尾崎奈々 – Wikipedia
尾崎 奈々(おざき なな、1948年7月28日 – )は、大阪府池田市生まれで豊中市育ちの元女優。本名は石原利子(旧姓は尾崎)。3人姉妹の末子。身長163cm、体重45kg(現役当時)。
人物・略歴[編集]
特技である琴は豊中市庄内に住む坂和師匠の教えを乞い、中学3年生で初伝、高校1年生の時に中伝の免状を取得[1]。
1965年、在籍していた大阪成蹊女子高等学校の帰り道、自宅最寄り駅である服部駅(現在の服部天神駅)付近で伊丹空港より車で京都へ向かう途中だった内田良平の平田マネージャーよりスカウトされ、勧められて同年夏に日活のカメラテストを受け合格するも決心がつかず、翌1966年の夏に再び平田マネージャーの勧めで東映のカメラテストを受け合格、そして最後に受けた松竹へ入社。試験官だった野村芳太郎監督の映画『命果てる日まで』で同年11月にデビュー。
1967年秋より、フジテレビ『お嫁さん』第3シリーズと並行して放送されたTBS『娘たちはいま』この両作品をきっかけに注目され、お茶の間での人気が急上昇した[2]。
スラリとした可憐な清純派女優として数々の映画、TVドラマ、舞台などで活躍した。1969年にはエランドール賞の新人賞を受賞した。
1972年、京都の京都映画撮影所で、テレビ東京『紫頭巾』撮影の折に石原興監督(当時は撮影技師、後に助監督)と知り合い、フジテレビ『結婚許しません』を最後に1973年12月に結婚、引退した。その後、1977年10月から12月にかけ放送されたフジテレビ・お昼のテレビ小説『みれん橋』で一時的に復帰した。
主な出演[編集]
映画[編集]
- 命果てる日まで(1966年、松竹大船) – 高森みどり
- 女たちの庭(1967年、松竹大船) 真山みふゆ
- また逢う日まで 恋人の泉(1967年、松竹=ビクター) – 原田れい子
- あゝ君が愛(1967年、松竹大船) – 栗林ミカ
- 嵐に立つ(1968年、松竹大船) – 高山花絵
- 進め!ジャガーズ 敵前上陸(1968年、松竹大船) – 雪子
- 思い出の指輪 (1968年、松竹/ホリ・プロ) – 坂本京子
- 虹の中のレモン(1968年、松竹大船) – 真山エミ
- 小さなスナック(1968年、松竹大船) – 若松美樹
- 恋の乙女川(1969年、ビクター/ワールド) – 吾妻八重子
- 永訣(1969年、松竹大船) – 行友弓子
- 落葉とくちづけ(1969年、松竹大船) – 田代信子
- 夕陽の恋人(1969年、松竹大船) – 上条由紀
- 海はふりむかない(1969年、松竹大船) – 美枝
- 栄光の黒豹(1969年、松竹大船) – ミス十日町
- チンチン55号ぶっ飛ばせ! 出発進行(1969年、松竹大船) – 岡本雪代
- 美空ひばり・森進一の花と涙と炎(1970年、松竹大船) – 浜子
- アッと驚く為五郎(1970年、松竹大船) – 大岩はるみ
- 夕陽が呼んだ男(1970年、松竹大船) – 浅井ルミ子
- 風の慕情(1970年、松竹大船) – 八田則子
- 姿三四郎(1970年、松竹大船) – 早乙美
- 暁の挑戦(1971年、フジテレビジョン/国劇映画) – 文子
- おんなの朝 あまから物語(1971年、松竹大船) – 和美
- 人間標的(1971年、松竹大船) – 斗志子
- 旅路 おふくろさんより(1971年、松竹大船) – 洋子
- 冠婚葬祭入門 新婚心得の巻(1971年、松竹大船) – 木村美子
- 喜劇 誘惑旅行(1972年、松竹大船) – 和田清美
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