ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン – Wikipedia

ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン
Wasif Ali Mirza Khan
ムルシダーバード太守

ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン

在位 1906年 – 1947年
戴冠式 1906年12月25日
別号 ナワーブ

出生 1875年1月7日
ムルシダーバード
死去 1959年10月23日
カルカッタ
埋葬 ジャアファルガンジ・セメタリー
王朝 ナジャフィー朝
父親 ハサン・アリー・ミールザー・ハーン
宗教 イスラーム教
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ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン(Wasif Ali Mirza Khan, 1875年1月7日 – 1959年10月23日)は、東インドのムルシダーバード太守 (在位:1906年 – 1947年)。ライス・ウッダウラ(Rais ud-Daula)とも呼ばれる。

1875年1月7日、ムルシダーバード太守(このときはまだ太守ではない)ハサン・アリー・ミールザー・ハーンの長男として生まれた。

1906年12月25日、父ハサン・アリー・ミールザー・ハーンが死亡し、息子のワーシフ・アリー・ミールザー・ハーンが太守位を継承した[1]

1947年8月15日、インド・パキスタン分離独立時、ムルシダーバード区域はパキスタンに併合され、ハザールダウリー宮殿にはパキスタンの旗が掲げられた[1]。だが、8月17日にインドはクルナーと交換でムルシダーバードを手に入れ、ハザールダウリー宮殿にはインドの旗が掲げられた[1]

1953年、インドの西ベンガル州政府はワーシフ・アリー・ミールザー・ハーンの土地をすべて接取した[1]

1959年10月23日、ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーンはカルカッタで死亡した[1]。享年84。

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Murshidabad 16

関連項目[編集]

  • ベンガル太守