ジークムント・フロイデンベルガー – Wikipedia

ジークムント・フロイデンベルガー
Sigmund Freudenberger
アントン・ヒッケルによる肖像画
生誕 1745年6月16日
スイス、ベルン
死没 1801年11月15日
スイス、ベルン

ジークムント・フロイデンベルガー(Sigmund Freudenberger、1745年6月16日 – 1801年11月15日)は スイスの画家、版画家である。

ベルンの法律家の息子に生まれた。叔父に役人で版画家のヨハン・ルードヴィヒ・ネティゲル(Johann Ludwig Nöthiger: 1719-1782)がいる。ベルンの肖像画家、ハントマン(Jakob Emanuel Handmann)に学んだ。アドリアン・ツィングとパリにでて修行し、パリには1765年から1773年まで滞在した。パリでフランソワ・ブーシェ、ジャン=バティスト・グルーズ、ノエル・アレ、アレクサンドル・ロスラン、ヨハン・ゲオルク・ヴィレといった画家たちと知り合った。

ベルンに戻った後、肖像画や風俗画の分野で油絵やパステル画を描いた。フランスの風俗画家、ニコラ・ランクレやアントワーヌ・ヴァトーのスタイルの作品を描いた。ベルンに私立の美術学校を開き、教えた学生にはフランツ・ニクラウス・ケーニッヒらがいる。1770年代の終わりから版画の制作を行うようになり、ファッション雑誌「Journal des Luxus und der Moden」の挿絵を描いた。スイスの農民や街のひとの生活を題材にした。

ベルンで死去した。

参考文献[編集]

  • Tapan Bhattacharya: Freudenberger, Sigmund. In: Historisches Lexikon der Schweiz.
  • Hans Bloesch: Freudenberger, Sigmund. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 7, Duncker & Humblot, Leipzig 1877, S. 355.