ(いよしコーラ)は、日本のクラフトコーラ。東京都新宿区の伊良コーラ総本店で製造・販売されている。

誕生の経緯[編集]

伊良コーラの看板商品「THE DREAMY FLAVOR」
キャットストリートに所在する渋谷店

1989年に新宿区下落合で生まれた小林隆英(コーラ小林)が、ネットサーフィンしていた際に偶然発見したコカ・コーラの発明者ジョン・ペンバートンのものとされる当時のレシピと、和漢方職人の祖父・伊東良太郎が残した資料を元に発明したコーラである[1]

小林は北海道大学農学部から東京大学大学院生命科学研究科に進学し同院を卒業後[1]、2015年に広告代理店のアサツー ディ・ケイに入社。元々酒を好まず酒の席でコーラを注文していたことや、偏頭痛への対処としてカフェインを豊富に含むコーラを飲むようになったことで、コーラ愛飲家となる[2]。大学時代や仕事で訪れた世界各国で30種類ものコーラと出会った[3]

社会人1年目のある日、偶然インターネット上で発見したコカ・コーラの開発当初のレシピとされるものが記載された英語のサイトを見て、当時居住していた祐天寺のスーパーマーケットで材料を買い求め、コーラ作りに挑戦。完成したコーラは感動するような味ではなかったが、「もっと美味しいコーラを作りたい」と考え、仕事の息抜きとしてコーラ作りを行うようになる[2]。しかしインターネット上に掲載されていたエッセンシャルオイルで作るコーラと、スパイスから作るコーラでは工程が異なる。スパイスから作るコーラは火入れの工程が入るため、自ら工夫を行うしかなかった[2]

コーラ作りを開始した2年後の2017年に祖父の伊東が死去。祖父の工房「伊良葯工(やっこう)」の整理をしていた際、古い道具やレシピなどが大量に見つかる。家族との会話の中で祖父の仕事の様子を聞いた小林は、コーラ作りに活用できると考え、自宅に戻りコーラ作りを開始。2018年6月、スパイスの火を入れる工程や煮込む順番を工夫して出来上がったシロップを同僚に試飲してもらうと好評を博したことで自信を深める[2]

翌7月、渋谷区の国際連合大学前で開催されている青山ファーマーズマーケットに「カワセミ号」と名付けた「キッチンカー」で出店。屋号は祖父の工房の名前を引き継いだ[1]。ソーシャル・ネットワーキング・サービスでの告知等もあえて行っていなかったが、150本のコーラは全て完売した[2]

その後平日は会社員として勤務する傍ら休日を利用してマーケットに出向く生活を続けていたが2018年12月に退職し、2019年1月29日、株式会社GRAND GIFTを設立[2]。2020年に祖父の下落合の工房を改装し、1号店として開店した[3]

2021年4月にはクラウドファンディングで支援を募り、創業ゆかりの地(キャットストリートでリヤカーを引いて販売していた)である渋谷区のキャットストリートに2号店を出店。新型コロナウイルス感染症の世界的流行の渦中ではあったが、「コーラで笑顔になってほしい」として出店を決断した[4]

総本店下落合、渋谷店ともに店内の工房でコーラを作っている姿を見ることができるが、総本店が伊良コーラのルーツを伝えることを重視しているのに対して、渋谷店は宇宙をコンセプトとした作りとしている[5]

伊良コーラの原料シロップ。炭酸水で4倍に希釈することで伊良コーラとなる。

工房がある神田川沿いに多く生息するカワセミをロゴとしている。鳥なのに水に飛び込むということで、常識や既成概念を壊すという思いも込められている[6]

全て手作りで製造されており、1回の仕込みで作れる原液の量は約30リットル。完成までには熟成期間を入れて1週間かかる[7]。クローブやカルダモン、ラベンダーなど元々のレシピにはなかった15種類以上のスパイスや柑橘類などを煮込んでいるが、中でもコーラという名称の語源とも言われるコーラの実に拘っている。コーラの実は味の根幹を成すものではなく、現在ではコカ・コーラもペプシコーラも原料に使用していないとされているが、ガーナで神聖な食べ物とされていることに目をつけ現地から輸入している[2]

商品は主力の「THE DREAMY FLAVOR」の他、コーラシロップをソーダと牛乳で割る「ミルコーラ」、ユズやサンショウなど国産素材を調合して作る「THE JAPAN EDITION」、そのまますぐに飲めるRTD商品などがある[4]
RTD商品は友桝飲料に製造委託している。

商品には、パウチと瓶の両方で販売されている他、スパイスが全て記載されていたりサインが入れられているなどパッケージにも工夫がなされており[6]、祖父が生きた大正・昭和のレトロ感を全面に押し出している[8]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]