アル・ホーフォード – Wikipedia
アル・ホーフォード(Al Horford )ことアルフレッド・ジョエル・ホーフォード・レイノーソ(Alfred Joel Horford Reynoso, 1986年6月3日 – )は、ドミニカ共和国・プエルト・プラタ州プエルト・プラタ出身のプロバスケットボール選手。NBAのボストン・セルティックスに所属している。ポジションはパワーフォワード、センター。 妻はモデルのアメリア・ベガ[3]。 生い立ち[編集] ドミニカ人初のNBA選手であるティト・ホーフォードを父に持つ。幼少の頃に両親は離婚し、ホーフォードは母とサントドミンゴに住んでいたが、14歳の時にバスケットボール選手になることを志し、父の待つアメリカに渡った。 グランドレッジ高校卒業後、フロリダ大学に進学。1年生から先発に起用され、2年目の2005-06シーズンのNCAAトーナメントでは11.8得点10.0リバウンドのダブルダブルの成績でチームを牽引し、同校のトーナメント制覇に貢献、自身はファイナル4のオールトーナメントチーム(ベスト4に進んだチームから選ばれた5人の選手)に選出された。翌シーズンのNCAAトーナメントも勝ち進み、決勝ではオハイオ州立大学と対戦。ホーフォードは同校のスタープレイヤーグレッグ・オデンとマッチアップ、18得点12リバウンドをあげてチームのトーナメント連覇に貢献し、自身もファイナル4オールトーナメントチームに選ばれた。シーズン終了後、2007年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。 アトランタ・ホークス[編集] ホークス時代(2013年) ドラフトではアトランタ・ホークスから1巡目3位指名を受けてNBA入りを果たす。1位はグレッグ・オデン、2位はケビン・デュラントであった。この年のドラフトでは5人のフロリダ大ゲーターズの選手が指名を受け、ホーフォード、コーリー・ブリューワー、ジョアキム・ノアの3人が1巡目指名を受けた。 ルーキーイヤーの2007/08シーズンから先発に起用され、10.1得点9.7リバウンドとダブルダブルに迫る成績を残し、月間新人賞には4回選ばれた。新人王受賞こそケビン・デュラントに取られたものの、彼のプレイはホークスの9シーズンぶりのプレーオフ進出に大きな貢献を果たした。 2010年、2011年にはNBAオールスターゲームのリザーブに選ばれた 2012年1月11日、左肩に軽傷を負ったが、後に大胸筋の断裂であることが判明し[4]、残りのシーズンを全休することになり、復帰はプレーオフ1st.ラウンドの第4戦となった。 2013年12月26日、同様の故障を右大胸筋でも起こし[5]、シーズン終了となる手術を受けた[6]。
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