Month: September 2019

とことん地下鉄!!大名古屋 – Wikipedia

とことん地下鉄!!大名古屋(とことんちかてつ!!だいなごや)とは、名古屋市交通局が2001年8月8日に発売した鉄道シミュレーションゲームである。PCでのプレイで、キーボードかジョイスティックで操作する。 収録区間は名古屋市交通局の名古屋市営地下鉄である。 かつては路線ごと(東山線・名城線、桜通線・鶴舞線の2種類)にCD-ROMで提供されていたが、2004年の名城線環状化に伴い、全路線(上飯田線を除く)を収録したDVD-ROM版が発売された。2007年現在、CD-ROM版は700円、DVD-ROM版は2,000円で販売されている。 DVD-ROM版には「地下鉄壁紙集」、「ハッチーポーズ集」(ハッチーは名古屋市交通局のマスコットキャラクター)、「名城線ぐるっと一周ムービー(プラス上飯田線)」が収録されている(詳細は後述)。 販売はCD-ROM版、DVD-ROM版とも3000枚限定で、既に終了している。 ゲーム内容[編集] 地下鉄の各路線から3駅区間を選び、運転する。運転台は好きな車両(300形、1000形を含む)のものを選択することができる。前方の景色はCGだがリアルに作られており、地上に出る区間(東山線の一社駅~藤が丘駅、鶴舞線の庄内緑地公園駅~上小田井駅)も景色が忠実に再現されている。 なお、当作は2005年現在ものをベースとしているため、2011年に開業した桜通線の(野並駅~徳重駅)間及び上飯田線については運転することはできない。 速度オーバー、急ブレーキ(非常ブレーキ)、オーバーラン、遅延・早着の場合は減点される。 地下鉄資料館[編集] DVD-ROM版には、ゲーム以外に、「地下鉄資料館」と名付けられた以下のような“おまけ”が収録されている。 地下鉄壁紙集 名古屋市営地下鉄で現在使用されている車両の写真のほか、「レトロ写真館」と題した昔の写真も収録されている。 ハッチーポーズ集 名古屋市交通局のマスコットキャラクター「ハッチー」がさまざまなポーズをとっている画像が収録されている。 名城線ぐるっと一周ムービー プラス上飯田線 環状運転をしている名城線の乗務員室から撮影した動画を収録している。右回りと左回りがある。また、上飯田線の動画も収録されている。 動作環境[編集] 低スペックのPCでも使用することができる。

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喜惣治新田 – Wikipedia

日本 > 愛知県 > 名古屋市 > 北区 > 楠町大字喜惣治新田 楠町大字喜惣治新田 大字 楠町大字喜惣治新田 喜惣治新田の位置 愛知県の地図を表示 楠町大字喜惣治新田 楠町大字喜惣治新田 (名古屋市) 名古屋市の地図を表示 北緯35度14分07.1秒 東経136度54分08.0秒 / 北緯35.235306度 東経136.902222度 /

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橐離国 – Wikipedia

橐離国(たくりこく、朝鮮語: 고리국)は、夫余の建国者である東明王が誕生した国である[1]。 橐離国は、夫余の北に位置するとされる[2]。 内藤湖南は、夫余の建国者である東明王が生まれた国家である橐離国は、松花江支流に居住していたダウール族であると指摘している[3][4]。 国名表記[編集] 橐離国は史料により様々に表記される[5]。 なお、夫余建国者の東明王の最も古い記録は、中国後漢の王充の『論衡』である[5]。 『論衡』巻二・吉験篇では、「橐離国」(たくりこく)とある。 『三国志』巻三〇・魏書三〇・烏丸鮮卑東夷・夫餘所引『魏略』では、「槀離之国」(こうりこく)とある。 『後漢書』巻八五・東夷七五・夫餘、『北史』巻九四・列伝八二・百済では、「索離国」とある。 建国説話[編集] 『三国志』巻三〇・魏書三〇・烏丸鮮卑東夷・夫餘所引『魏略』には以下の記述がある。 昔北方有槀離之國者,其王者侍婢有身,王欲殺之,婢云:「有氣如雞子來下,我故有身。」後生子,王捐之於溷中,豬以喙嘘之,徙至馬閑,馬以氣嘘之,不死。王疑以爲天子也,乃令其母收畜之,名曰東明,常令牧馬。東明善射,王恐奪其國也,欲殺之。東明走,南至施掩水,以弓撃水,魚鱉浮爲橋,東明得度,魚鱉乃解散,追兵不得渡。東明因都王夫餘之地。 昔、北夷の槀離之国があり、王は侍女が妊娠したので殺そうとした。侍女は「以前、空にあった鶏の卵のような霊気が私に降りてきて、身ごもりました」と言い、王は騙された。その後、彼女は男子を生んだ。王が命じて豚小屋の中に放置させたが、豚が息を吹き掛けたので死ななかった。次に馬小屋に移させると、馬もまた息を吹き掛けた。それを王は神の仕業だと考え、母に引き取って養わせ、東明と名づけた。東明は長ずると、馬に乗り弓を射ること巧みで、凶暴だったため、王は東明が自分の国を奪うのを恐れ、再び殺そうとした。東明は国を逃れ、南へ走り施掩水にやって来て、弓で川の水面を撃つと、魚や鼈が浮かび上がり、乗ることが出来た、そうして東明は夫余の地に至り、王となった。 — 三国志、巻三〇 ^ 赤羽目匡由『渤海王国の政治と社会』吉川弘文館、2011年10月13日、90頁。ISBN 978-4642081504。 ^ 赤羽目匡由『渤海王国の政治と社会』吉川弘文館、2011年10月13日、92頁。ISBN 978-4642081504。 ^

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マイクロアグレッション – Wikipedia

この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2020年7月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。 英語版記事の機械翻訳されたバージョンを表示します(各言語から日本語へ)。 翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いることは有益ですが、翻訳者は機械翻訳をそのままコピー・アンド・ペーストを行うのではなく、必要に応じて誤りを訂正し正確な翻訳にする必要があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Microaggression}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な翻訳の手順・指針についての説明があります。 マイクロアグレッション(英語: Microaggression)とは、1970年にアメリカの精神医学者であるチェスター・ピアス(英語版)によって提唱された[1]、意図的か否かにかかわらず、政治的文化的に疎外された集団に対する何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと[1][2]。 提案したピアスは、黒人以外のアメリカ人がアフリカ系アメリカ人に対して行うものをさしていたが、その後2000年代にコロンビア大学心理学教授のデラルド・ウィング・スー(英語版)によって再定義され、様々な人種、LGBTといったジェンダーや障害を持つ人などあらゆる社会的に疎外されているといわれている集団も対象になった[3]。 2015年以降は特に、海外の多くの学者や社会的コメンテーターがマイクロアグレッションの概念は、主観的な根拠に過度に依存している、科学的根拠がとぼしい疑似科学である[4]とする政治的保守派[5]の見解があり、対人関係等の心理的負荷を自分で処理する能力を低下させ心理的脆弱性を助長している[6][7]、コールアウトカルチャー(キャンセルカルチャー)の原動力になっている、論理的思考や批判的思考といった大学生や社会人に求められる思考能力が身につかなくなるなど、マイクロアグレッションの科学的社会的妥当性が疑問視されてきている[8][9][10][11][12][13][14][15]。 1970年にアメリカの精神医学者であるチェスター・ピアスによって提唱され[16]、元は人種主義が精神衛生に及ぼす影響の中で、白人が黒人に対して無自覚に行う貶しを意味した[1]。2000年代に人種やジェンダー、障害をかかえる等が原因で人が無意識の中で軽視されたり侮辱されたりすることで受ける悪影響の研究が行われた際に、コロンビア大学心理学教授のスーによって再定義され、白人黒人だけでなくその範囲は拡大した[1]。 再定義を行ったスーはアジア系アメリカ人に対するマイクロアグレッションについてこのような事例があるとした[3]。 Alien in own land: 人々が有色人種を外国人だと思い込むこと。例えば、「どこから来たの?」や「なぜ訛ってないの?」などを質問したり思うこと。 Ascription

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ジョアン・マルガリット・イ・コンサルナウ – Wikipedia

ジョアン・マルガリット・イ・コンサルナウ(スペイン語: Joan Margarit i Consarnau、1938年5月11日 – 2021年2月16日[1])は、スペインのリェイダにあるサナウジャ出身の建築家・詩人である。彼は建築家として、カタルーニャ工科大学(バルセロナ建築高等技術学校)の教授であり、サグラダ・ファミリア建設にも関わっている。また、詩人としてカタルーニャ語とスペイン語で執筆しており、セルバンテス賞 (2019)を受賞した。 バイオグラフィー[編集] ジョアン・マルガリットは、セガラ地域のサナウジャで生まれた[2]。スペイン内戦で、アラゴンの戦線が地元に近づいていたちょうどその頃に生まれ、母は教員、父はバルセロナの建築家であった。 両親は1936年7月にバルセロナで結婚したが、スペイン内戦により、父方の祖母の家であるサナウジャへと移動することを余儀なくされた。この地で詩人ジョアン・マルガリットは誕生する。1943年、5歳のとき、警察に「わかりやすく話さなかった」という理由で殴打される[3]。 戦後1948年まで、家族は数回住居を変更する。場所はルビー、フィゲラス、そしてジローナである。その後バルセロナに戻り、家族はトゥロ公園の前に住み、ジョアン・マルガリットはムンタネーの道にあるアウシアス・マーチ学校で中高生の時期を過ごした。そして、在学中に彼は書くことを始めた。 1954年に家族がテネリフェに引っ越し、1956年からマルガリットは建築を学ぶためにバルセロナのマヨール・サン・ジョルディ学校で専門知識を学び、1961年までバルセロナに住んでいた。1963年に結婚し、娘が3人と息子が1人生まれた。娘のうちの2人は亡くなっている。 マルガリットは1963年にスペイン語の詩人として知られるようになった。彼は10年の長い休止期間の後、「クロニカ」を執筆した。それは、バラル・エディトレスのコレクション「オクノス」のディレクターである友人のホアキン・マルコによって出版された。1980年より、マルガリットはカタルーニャ語で詩を出すようになった。 1975年以来、マルガリットとその家族はサン・ジュスト・ダスベルンに住むようになった。そして、1980年より建築家として、友人であり仕事仲間であるカルレス・ブクサデとスタジオを共有している。1968年以来、マルガリットはバルセロナの高等建築技術学校ので教授として構造計算を教えていた。現在は定年退職している[4]。 彼はスペイン語とカタルーニャ語のバイリンガル詩人として知られている。一方で、彼は一般的な詩を軽蔑しており、それらを彼の求める詩ではないという。なぜならば、「人間は厳しい状況にいて、きれいごとばかりではない」からである。だから詩人は、「最も現実主義で実用主義であるべきだ。なぜならば、現実性をおびているからだ。実用的ではないのは、経済だ」と言っており、マルガリットは現実的な詩人を尊敬している[4]。 セルバンテス賞を受賞した彼は、「私は文化に興味があります。それ以外のことには意味がありません」と明言した[5]。真実を探し求め、人生の困難に情熱を持って立ち向かうような内容の自由詩を多数作っている。それは「全ての汚いもの、騒音、醜い、疲労そして暴力的なもの」といった現実そのものを伝えている[6]。そして「詩人及び建築家としての課題は、丈夫な構造をつくることである」とも言っている。加えて詩について、その堅固さを最小限の言葉でつくり上げるべきであり、「その正確さから、慰めの力は生まれるのである[7]」と語っている。 2010年には、フィエスタ・デ・ラ・メルセの開会のスピーチを担当し、また、カタルーニャに「スペインとどんな関係を確立したいのか」と呼び掛けた[8]。 1982年 ミケル・デ・パロル賞

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我孫子 (大阪市) – Wikipedia

我孫子(あびこ)は、大阪市住吉区南東部の地名である。 本項では同地域にかつて所在した住吉郡・東成郡依羅村(よさみむら)についても述べる。 我孫子を称する公称地名としては、住居表示実施に伴って成立した住吉区我孫子・我孫子西・我孫子東があるが、一般的には前述の町名のみならず、現行町名としては苅田・庭井・杉本・浅香・山之内・山之内元町となっている周辺地域(大阪市編入前の旧東成郡依羅村(よさみむら)の地域。ただし、旧村の範囲と現行の町域には若干の範囲の違いがある)も含めた広域の汎称地名である。本項では公称地名の我孫子に加えて、旧依羅村の地域についても記述する。 地域はほぼ全域が住宅地となっている。鉄道の便としては、南北には阪和線・地下鉄御堂筋線が通り、天王寺方面と堺市方面を結んでいる。地域内には阪和線我孫子町駅・杉本町駅、地下鉄御堂筋線あびこ駅が設置されている。また場所によっては、阪和線・御堂筋線長居駅や南海高野線我孫子前駅が徒歩圏内となる場合もある。 幹線道路としてはあびこ筋(大阪府道28号大阪高石線)が南北を通り、また大阪府道42号・179号住吉八尾線が東西方向を通る。あびこ筋・府道42号は地下鉄あびこ南交差点で交わる。 西側は遠里小野、北側は長居、東側は東住吉区公園南矢田、南側は大和川を挟んで堺市北区および松原市天美とそれぞれ接している。 地域にある施設等の名称は、しばしば「あびこ」とひらがな書きされる。ただし大阪市高速電気軌道あびこ駅については、旅客案内の上ではひらがなの「あびこ」表記だが、正式名称は漢字の「我孫子」である。 地名の由来[編集] 我孫子の地名、および一帯の旧地名・依羅(よさみ)は、古代にこの地に居住していた豪族、依羅吾彦(よさみのあびこ)に由来するといわれる。日本書紀(仲哀9年9月10日条)では神功皇后が三韓親征の際、神の教えを祀るため依羅吾彦族のオタルミを神主にしたとある。異説としては、依羅は「寄網(よせあみ)」、吾彦は「網曳子(あみひこ)」が変化したものだともいわれ、一帯は古代には大阪湾に面した環境で、人々は当時漁業や狩猟の生活を行っていたことが窺われる。 また旧依羅村に属していた各地域の地名の由来は、以下の通りとなっている(五十音順)。 浅香(あさか) – この地を開発した浅香善右衛門宗胤の名前に由来する。 苅田(かりた) – 戦国時代に争奪目標の目印として草刈りが行われた場所だったことに由来する。かつては「かつた」と呼ばれたとされるが、現在は「かりた」と呼ばれる。 杉本(すぎもと) – 藤原定家の古歌に由来する。 庭井(にわい)

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林勇二郎 – Wikipedia

林 勇二郎(はやし ゆうじろう、1942年1月17日 – ) は、日本の工学者。専門は熱工学。工学博士。第9代金沢大学学長。第3代国立高等専門学校機構理事長。第49期日本伝熱学会会長。第20期日本学術会議会員。 目次 1 人物・経歴 2 著書 3 受賞 4 脚注 5 外部リンク 人物・経歴[編集] 石川県金沢市生まれ。金沢大学附属高等学校を経て、1967年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1970年同博士課程修了、工学博士。 同年金沢大学工学部講師。1971年金沢大学工学部助教授。1981年金沢大学工学部教授。1991年日本機械学会理事、日本混相流学会理事。1995年日本伝熱学会副会長。パデュー大学客員教授等を経て、1997年金沢大学工学部長。1999年金沢大学学長、日本冷凍空調学会理事[1][2][3]。2000年金沢子ども科学財団理事長[4]。

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ヘレナ・P・ブラヴァツキー – Wikipedia

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(Helena Petrovna Blavatsky、1831年8月12日 – 1891年5月8日)は、近代神智学を創唱した人物で、神智学協会の設立者のひとりである[1]。 著書の訳書はH・P・ブラヴァツキーかヘレナ・P・ブラヴァツキーとして出ている。通称ブラヴァツキー夫人。ブラバッキーと誤記されることもある。父方はユグノー(プロテスタントのフランス系)の血を引くドイツ系、母方はロシア人で、ロシア語でのフルネームはエレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァーツカヤ (Елена Петровна Блаватская, Eelena Petrovna Blavatskaya) である(ブラヴァーツカヤはブラヴァーツキーの女性形)。旧姓フォン・ハーン (von Hahn)。 彼女の生涯は多くの謎があり、特に1874年にアメリカで活動を始めるまでの前半生は全く分かっておらず、多くの神話に彩られている[2]。ブラヴァツキー自身が残したメモや日記、周囲の人びとに語ったことがら、親族など近しい人びとの証言などが再構成され一般にも流布しているが、相互に矛盾が多く、一見荒唐無稽とも思われる事件の連続であり、真偽については議論を呼んできた[2]。神智学協会や支持者は正しさを証明しようとし[3]、批判者は虚偽であることを暴こうとし、現在も毀誉褒貶が激しい人物である[1][2]。杉本良男は、ことの真偽を問わず、現在も非常に大きな存在感をもっていることだけは事実であると述べている[2]。 神智学協会は、「偉大な魂」(マハトマ)による古代の智慧(Ancient Wisdom)の開示を通じて諸宗教の対立を超えた「古代の智慧」「根源的な神的叡智」への回帰をめざしていた[2]。その思想は、キリスト教・仏教・ヒンドゥー教・古代エジプトの宗教をはじめ、様々な宗教や神秘主義思想を折衷したものである。「神智(theosophy 学)」はキリスト教世界にすでにあった概念で、“theo(神)+ sophia(叡智)”つまり「隠された神性の内的直観による認識」を意味しており、神智学協会の名称にこの語が採用されたのは、偶然が多分に働いているといわれる[2]。協会のスローガンは「真理にまさる宗教はない」であり、神智学は宗教ではなく神聖な知識又は神聖な科学であるとされる[2]。

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邵疇 – Wikipedia

邵 疇(しょう ちゅう、235年 – 274年[1])は、中国三国時代の呉の政治家・武将。字は温伯[2]。揚州会稽郡の人。 邵疇は会稽太守郭誕の功曹をつとめていた。 鳳凰3年(274年)、会稽郡にて、孫晧は既に亡くなっており、章安侯孫奮[3]が天子になるであろうという妖言が流行った。臨海太守奚熙は郭誕に書簡を送り、国政を非難した。郭誕は、奚熙の国政を非難する書簡のことは上言したが、妖言については上言しなかったということで逮捕される[4]と、気が動転して自らの無実を明らかにできなかった。邵疇は郭誕に謁見していった。「ただいますべては私の責任ということにいたしますので、太守さまにはご心配ご無用です。」邵疇はすぐさま役人のもとに出頭すると、妖言について上言しなかったのは自分の処置によるものであり、太守の罪ではないと、すすんで陳述した。役人は邵疇のいうところを上聞したが、孫晧の怒りは全く衰えなかった。邵疇は、このままでは郭誕も死を免れぬであろうことを慮り、自殺をしてみずからの罪を証らかにしようとし、死に臨み、次のような言葉を残した。「私は辺鄙後に成長し、政治教化の道には通じておりませんでしたが、由緒ある家柄だということで、本郡の役所に身を置くこととなり、同輩たちをとびこえて、役所の中でも高い地位をえたのでございます。ただ盛んなるご教化を宣揚するのに力を添えることも、人々の幸福な生活を計ってやることもできぬままでありました。ただいま妖言が横行して、国家を傷つけ綱紀を乱しておりますが、私は、人々ががやがやとしゃべり立てる言葉は、もともと事実ではないのだから、たとえ家ごとに語られ人ごとに詠われたとしても、心配する必要もないのだと考えました。天下と申しますものはいわば貴重な宝器でありますのに、身分のない者どもがそれについて勝手な取りざたをいたしたのであります。その内容の下劣さを疾んで、それがお耳に達するのは堪えられず、汚いものに蓋をして、それを書きとめることもせず、騒がしさもやがては沈静化し、自然に終息するであろうのを待とうと考えた次第でございます。私は愚かな心をもって一途に、つねづねこの旨を強く主張いたしてまいりました。それゆえ郭誕も、その考えるところをまげて、だまって私の意見に従われたのでございました。このたびの過ちは、実は私に出たことでございます。ここに謹んで、死罪も覚悟のうえで、ご関係の役人さまに対し私の罪を認めた次第でございます。天子さまにはご聖観を垂れられ、事態をお見通しいただきますように。」役人が邵疇の死体を検分してこの文書を発見し、孫晧に報告した。その結果、郭誕は死刑をまぬがれて、建安に送られ、船を作る労役に従うこととなった。邵疇は、死んだとき、年は40歳であったという。孫晧は、邵疇の節義を嘉して、郡と県との役所に詔を下して、邵疇の姿を廟堂に画かせたという[5]。 参考文献[編集] ^ 『三国志』呉志 孫晧伝 ^ 『会稽邵氏家伝』 ^ 『三国志』呉志 孫和何姫伝 注に引く『江表伝』では、孫晧の母の弟の子の何都。『三国志』呉志 孫奮伝では建衡2年(270年)に孫奮が亡くなっていることになっており、どちらが正しいかは不明。 ^ 『三国志』呉志

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STU48 – Wikipedia

STU48(エスティーユー フォーティーエイト)は、秋元康のプロデュースにより、2017年に誕生した瀬戸内7県を拠点とする日本の女性アイドルグループであり、AKB48グループの1つである。運営会社および所属事務所は株式会社STU。所属レーベルはYou, Be Cool!/キングレコード。 AKB48を含めて日本国内外にあるAKB48の姉妹グループ(AKB48グループ)の8組目(日本国内6組目)[1][注 1]として2017年に発足した[2][3][4]。2017年3月31日に結成し[5]、同年5月3日に広島市で開幕した『2017ひろしまフラワーフェスティバル』のステージにおいて、指原莉乃を除くメンバー32名でお披露目された[6][7]。2018年1月31日にキングレコードよりシングル「暗闇」を発売し、メジャー・デビューした[注 2]。お披露目から273日でのCDデビューは、日本国内のAKB48グループでは最速である[10]。 STU48は瀬戸内海という「1つの海」、瀬戸内地方の「7つの県」(広島県・山口県・岡山県・香川県・愛媛県・徳島県・兵庫県)を舞台に活動しており[11][注 3]、AKB48グループの活動の柱である劇場は船上劇場の「STU48号」となり[3]、船が瀬戸内の主要港を回り、そこで歌やダンスを披露する[1]。STU48はNGT48と同様に、地域活性化の効果が期待され、「瀬戸内」の地方創生を担う[15]。グループ名のアルファベット部分のSTUは瀬戸内 (SETOUCHI) に由来する[16]。 当時の1期生31名の出身地は、広島県が7名、山口県、愛媛県が各4名、岡山県が3名、香川県、徳島県、兵庫県、大阪府が各2名、愛知県、三重県、高知県、福岡県、佐賀県が各1名で、瀬戸内7県の出身者は24名であった。2022年3月19日時点では、広島県が10名、山口県が5名、愛媛県、兵庫県が各3名、香川県、岡山県が2名、徳島県が1名[注 4]の計26名である[17]。 運営会社は、一般社団法人「せとうち観光推進機構」と株式会社「瀬戸内ブランドコーポレーション」から構成される「せとうちDMO」が出資する株式会社STUである[18]。日本国内のAKB48グループで唯一、AKS(現・Vernalossom)が直接運営を行ったことがない。また所属レーベルのキングレコードにはAKB48も所属しており、初めて同一のレコード会社に2つのAKB48グループが同時に在籍することになった[8]。 2016年[編集] 2017年[編集] 1月16日、第1期生の募集を開始。2月5日締め切り[12]。 1月23日、オーディションへの協力を仰ぐため、AKB48の渡辺麻友が兵庫県庁・徳島県庁・香川県庁・岡山県庁を、AKB48・NGT48兼任の柏木由紀が山口県庁・広島県庁・愛媛県庁および広島市にあるせとうち観光推進機構を表敬訪問[14][20][21]。 2月22日、AKB48の岡田奈々がSTU48と兼任することを自身のSHOWROOMで発表し[22]、2月23日放送の『AKB48のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)においてキャプテンに任命された。同番組では、HKT48の指原莉乃のSTU48兼任とSTU48劇場支配人に任命されることも発表された[23]。 3月19日、第1期生オーディションの最終審査が行われ、44名が合格[24]。

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