紺屋町 (姫路市) – Wikipedia

紺屋町(こんやまち)は、兵庫県姫路市の町名。住居表示未実施。郵便番号は670-0924[3]

町域北部は、呉服町に接する。南部は亀井町に接する。

江戸期は姫路城下の1町で、町人地だった。東・西に分かれていた[5]。呉服町の南裏である[5]。町名の由来は、紺屋が居住したことによる。昔、播磨藍が其の名高く、藍染川で搗染めにした[5]。よって飾磨搗染といった[5]。家老河合寸翁(1767年-1841年)の時、西紺屋町に相生屋井上勘右衛門がいた[5]。勘右衛門は高砂染を製出して、藩命により一手専売とした[5]

世帯数と人口[編集]

2021年(令和3年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

世帯数と人口の遷移[編集]

『姫路市統計一斑 明治31-33年』(1902年印刷・発行)によれば、戸数、人口(1898年)は、東紺屋町54・145、西紺屋町120・431である[6]。『姫路誌』(1912年印刷・発行)によれば、東紺屋町41・126、西紺屋町118・408である[7]

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]

店・企業
  • アンド
  • 岩井コスモ証券姫路プラザ
  • 伊予製麺姫路みゆき通店
  • うめおか小溝筋店
  • お菓子のデパートよしや姫路御幸通り店
  • おの姫路革細工本舗
  • お仏壇の浜屋 姫路本店
  • カンダ
  • 素心
  • 空地帽子店
  • ドイツゲーム喫茶B-CAFE
  • 西松屋チェーンみゆき通り店
  • 日姫興産
  • 姫路大工町郵便局 – 日本郵政
  • 山田屋制服
金融機関
組合・団体
  • 姫路御幸通商店街振興組合[9]
かつて東紺屋町に居住した商人など
かつて西紺屋町に居住した商人など
かつて存在した店・企業
  • 西紺屋町
    • 牛尾現株店(有価証券現物問屋)[16]
    • 牛尾合資会社 – 主な業務は開墾及農業植林業[14]。株式公債の引受売買、土地殖林の経営[15]。設立年月・1923年5月[15]
    • 合名会社福永商会 – 主な業務は下駄材料販売業[14]。設立年月・1931年6月[14]
    • 山陽商事株式会社 – 主な業務は金銭貸付業[14]。一般信託[14]。設立年月・1913年3月[14]
    • 合資会社辰之家 – 主な業務は料理業。設立年月・1936年12月[14]
    • 吉中合名会社 – 主な業務は呉服太物商。設立年月・1922年10月[17]
    • 人ノスク薬店[18]

教育[編集]

健康[編集]

医療機関
医師

相談[編集]

施設[編集]

寺院

出身・ゆかりのある人物[編集]

参考文献[編集]

  • 姫路誌編『姫路市統計一斑 明治31-33年』姫路市、1902-1903年。
  • 橋本治策編『関西実業名鑑 明治40年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
  • 真船多吉編『改正日本弁護士名簿』日本弁護士協会、1908年。
  • 姫路誌編『姫路誌』姫路市、1912年。
  • 木内英雄編『姫路市飾磨郡神崎郡大正紳士録』木内英雄、1912年。
  • 宮井茂市『実業家案内』一市七郡実業家案内発行所、1913年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『兵庫県官民肖像録』博道社、1918年。
  • 播磨史談会編『姫路市史 市制施行三十年記念』姫路市、1919年。
  • 『姫路飾磨神崎紳士大鑑』姫路興信所、1924年。
  • 高崎雅雄編『大日本医師名簿』光明社、1925年。
  • 『統計年報 昭和2年』姫路商工会議所、1928年。
  • 兵庫県総務部統計課編『兵庫県会社一覧 昭和4年12月末日現在』兵庫県総務部統計課、1930-1935年。
  • 光明社編『最近調査大日本医師名簿』光明社、1931年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
  • 兵庫県総務部調査課編『兵庫県会社一覧 昭和15年12月末日現在』兵庫県総務部調査課、1941年。