局所麻酔 – Wikipedia

注射による局所麻酔

局所麻酔(きょくしょますい、英: local anesthesia)とは、意識消失を伴わずに、麻酔薬が作用している部位のみを除痛する麻酔の方法である。なお狭義の局所麻酔は、局所浸潤麻酔の事を指す。これに対して、意識消失を伴う麻酔は全身麻酔と言う。局所麻酔は、主に、侵襲性の低い手術や簡単な縫合などの救急処置などの際に行われる。なお、局所麻酔を行うための麻酔薬を総称して局所麻酔薬と言うものの、局所麻酔薬は、局所麻酔の目的だけではなく、手術時の全身麻酔薬と併用する事により、手術後の鎮痛目的にも用いられる。

局所麻酔は、局所麻酔薬の適用部位により、以下のような種類がある。

  • 脊椎麻酔(脊髄くも膜下麻酔)(英:Spinal Anesthesia or Subdural Anaesthesia)
  • 硬膜外麻酔 (英:Epidural Anaesthesia)
  • 局所浸潤麻酔
  • 表面麻酔
  • 伝達麻酔

全身麻酔との大きな違いは、麻酔薬が作用した部位の痛みは、その刺激が感覚神経によって脳へと伝達されなくなっているために、痛みを感じなくなっているものの、意識の消失は起こらない点である。これは、処置の最中に発生した何かしらの身体の変化に患者自身が気付くこと、全身麻酔薬が作用した場合には時に失われる自発呼吸も保たれること、意識消失に使用する全身麻酔薬が使用できない状況でも手術を行うことが可能(妊娠中の患者・帝王切開手術など)などの利点がある。

しかし、局所麻酔によって除痛ができていても、身体に侵襲が加わっている点に変わりはない。局所麻酔薬の濃度が低下すれば、相応の痛みが出てくる。また、術中に患者にとって不利益な精神症状が出てくる可能性は否定できない。そのため状況に応じて鎮静が必要とされる場合もある。なお、全身麻酔と局所麻酔の併用、もしくは局所麻酔に鎮静を加えた手法(Monitored Anesthesia Care)も頻用される。

脊椎麻酔(脊髄くも膜下麻酔)[編集]

局所麻酔薬をくも膜下腔に投与する方法で行う麻酔である。麻酔薬としては、プロカイン、テトラカイン、リドカイン、ジブカイン、ブピバカインを用いることが多い。日本では調節性の良いブピバカインが特に頻用される。主に下腹部や下肢の手術に用いられる。

硬膜外麻酔との比較として少量の麻酔薬で効果が現れ、手技的にも容易であるという点が挙げられる。しかし硬膜外麻酔と比べて麻酔可能部位が制限されること(臍上部周辺の手術が限界であり、上腹部~胸部の手術は困難)、持続的投与ができないなどの弱点がある。

硬膜外麻酔[編集]

局所麻酔薬を硬膜外腔に投与する方法で行う麻酔である。エピ(epi)あるいはエピドラ(epidural)と略される場合もある。麻酔薬としてはリドカイン、メピバカイン、ブピバカイン、ロピバカイン、レボブピバカインを用いることが多い。日本においては2010年現在、リドカイン、メピバカイン、ロピバカインの使用頻度が高い。近年レボブピバカインも登場し、活用されている。

適応は基本的に脊椎麻酔と同じだが、硬膜外への穿刺部位を変えることで目的とする区域のみに限定して除痛を行う事が可能なため、頚部、胸部の手術にも用いることができる。さらに注入カテーテルを硬膜外腔に留置して局所麻酔薬を追加することによって、より長時間除痛を行う事ができるなどの利点もある。また注入カテーテルを通じて持続的に局所麻酔薬を注入する専用のポンプを用いれば、持続的に除痛を行う事も可能で、胸部・腹部・下肢手術に頻用されている。

硬膜外麻酔は全身麻酔と併用することが多く、併用することで全身麻酔に必要な鎮痛薬の使用量を減ずることも可能である。弱点としては、手技的にやや難しいこと、脊髄くも膜下麻酔に比べて多くの局所麻酔薬が必要となるので局所麻酔薬中毒がやや起こり易い事が挙げられる。

局所浸潤麻酔[編集]

狭義の局所麻酔である。主に小切開の場合に用いる麻酔である。他に、意識下に太めの末梢ラインや中心静脈ラインを確保する際や、硬膜外麻酔や脊椎麻酔で硬膜外針や脊椎針の刺入前に細めの注射針で痛覚を取る際や、小さな部位の切開・縫合手術などに用いる。麻酔薬としてはリドカイン、メピバカイン、プロカインを用いる。

表面麻酔[編集]

眼科、耳鼻科、泌尿器科、歯科の手術や気管支鏡、食道鏡による検査時に行う麻酔で、粘膜にリドカインを噴射、塗布する。

伝達麻酔[編集]

末梢神経束の周辺に局所麻酔薬を注入して、疼痛刺激の神経伝達をブロックする方法である。ペインクリニックで行う神経ブロックと同義である。麻酔薬としては、リドカイン、メピバカイン、ロピバカインを用いる事が多い。手術を行う目的部位の知覚を支配する神経を同定してブロックを行う事で、部位を限局した痛覚鈍麻すなわち周術期鎮痛を行う事が可能である。

特に上肢の知覚を支配する腕神経叢に対してブロックを行う腕神経叢ブロックは広く行われており、侵襲の程度が大きくなければ、全身麻酔を行わず、腕神経叢ブロック単独で上肢の手術を行うことも可能である。

解剖学上の神経走行を捉えるランドマーク法に端を発し、登場した当時は確実性にやや乏しい点もあった。その後、神経を微弱な電流で刺激して筋収縮を確認する方法で、神経局在を把握して行う神経電気刺激法が発達したために普及した。さらに近年は超音波検査装置を利用し神経を同定する、超音波ガイド下神経ブロックが行われるようになった[1]
硬膜外麻酔、脊椎麻酔が利用できない症例(適応外症例:血液の凝固機能の異常がある、もしくは抗凝固薬・抗血小板薬を使用中もしくは使用予定)に対しても活用することが出来、周術期における疼痛管理として麻酔科学領域におけるトピックになっている。

局所麻酔の総論的事項[編集]

局所麻酔薬の分類[編集]

エステル型
コカイン、プロカイン、クロロプロカイン、テトラカインなどが含まれる。血中に含まれるエステラーゼでも、麻酔薬の分子内のエステル結合が加水分解されて効力を失うため、作用時間は短い傾向にある。
テトラカイン(テトカイン、以下同じく括弧内が商品名とする)
プロカイン(ノボカイン)
アミド型
リドカイン、メピバカイン、ジブカイン、ブピバカイン、ロピバカイン、レボブピバカインなどが含まれる。主に肝臓でゆっくりと分解されるため、作用時間が長い傾向にある。逆に言えば、長く麻酔薬が残存してしまうなどの問題もあり、ブピバカインなどでは心血管系毒性が問題になったりもする。
ジブカイン(ペルカミン)
ブピバカイン(マーカイン)
メピバカイン(カルボカイン)
リドカイン(キシロカイン)
レボブピバカイン(ポプスカイン)
ロピバカイン(アナペイン)
日本で近年主に使用される局所麻酔薬
表面麻酔・・・リドカイン
脊髄くも膜下麻酔・・・ブピバカイン
硬膜外麻酔・・・リドカイン、メピバカイン、ロピバカイン、レボブピバカイン
伝達麻酔・・・リドカイン、メピバカイン、ロピバカイン

作用機序[編集]

局所麻酔薬が電位依存性ナトリウムチャネル(NaV)に作用する概念図。

局所麻酔薬の共通の構造として、脂溶性の高い芳香基(ベンゼン環)と、水素イオンを得て電離すると水溶性となる3級アミンの双方を持っている点が特徴である。このため水溶液中では、塩基型(B)とイオン型(BH+)の平衡状態にある。局所麻酔薬の作用対象は、神経線維の電位依存性ナトリウムチャネルであり、電離していない塩基型(B)の状態で細胞膜を通過した後に、イオン型(BH+)に変わり細胞質側から電位依存性ナトリウムチャネルをブロックして、神経の信号伝達を阻害する事により作用を発揮する。そのため、局所麻酔薬のpKa(酸解離定数)が細胞内のpHである7.4に近いほど作用発現が早くなり、また脂溶性が高いほど局所麻酔の作用が強くなる。

局所麻酔薬の効き方[編集]

一般に細い神経から順に麻酔されてゆく。順序としては、血管運動神経、温痛覚、触覚、圧覚、運動の順番である。臨床現場では麻酔が効いたかの評価は主に温かさ、冷たさを感じるかで行う(コールドサインテスト)。

末梢神経の知覚については、疼痛を参照。

局所血管収縮薬の添加[編集]

一部の局所麻酔薬はアドレナリンやノルアドレナリンなどを添加して用いる。これは麻酔薬を使用した部位の血管が収縮するため、麻酔薬が血流などの影響で濃度低下する時間が遅くなるため作用時間が長くなったり、局所に麻酔薬が留まり血中濃度が上昇し難いようにするなどの効果を狙った手法である。しかし、糖尿病、甲状腺機能亢進症、高血圧といった全身性疾患を持っている場合は、相対的禁忌(実際には注意して使用)とされている。また、指先や耳介など終動脈となっている部位では、血管収縮の結果、壊死を生じるため禁忌である。この部位を麻酔する時は、アドレナリンを添加していない麻酔薬を用いる。局所麻酔薬へのアドレナリンなどの添加は主にリドカインで行われ、製剤時に添加済みの薬剤も使用されている。

作用時間[編集]

一般にブピバカインなどのアミド型の局所麻酔薬は作用時間が長く、プロカインなどのエステル型の局所麻酔薬は作用時間が短い。これは、血中でも容易に分解されるエステル型と、主に肝臓で分解されるアミド型の差異である。

合併症[編集]

局所麻酔中毒
局所麻酔薬による中毒症状である。麻酔薬投与時に引き続いて発生する即時型と、投与後30分位経過してから起こる遅発型との2種類に、大きく分類される。
即時型では、いきなり痙攣や意識の消失、循環虚脱(ショック)が起こる。
遅発型の場合は、症状の段階的な発現が特徴的である。まず始めは、刺激症状と呼ばれる中枢神経症状が見られ、舌、口のうずきから始まり、めまい、耳鳴、興奮などが起こる。次いで、抑制症状と呼ばれる中枢神経症状(意識消失、痙攣)や呼吸停止が起こる。その後に、心血管系に症状が出て、循環虚脱に至り、最悪の場合には死亡する。
このため、なるべく早く状況に応じた処置を行う必要があり、初期症状である舌、口のうずきなどを見逃してはならない。なお、痙攣や呼吸停止、循環虚脱に準じた対症療法が行われ、さらに悪化すると心肺蘇生が必要となる場合もある。
リドカインの極量は200 mg(もしくは3 mg/kg)とされている。近年頻用されているロピバカインについては一定した見解はないが、おおよそ3 (mg/kg)ないし4 (mg/kg)が極量とされている。
ブピバカインは薬剤の普及が始まった当初、投与薬剤として頻用され、硬膜外麻酔や脊椎麻酔だけでなく、伝達麻酔などにも頻用された。しかし、ブピバカインは強い心血管系毒性を有するため、局所麻酔薬中毒による循環虚脱およびそれに起因する心停止に対して蘇生率が非常に悪く、昨今は過去ほど頻繁には使用されなくなった。なお、脊髄くも膜下麻酔は使用すべき局所麻酔薬が少量で良いため、日本では現在でもブピバカインが特に頻用されている。また硬膜外麻酔に使用する場合、ロピバカインに比べて効果発現が速いため、添付文書に記載される常識的な量の投与であれば問題はないとして、妊婦の無痛分娩に際しての硬膜外投与に現在でも頻用されている。
近年頻用されるロピバカインはブピバカインに比べて心血管系毒性が低いため、硬膜外麻酔・伝達麻酔に対して比較的高用量でも安全に使用できる。無論、上記の極量を超えないように使用することは肝要である。
1998年に、局所麻酔薬中毒による循環虚脱、心停止に対しての救命処置に、脂肪乳剤が有効であると報告された[2]。2007年には英国・アイルランド麻酔科学会から、脂肪乳剤に対するガイドラインも発表されており注目を集めている。詳細はLipidRescueのホームページを参照[3]
局所麻酔中毒の治療
治療のポイントは、できるだけ早く気づき、すぐに必要な処置を講ずる事である。多弁や興奮状態を呈した場合は、即座に局所麻酔薬の投与を中止する必要がある。まずは気道を確保し、100パーセントの酸素の吸入を行い、その上で、必要であれば昇圧薬の投与と人工呼吸を行う。
痙攣に対しては、バルビツレートやジアゼパムなどの抗痙攣作用を有する薬剤が有効である。また、筋弛緩薬が必要なことがあるため、マスクや気管挿管による人工呼吸の準備をしておく必要もある。
局所麻酔中毒の予防
血管内に大量の局所麻酔薬が、一気に入らないようにすることが重要である。したがって、麻酔薬の用量を充分な除痛ができる必要最小限度にする事が望ましい。麻酔薬は、最小限の濃度で必要最小量の投与が、そもそもの原則である。
また、アドレナリンなどの局所の血管収縮薬を利用できる部位の場合にはそれを添加する方法もある。こうする事で、局所麻酔薬が急速に血流中へと入ることを防止できる。ただし、その場合にはアドレナリンなどによる有害な反応にも注意を払わねばならない。
この他に、逆血がないことの確認、意識消失が起こらないという局所麻酔の利点を利用して症状を確認しつつゆっくり麻酔薬を注入することなどが、予防法として挙げられる。
ただし、これらの予防法を講じていたとしても、予測不能のアナフィラキシーショックなどが発生する場合も稀にあるので、もしもに備えておく事は必要である。

局所麻酔薬と光学異性体[編集]

光学異性体とは、分子を構成する原子の組成および結合状態は同一であるが、立体構造が異なる分子を言う。メピバカイン、ブピバカイン、ロピバカインには光学異性体が存在する。従来の局所麻酔薬はR体(右旋性)とS体 (左旋性) を等量含んだラセミ体として使用されてきたものの、光学異性体の間で麻酔の効果や心毒性に差が見られることが分かってきた。市販されているロピバカイン製剤であるアナペインは、局所麻酔作用が強く、心血管系への作用が少ないS体のみを製剤化し安全性を高めている。同様に、S体のブピバカインのみを製剤化したものがレボブピバカインである。レボブピバカインは、ラセミ体のブピバカインと比べ効力は同等であるのに対して、心毒性は弱い。

胃痛などの消化管の痛みを、一時的に強制的に抑えるために、経口投与で使用される場合のあるアミノ安息香酸エチルやオキセサゼインも、その実は局所麻酔薬である。このため、これらは素早く飲み下さねば口腔内に痺れなどが出てくる。

参考文献[編集]