Month: November 2017

吉坂峠 – Wikipedia

吉坂峠(きっさかとうげ)は、京都府舞鶴市と福井県大飯郡高浜町との境にある峠である。旧道の標高は102m[1]、現在は峠の北側を国道27号の青葉トンネル(旧称「青葉隧道」)が、南側をJR小浜線の吉坂トンネルが通っており、舞鶴や小浜など北近畿の経済、産業を支える重要幹線となっている。 吉坂峠は、丹後街道に位置し、丹後国と若狭国を接する国境として歴史上、軍事上の重要な拠点であった。現在のトンネルができる前の旧道は未舗装道路として現存しており、明治時代に改修された石垣積みが峠の両側に部分的に残っている[1]。中世、この付近の地名である木津の庄に由来し、木津坂と呼ばれていたが、いつしか現状の吉坂となったという[2]。 国境線を巡る争いの逸話が伝わっており、鎌倉時代に若狭と丹後で闘犬をおこない、国境を決めたという、これに由来し峠の国境には道の両側に犬石が目印として置かれていたというが、現在は失われている[1][2]。室町時代には、丹後守護の地位を争った一色氏と武田氏(若狭武田氏)の攻防戦が行われ、吉坂砦(きちさかとりで)が丹後最東端に築かれていた。戦国時代には高浜城主の逸見昌経の戦の舞台ともなったという[2]。江戸期には小浜藩によって若狭最西端に関所が設けられ、要所として知られていた。また、近年まで峠付近には休憩のための水飲み場もあったが、所在不明である[1]。 交通路の近代化[編集] 鉄道[編集] 小浜線は大正4年から工事が開始、敦賀から新舞鶴まで順次延伸された。吉坂トンネルを含む高浜と新舞鶴間が大正11年に竣工し、小浜線が全線開通した[3]。 道路[編集] 道路トンネルは戦時中の昭和18年から工事が開始[4]され、戦後の昭和25(1950)年6月30日に吉坂トンネル(全長280m、幅7.5m、コンクリート造)として開通[5]した。 しかし、福井県嶺南地方に甚大な被害をもたらした昭和28年の台風13号[6]により、落盤を起こし、使用が不可能となった[1]。 このため、2代目のトンネルが初代の北側[7][注釈 1]に着工され、昭和31年2月7日に開通した[8]。これが、現在の青葉トンネル(全長343m 幅員7.1m 高さ4.5m[9])である。 周辺の情報[編集] ギャラリー[編集] 青葉トンネル(福井県側) 吉坂堡塁の建物遺構 出典[編集] 注釈[編集] ^

Continue reading

分散型台帳 – Wikipedia

分散型台帳(ぶんさんがただいちょう、英: distributed ledger、distributed ledger technology、DLT)とは、共有台帳または分散型台帳技術(DLT)とも呼ばれ、地理的に異なる複数の場所、国、機関などにまたがって複製され、共有され、同期されるよう合意されたデジタルのデータである。 [1] 中央集権型のデータベースとは異なり、中央管理者は存在しない。[2] 一部のケースにおいては、Replicated Journal Technology(RJT)という用語が使われる場合もある。これはノードごとに情報が完全な形で複製され、データのブロックは時系列で繋がる為、会計上の台帳というよりも仕訳帳という形をとるからである。[3] ノードごとにまたがるデータ複製を実行するために、P2Pのネットワークとコンセンサスを取るアルゴリズムが必要となる。[2] 分散型台帳の一例はブロックチェーンのシステムであり、パブリック型とプライベート型のいずれかの形態となる。 分散型台帳データベースは、P2Pネットワークにより複数のノード(デバイス)にまたがって存在し、それぞれが同一の完全な台帳を複製し保存し、独立して更新を行う。主要なアドバンテージは中央主権者を持たないという事である。台帳の更新が起きる時、ノードはそれぞれトランザクションを準備し、コンセンサスアルゴリズムによってどの複製が正しいかを投票する。合意に達した場合、そのた全てのノードは新たな正しい台帳に自らを更新する。[4][5] セキュリティは暗号キーと暗号署名によって達成される。[6][7][8] 分散型台帳は、許可型と無許可型のどちらかのタイプをとる。承認を受けたものだけがノードを運用しトランザクションを検証できるか、それとも誰でも自由にできるかの違いである。[9] さらに、使われるコンセンサスアルゴリズムによってもの種類が異なってくる場合がある。(プルーフ・オブ・ワークシステム、プルーフ・オブ・ステーク、Hashgraphなど) 関連項目[編集] ^ Distributed Ledger

Continue reading

朝鮮総督府警察 – Wikipedia

朝鮮総督府警察(ちょうせんそうとくふけいさつ)は、日本統治時代の朝鮮を統治する朝鮮総督府が設置した警察である。 韓国統監府に警察を設置したのが起源で、韓国併合で朝鮮総督府が設置されると同時に発足した。 発足当初は、憲兵警察制度を採用していた。 1945年(昭和20年)8月の終戦により、朝鮮総督府は解体され、朝鮮総督府警察は南北朝鮮の国家の警察に引き継がれた。 1905年(明治38年)11月 韓国統監府に警察を設置。 1910年(明治43年)7月 大韓帝国より警察権の全面委託を受け、中央に警務総監部、地方に警務部を置く。このときに憲兵警察制度を採用。 1910年(明治43年)8月 韓国併合。大韓帝国政府と統監府が朝鮮総督府に改組される。 1915年(大正4年)3月 中央の警務総監部直轄だった京城府の警察事務を京畿道警務部に移譲する。 1919年(大正8年)8月 警務総監部を廃止し、警務局を置く。地方の道に警察権を移譲し、道庁に警察部を置く。憲兵警察制度を廃止する。 警務局・道警察部の組織[編集] 1925年(大正14年)時点 警務課 高等警察課 保安課 衛生課 1927年(昭和2年)時点 京畿道 京城昌徳宮警察署、京城本町警察署、京城鍾路警察署、京城東大門警察署、京城西大門警察署、仁川警察署、開城警察署、龍山警察署、永登浦警察署、金浦警察署、漣川警察署、抱川警察署、坡州警察署、長湍警察署、江華警察署、楊州警察署、楊平警察署、加平警察署、広州警察署、驪州警察署、利川警察署、龍仁警察署、安城警察署、平沢警察署 江原道 春川警察署、麟蹄警察署、楊口警察署、淮陽警察署、通川警察署、高城警察署、襄陽警察署、江陵警察署、三陟警察署、蔚珍警察署、旌善警察署、平昌警察署、寧越警察署、原州警察署、横城警察署、洪川警察署、華川警察署、金化警察署、鉄原警察署、平康警察署、伊川警察署、金城警察署

Continue reading

ジッピーチッピー – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ジッピーチッピー” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年8月) ジッピーチッピー(Zippy Chippy、1991年4月20日 – 2022年4月15日[1])は、アメリカ合衆国の競走馬。デビューからいちども勝利しないまま100戦をこなした馬で、その負け続けてもなお出走する姿から人気者となり、日本のハルウララに相当するブームを巻き起こした。 出自[編集] 1991年4月20日に生まれたサラブレッドである。父コンプライアンスはノーザンダンサーの直仔で自身の競走実績は貧弱ながらトライマイベストの全弟・エルグランセニョールの全兄に当たる良血馬で、この年にアイリッシュ2000ギニーを勝ったフォースターズオールスターを出した実績ある種牡馬であった。また母方もバックパサーやワットアプレジャー、ラウンドテーブルなどの血を引いており、ジッピーチッピーは血統だけなら決して悪くない馬であった。 非常に気難しい馬で、デビュー前から去勢されている。後に調教師となる(後に馬主も兼ねる)フェリックス・モンセラーテも、度々ジッピーチッピーに蹴られたり噛みつかれていたという。 競走馬として[編集] ジッピーチッピーは1993年に競走馬デビューした。ニューヨーク産馬であることから地元のファンを中心に人気を集めていた。しかし、ジッピーチッピーはその期待にまったく応えず、出走する度に黒星の数を増やしていった。所有者も何度か変わっているが、いずれもしばらくしてこの馬を手放している。 モンセラーテがジッピーチッピーを譲り受けたのは1995年のことで、金銭ではなくフォードの1988年モデルのトラクターと交換されたという。モンセラーテは「私は彼が何歳でも構わない。彼は挑戦し、挑戦し、挑戦している。その姿は私を喜ばせてくれる。」と語り、ジッピーチッピーを競馬場に送り込んでいった。いくら負けても出走するジッピーチッピーには、いつしかThrust(スラスト)の持つ106連敗という記録への挑戦が期待されるようになっていった。こうしてジッピーチッピーは、勝つことでなく負けることで人気を集め、次第にブームを形成していった。 モンセラーテもジッピーチッピーを家族同然に扱い、競走生活の後半は彼をクレーミング競走(他の馬主への譲渡・売却を前提とした競走)への出走をさせないようにしていた。

Continue reading

石岡テレビ中継局 – Wikipedia

石岡テレビ中継局(いしおかてれびちゅうけいきょく)は茨城県かすみがうら市に置かれていたNHKテレビ中継局である。1997年3月から2011年7月24日まで電波を送信していた。[要出典] 茨城県内にあるため管理はNHK水戸放送局が行っている。 東京タワーから送出されるアナログ放送1~3チャンネルの映りがスポラディックE層(以下「Eスポ」)の発生により悪くなったことに対応して設置されたものである。[要出典] Eスポは季節的には5月中旬~8月上旬に発生頻度が高く、時間的には11時~12時と17時~18時頃に最も出現頻度が高い。[要出典] 放送エリアは、石岡市・かすみがうら市・小美玉市・土浦市・つくば市・牛久市・稲敷郡阿見町の各一部地域。[要出典] 東京タワーから送出される民放各局(4~12チャンネル)についてはEスポの発生による電波障害はほとんどないため、再送信されていない。[要出典] アナログのみの中継局のため、2011年7月24日24時の停波をもって運用を終え、廃止された。 中継局置局住所は、かすみがうら市雪入。雪入山山頂よりやや南東に下がった位置(かすみがうら市三ツ石森林公園北方)。[要出典] 東京タワーから送出される電波を受信しUHFに変換し再送信している。そのためEスポの発生状況が酷い場合には、この送信所からのチャンネル画像にも薄くEスポの障害が発生することがあった。 2004年2月にアナアナ変換が行われた(NHK総合51ch→40ch、NHK教育49ch→42ch)。そのためNHK総合テレビが放送大学学園の前橋テレビ放送所の電波の影響を受け、「同一チャンネルビート」の受信障害を起こす地域が一部であった。[要出典] また、NHK教育テレビが42chになったために茨城県南部の一部や千葉県北西部においてtvkの受信に一部影響が現れた。そのためJ:COM東関東では2004年3月末に再送信が打ち切られたほか、直接受信するためにパラスタックアンテナなどの高性能アンテナへの付け替えが必要になった世帯もある。[要出典] 代替としてかすみがうら市雪入地区と石岡市の旧八郷町南部地区の難視聴地域向けに小規模な中継局[要出典]、八郷南中継局が設置され、NHK水戸総合デジタルテレビ・NHK教育デジタルテレビは2010年12月24日、在京の民放デジタル5局は2011年10月5日にそれぞれ開局した。 送信施設概要(廃止時点)[編集] 置局住所:かすみがうら市雪入(かすみがうら市三ツ石森林公園北方)

Continue reading

インフィニ – Wikipedia

『インフィニ』(Infini)は、カナダのヘヴィメタル・バンド、ヴォイヴォドが2009年に発表したスタジオ・アルバム。通算15作目で、スタジオ・アルバムとしては12作目に当たる。 ヴォイヴォドは2008年、新ギタリストのダン・モングレインとオリジナル・ベーシストのブラッキーを迎えた編成でライヴ活動を再開したが[2]、本作は前作『カトルズ』(2006年)と同様、2005年に死去した”ピギー”ことデニス・ダムールが生前に残したデモ録音を使用して、ジェイソン・ニューステッドが全曲でベースを弾いた[2]。ギター・パートはピギーが録音したままの状態で、サウンドの加工やギターのオーヴァーダブは一切行われていない[4]。 バンドは2009年にリラプス・レコードと契約しており、アメリカ盤は同社からリリースされたが[5]、ドイツでは引き続きニュークリア・ブラストから、日本ではビクターエンタテインメントから発売された。 反響・評価[編集] アメリカでの初動売り上げは前作『カトルズ』に及ばず、『ビルボード』のトップ・ヒートシーカーズでは67位であった[6]。 Greg Pratoはオールミュージックにおいて5点満点中4点を付け「”Earthache”や”Global Warning”といった曲が証明しているように、彼(ピギー)が最期まで自分のスタイルを貫いてきたことは即座に理解できるだろう」と評している[7]。また、Adrien BegrandはPopMattersにおいて10点満点中8点を付け「ダムールのトレードマークである不協音程の中には、常に繊細なメロディックさが隠れており、キリング・ジョークの偉大なギタリスト、ジョーディー・ウォーカーにも匹敵する」と評している[8]。 全曲とも作詞:スネイク/作曲:ヴォイヴォド。 ゴッド・フォーンズ “God Phones” – 5:07 フロム・ザ・ケイヴ “From the Cave” –

Continue reading

紀南農業協同組合 – Wikipedia

紀南農業協同組合(きなんのうぎょうきょうどうくみあい、JA紀南)は、和歌山県田辺市に本所を置く農業協同組合である。 2003年4月1日に、田辺市及び西牟婁郡内にあった田辺市農業協同組合、紀南農業協同組合、白浜信用農業協同組合、とんだ農業協同組合、上富田農業協同組合、なかへち農業協同組合、日置川農業協同組合、すさみ町農業協同組合、串本町農業協同組合の9農協が合併して発足した。 2011年7月12日、南高梅の生産農家からの買い付け価格を横並びにするカルテルを結んでいた疑いが強まったとして、公正取引委員会は私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)違反(不当な取引制限)の疑いで同組合への立ち入り検査を実施した[1]。 2017年より、全国農業協同組合中央会(JA全中)の代表理事会長に紀南農協出身の中家徹が就任している。 2019年6月25日「高さ6mの倉庫屋根上で作業を行わせる際、踏み抜きによる危険を防止するための措置を講じなかった」(労働安全衛生法第21条、労働安全衛生規則第524条違反)として送検された[2]。 事業内容[編集] 事業区域[編集] 本所・各部[編集] 本所 〒646-0027 和歌山県田辺市朝日ケ丘24-17 営農経済本部 〒646-0031 和歌山県田辺市高雄三丁目22-19 支所・店[編集] 上秋津支所 〒646-0001 和歌山県田辺市上秋津2010-3 中央支所 〒646-0005 和歌山県田辺市秋津町7-1 新庄支所 〒646-0011 和歌山県田辺市新庄町672 東支所

Continue reading

シャンタル・アケルマン – Wikipedia

シャンタル・アケルマン(Chantal Akerman、発音 : [ʃɑ̃tal akɛʁman]、1950年6月6日 – 2015年10月5日)は、ベルギー出身の映画監督、脚本家、女優(日本語では誤ってシャンタル・アッカーマンと表記されていた時期もあった。姓「Akerman(アケルマン)」の語末「-an」は 鼻母音 [ɑ̃] ではなく、口むろ母音a+子音n の [an] であることから、カタカナ表記では「シャンタル・アケルマーヌ」が最も正確な発音に近い)。代表作に『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディールマン』がある[2][3]。 1950年6月6日、ブリュッセルに生まれる[1]。ユダヤ人の両親を持つ[4]。彼女の父方の祖父母は、反ユダヤ主義の強まっていたポーランドを逃れ、ブリュッセルへ渡った[5]。貧困の中で育った彼女の父親は、12歳の頃から働き、18歳で自らの工場を持つに至った[5]。母方の祖父母はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で死去し[5]、彼女の母親は生還した[2]。 高校での生活になじめなかった彼女は、文学に興味を持っていたが[5]、15歳の頃にジャン=リュック・ゴダール監督の映画『気狂いピエロ』を見て、映画製作の道へ進むことを決意する[5]。 1968年、短編映画で映画監督デビューを果たす[2]。1975年、デルフィーヌ・セリッグ主演の『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディールマン』を監督する[4]。2011年、ニューヨーク市立大学シティカレッジのスタッフに就任する[3]。 2015年10月5日、パリにて死去[6]。65歳没[6]。その死については、うつ病で入院していたという報道がある一方、自殺であったとする報道もなされている[6]。 彼女の作品は、トッド・ヘインズやガス・ヴァン・サント、サリー・ポッター、ミヒャエル・ハネケらに影響を与えた[6]。 フィルモグラフィー[編集] 映画[編集] 街をぶっ飛ばせ(1968年)

Continue reading

郷鍈治 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “郷鍈治” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年4月) ごう えいじ郷 鍈治 本名 瀬川 鍈治 (せがわ えいじ)旧姓:宍戸 (ししど) 生年月日 (1937-05-29)

Continue reading