ホーキング、宇宙を語る – Wikipedia

ホーキング、宇宙を語る : ビッグバンからブラックホールまで』(ホーキング うちゅうをかたる ビッグバンからブラックホールまで、原題:A Brief History of Time)は、英国の物理学者スティーブン・ホーキングが1988年に発表した通俗科学の書籍である[1]。ベストセラーとなり、20年間で1,000万部以上の売り上げを記録した[2]。また、ロンドンの『サンデー・タイムズ』紙では4年以上もベストセラーリストに選ばれ続け、2001年までに35言語に翻訳された[3]

ホーキングは専門家ではない読者に向け、ビッグバン、ブラックホール、光円錐を含めた宇宙論の一分野を説明しようと試みている。彼の主な目的はその分野の概観を伝えることであるが、ある種の込み入った数学を説明することにもまた試みている。彼の著作の1996年度に出版されたものとその後続の版において、彼はタイムトラベルとワームホールについて論じ、時間の始まりにおいては量子特異点無しに宇宙が存在し得るとの可能性を探究している。1983年初期に、ホーキングは初めてケンブリッジ大学出版局で天文学に関する書籍の担当であったサイモン・ミットンと会い、一般向けの宇宙論の本を書く構想を示した。 ミットンはその草稿に書いてあるあらゆる方程式に対し、難解すぎるのではと疑義を差し挟んだ。それらの方程式によりホーキングが待ち望んでいた空港の本屋での購入者に購入を思いとどまらせてしまうのではとも考え、少々困難を伴ったが、彼はホーキングにひとつの方程式を残しその他の方程式をすべて除去するよう説得した[4]。著者は本の謝辞で、本に方程式をひとつ書くごとに読者数が半減するだろうとの趣旨の忠告を受けたため、この本にはひとつの方程式:E = mc2しかない、と述べている。探究対象の概念の詳細を述べるために、この本ではたくさんの複雑なモデル、図、挿絵などが用いられている。

様々な版[編集]

  • 1988年の初版ではカール・セーガンによる次のような前書きが掲載されている。この前書きは初版以降取り除かれた。ホーキングや出版社でなくセーガンに著作権があり、出版社は永久にそれを使用する権利を持っているわけではなかったためである。ホーキングは後の版では自分自身による前書きを書いた。
    セーガンは1974年に科学的会議のためにロンドンにおり、会議の合間に別の部屋にふらりと入ってみた。そこではセーガンが出ていた会議よりも大きな会議が開かれていた。“私は古来から続く儀式を見ているのだと気付きました。この惑星で最も古くから存在する学際的組織のひとつである王立協会の新たな会員の入会式であったのです。最前列では、若い車いす姿の男がたいそうゆっくりと、一番初めの方のページにアイザック・ニュートンのサインが施された本に自分の名前をサインしていました。スティーブン・ホーキングはもう既に伝説だったのです。”
    セーガンは続けて前書きに、ホーキングはルーカス教授職にあったニュートンやポール・ディラックの”ふさわしい後継者”であると付け加えている[5]
  • 1996年 イラスト入り最新拡充版:このハードカバー版では、本の内容をさらに説明するためにフルカラーのイラストと写真が使用された。また原本に含まれていないトピックも追加された。
  • 1998年 10周年記念版:これは1996年に出版されたものと同内容であるが、ペーパーバックとしても出版され、図はほんの少ししか含まれていなかった。ISBN 0-553-10953-7
  • 2005年 『ホーキング、宇宙のすべてを語る』:これはレナード・ムロディナウ英語版との共著であり、原作の簡略版である。さらなる科学の発展により生じた新たな話題を付け加えるために、再び改訂された。ISBN 0-553-80436-7

エロール・モリスはホーキングのドキュメンタリー映画 A Brief History of Time を監督した。タイトルは同一であるが、この映画はホーキングの伝記であり、この書籍の映画版ということではない。

ニューヨークのメトロポリタンオペラはホーキングの書籍に基づき、2015,6年に初公演となるオペラを委託した。これはオスバルド・ゴリホフ によって作曲される予定で、アルベルト・マングェル英語版による台本・ロベール・ルパージュ英語版による制作である[6]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]