本田圭佑 (野球) – Wikipedia
本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1993年4月24日 – )は、宮城県仙台市太白区出身[2](泉区生まれ[3])のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 プロ入り前[編集] 仙台市立柳生小学校3年生の時に西中田ゴールデンアクロスで野球を始めると、仙台市立柳生中学校では軟式野球部で遊撃を守った[3]。 東北学院高等学校への入学後に投手へ転向。2年生の春からエースとなった[3]が、春夏ともに甲子園球場での全国大会への出場経験はない[4]。 東北学院大学への進学後は、2年生の春から仙台六大学野球のリーグ戦に出場[3]。3年生の時には、春季リーグ戦で防御率1位(1.56)を記録すると、秋季リーグ戦で4勝を挙げて敢闘賞を受賞した[3]。4年生の秋季リーグ戦では、6回参考記録ながらノーヒットノーランを達成した[5]。在学中には、リーグ戦通算で28試合に登板。184回2/3を投げて、15勝7敗、防御率1.90という成績を残した[6]。 2015年10月22日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズから6位指名を受け[7]、契約金2500万円、年俸700万円(金額は推定)で仮契約を結び入団した[8]。背番号は45[9]。 西武時代[編集] 2016年9月9日に出場選手登録されると[10]、同11日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初登板を果たし、2回1安打1死球1奪三振無失点と好投した[11]。同18日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではプロ初先発したが、2回2/3を投げて7安打4失点でプロ初黒星を喫した[12]。翌19日に登録抹消となり[13]、ルーキーイヤーの一軍登板は前述の2試合のみであった。シーズン終了後の10月12日、第1回WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選出され[14]、同29日のニカラグアとの初戦に先発し、7回2安打無失点で勝利投手[15]。11月4日の韓国戦にも先発し、8回4安打12奪三振1失点の内容で勝敗は付かなかったものの、チームの勝利に貢献した[16]。同7日のオーストラリアとの決勝戦では中2日でリリーフ登板し、2回5奪三振無失点の好投でチームの優勝に貢献した[17]。11月14日からは野田昇吾・駒月仁人と共に、オーストラリアン・ベースボールリーグにメルボルン・エイシズの一員として参加し[18]、同リーグでは4勝0敗・防御率1.21を記録し[19]、オールスターにも選出された[20]。 2017年は、7月22日に中継ぎとして出場選手登録をされ[21]、4試合の登板で防御率1.80を記録すると[22]、8月6日の登録抹消[23]後は二軍で先発調整となり、同27日のオリックス・バファローズ戦でシーズン初先発[24]。2回までに5点の援護を受けたが、3回途中5安打3失点で降板し[25]、翌8月28日に登録を抹消されて[26]以降は一軍に昇格することができずにシーズンを終えた。この年は、5試合(1先発)の登板で防御率4.70という成績であった。オフに現状維持の推定年俸700万円で契約を更改した[27]。 2018年は、一軍登板は1試合[28]のみにとどまり、オフに50万円減の推定年俸650万円で契約を更改[29]。11月24日から台湾で開かれたアジアウインターベースボールリーグ[30]に、中塚駿太・田村伊知郎・愛斗・齊藤誠人と共に参加した[31]。 2019年は、西武の先発陣のうち、前年11勝を挙げた榎田大樹が左肩の張りで出遅れ[32]、開幕ローテーション入りが内定していた内海哲也は左浅指屈筋の肉離れ[33]、松本航は肺炎で離脱し[34]、リリーフ左腕の武隈祥太が先発転向する事態となっていた[35]。開幕6戦目の先発投手は明言されていなかったが[36]、イースタン・リーグでは2試合の登板で防御率2.45と好投していた本田が抜擢され[37]、4月4日の千葉ロッテマリーンズ戦に先発し、6回0/3を5安打4失点の内容でプロ初勝利を挙げた[38]。6月29日のオリックス戦で2か月ぶりとなるシーズン3勝目を挙げた際に「ローテーションを回っているという感覚は無い」と本人が話したように[39]、シーズン前半はローテーションの谷間での先発が中心であった。その後の2先発でも勝利投手となったが[40][41]、首の違和感で離脱。復帰後[42]は先発ローテーションの一角を担い、ソフトバンクとのCSファイナルステージ第4戦でも先発を務めた[注 1]。この年は16試合の先発登板で6勝6敗、防御率4.63を記録し、オフに950万円増となる推定年俸1600万円で契約を更改した[44]。 2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で120試合制となり、開幕も延期された。2年連続で開幕ローテーション入りを果たし[45]、開幕6戦目のソフトバンク戦に先発するも、5回3安打2失点で敗戦投手となった[46]。シーズン3度目の先発登板では雨天ノーゲームとなり[47]、翌7月10日に出場選手登録を抹消された[48]。同25日の再昇格後も勝ちに恵まれず[49][50]、シーズン初勝利は8月16日の楽天戦[51]であったが、これがこの年唯一の白星であり、同27日の北海道日本ハムファイターズ戦での先発[52]を最後に一軍で登板することは無かった。一軍では35回1/3を投げて被安打35であったが、9月以降二軍ではイニング数を大幅に上回る被安打を浴びるなど[53]、シーズン後半は非常に苦しみ、この年は7試合の先発登板で1勝4敗、防御率4.08という成績であった。オフに240万円減となる推定年俸1360万円で契約を更改した[54]。 2021年は、誕生日の4月24日の楽天戦でシーズン初登板初先発となったが[55]、初回二死1,2塁から平凡なサードゴロがイレギュラーし、これが適時打となると[56]、さらに続く打者にも適時打を許し、4回途中2失点で敗戦投手となった[57]。2度目の先発となった5月1日の日本ハム戦では5回1失点、3度目の先発となった8月19日のロッテ戦では5回無失点と好投し、いずれの試合も勝利投手の権利を持って降板したものの、その後チームは同点・逆転を許し、白星を挙げることはできなかった[58][59]。以降の先発登板では5回持たずに降板する試合が目立った[60][61]。この年は6試合の先発で0勝3敗、防御率4.21という成績であった。オフに100万円減となる推定年俸1260万円で契約を更改した[62]。 選手としての特徴[編集]
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