Month: March 2018

マリア・ドロテア・フォン・ヴュルテンベルク – Wikipedia

マリア・ドロテア・フォン・ヴュルテンベルクMaria Dorothea von Württemberg 出生 (1797-11-01) 1797年11月1日カールスルーエ 死去 (1855-03-30) 1855年3月30日(57歳没) オーストリア帝国 ハンガリー王国、ブダ 埋葬 オーストリア帝国 ハンガリー王国、ブダ、ブダ城、宮中伯家納骨堂 配偶者 ヨーゼフ・アントン・フォン・エスターライヒ 子女 エリーザベトアレクサンダーエリーザベト・フランツィスカヨーゼフ・カールマリー・ヘンリエッテ 家名

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元明天皇 – Wikipedia

元明天皇(げんめいてんのう、661年〈斉明天皇7年〉 – 721年12月29日〈養老5年12月7日〉)は、日本の第43代天皇(在位:707年8月18日〈慶雲4年7月17日〉- 715年10月3日〈和銅8年9月2日〉)。 女性天皇(女帝)の一人。諱は、阿閇(あへ)[1]。阿陪皇女(あへのひめみこ)とも。天智天皇第四皇女子。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の姪娘(めいのいらつめ)。持統天皇は父方では異母姉、母方では従姉で、夫の母であるため姑にもあたる。大友皇子(弘文天皇)は異母兄。天武天皇と持統天皇の子の草壁皇子の正妃であり、文武天皇と元正天皇の母。 藤原京から平城京へ遷都、『風土記』編纂の詔勅、先帝から編纂が続いていた『古事記』を完成させ、和同開珎の鋳造等を行った。 即位まで[編集] 天武天皇4年(675年)に、十市皇女と共に伊勢神宮に親謁したという記録がある[2]。 天武天皇8年(679年)頃、1歳年下である甥の草壁皇子と結婚。天武天皇9年(680年)に氷高皇女を、天武天皇12年(683年)に珂瑠皇子を産んだ[注釈 1]。天武天皇10年2月25日(681年3月19日)に草壁皇子が皇太子となる。朱鳥元年(686年)に天武天皇が崩御し、草壁皇子がほどなく皇位を継承する見込みであったが、3年後の持統天皇3年4月13日(689年5月7日)、草壁皇子は即位することなく早世した[3]。草壁皇子と阿閇妃の遺児である珂瑠皇子が成長するまで、天武天皇の皇后であった鸕野讚良皇女(持統天皇)が皇位を一時期預かったのち、[3]、文武元年8月17日(697年9月7日)に珂瑠皇子が文武天皇として即位し、阿閇妃は同日、皇太妃となった。 治世[編集] 慶雲4年6月15日(707年7月18日)、文武天皇が25歳で崩御[3]。残された孫の首(おびと)皇子(後の聖武天皇)はまだ幼かったため、中継ぎとして、初めて皇后を経ないで即位した[3]。ただし、義江明子説では持統上皇の崩御後、文武天皇の母である阿閇皇女が事実上の後見であり、皇太妃の称号自体が太上天皇に代わるものであったとする[4]。 慶雲5年1月11日(708年2月7日)、武蔵国秩父(黒谷)より銅(和銅)が献じられたので和銅に改元し、和同開珎を鋳造させた[3]。この時期は大宝元年(701年)に作られた大宝律令を整備し、運用していく時代であったため、実務に長けていた藤原不比等を重用した。 復元された平城京の第一次大極殿 和銅3年3月10日(710年4月13日)、藤原京から平城京に遷都した[3]。左大臣石上麻呂を藤原京の管理者として残したため、右大臣藤原不比等が事実上の最高権力者になった。 和銅5年(712年)正月には、諸国の国司に対し、荷役に就く民を気遣う旨の詔を出した。同年には天武天皇の代からの勅令であった『古事記』を献上させた。和銅6年(713年)には『風土記』の編纂と好字令(「諸国郡郷名著好字令」)を詔勅した。 715年には、郷里制が実施された。 晩年[編集] 晩年は、幼い首皇子の子孫に皇統が安泰して継承されるために手を打った。和銅6年(713年)11月には、首皇子の異母兄弟である広世王と広世王の兄弟を臣籍降下させ、首皇子が文武天皇の唯一の皇子となる。そして、和銅7年(714年)正月、娘の氷高内親王に、将来の皇位継承を見越して、食封を1000戸に加増された(内親王は二品で、令制では300戸が相当であった)。同年6月、首皇子が立太子。 霊亀元年(715年)1月には、氷高内親王を一品に昇叙させる。翌2月、もう一人の皇女である吉備内親王を妃に迎えていた長屋王家を取り立て、吉備内親王所生の男女については、三世王でありながら、皇孫(二世)の待遇とすることとした。これによって、長屋王は一世親王の待遇を得ることになり、草壁直系の皇統に対する「藩屏」としての役割を果たすようになった。

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水戸八景 – Wikipedia

水戸八景の一つ「僊湖暮雪」碑の明治時代の様子(『常磐公園攬勝図誌』松平俊雄(1885年)より) 水戸八景(みとはっけい)は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が水戸藩領内の景勝地を「八景」の様式にならって8つを選んだ風景評価の一つ。及び斉昭作の同名の漢詩による詩吟、詩舞の演目の一つ。 景勝地の概要[編集] 徳川斉昭は水戸藩領内の景勝地として以下の8つを選んだ。選定の時期は天保4年(1833年)とするのが定説で、当初は「常陸八景」と呼んでいた。北宋の士大夫である宋迪が創始した瀟湘八景に倣って選ばれたと考えられ、選定過程は斉昭自ら領内を巡り、かつ、複数の者から候補地の提案を受け選んだようである。提案の中では江戸駒込の大乗寺住職であり、かつ久昌寺の僧でもあった、日華の案が多く取り入れられたとされる。景勝地の場所には斉昭自筆の隷書の銘を刻んだ碑が置かれている。八景の設定において斉昭には景観を楽しむだけではなく、藩子弟の心身鍛錬のために、各碑を徒歩で巡らせる企図もあったとされる。『水戸名勝誌』では、八景めぐりの順番は青柳→太田→山寺→村松→水門→巌船→広浦→僊湖の順であげ距離は、”二十里に余れり”、としている。『水戸八景碑:史跡めぐり』では現代の道路事情下で自動車で巡った場合の順路として、青柳→山寺→太田→村松→水門→巌船→広浦→僊湖をあげ、その行程で約87km、僊湖から青柳まで戻る一周する行程で約90~91kmとしている[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。 八景の一覧[編集] 水戸八景の位置 青柳夜雨 太田落雁 山寺晩鐘 村松晴嵐 水門帰帆 巌船夕照 広浦秋月 僊湖暮雪 碑のある場所:水戸市青柳町、鹿島香取神社境内南の那珂川堤防の柳の木の下。 碑の形状等:横120cm、縦103cmの黒灰色の自然石。 かっては川岸に柳が植えられていたこの地からは那珂川を渡る渡し船、那珂川越しの水戸の城下町などの眺望があった。 碑のある場所:常陸太田市栄町、東崖の展望台。 碑の形状等:横140cm、縦170cmの花崗岩で赤味を帯びている。 かっては、この地域には真弓千石と呼ばれた水田が広がっており、眼下に水田、遠く先に阿武隈山地の眺望があった[10]。

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雄町 – Wikipedia

この項目では、米の品種について説明しています。岡山市内の地区については「高島 (岡山市中区)」をご覧ください。 雄町(おまち)は、イネの栽培品種の1つ。酒造好適米としての2018年の生産量は美山錦に次ぐ4位[1]。 主に日本酒醸造に用いられており、全国で栽培されているが、9割は岡山県産である。特に、岡山市、岡山市瀬戸(旧瀬戸町)、赤磐市赤坂町地区産のものが有名である。 雄町は優秀な酒造好適米として各地で交配種として使用され、山田錦や五百万石などの優良品種の親として重宝された。現存する酒造好適米の約2/3の品種は雄町の系統を引き継いでいる。 発見[編集] 1859年(安政6年)、備前国上道郡高島村雄町(現在の岡山市中区雄町)の岸本甚造が伯耆大山参拝の帰路で珍しい品種の米を発見した。さっそく二穂を譲り受け雄町に持ち帰って栽培し、1866年(慶應2年)にこの新種に「二本草」と名付けた。 その後、雄町に良い酒米があるとのうわさが広まり、分けて欲しいという希望者が殺到した。岡山県南部をはじめ当地一帯で栽培されるようになり、米の名前もいつしか雄町の名をとり「雄町米」と呼ばれるようになった。 発展[編集] 大粒で心白が大きく軟質で、昭和初期には品評会で上位入賞するには雄町米で醸した吟醸酒でなければ不可能とまで言われた。しかし、丈が1.8mと他品種に比べて高いため台風に弱く、病虫害にも弱かったため、栽培に手間がかかり難しいため次第に生産量が減少。雄町を改良した品種である山田錦に取って代わられた。しかしながら山田錦とは違う香りと味わいを持っている。 復活[編集] 昭和40年代には栽培面積がわずか6haに落ち込むなど絶滅の危機を迎えたが、岡山県の酒造メーカーを中心にしたグループが栽培を復活させ、雄町を使用した清酒が再び生産されるようになった。これらの清酒が評価を受け、作付面積も増加傾向にある。 現在においてもその生まれ故郷である岡山県南部(備前地方)で栽培されており、総称して「備前雄町」と呼ばれる。備前雄町の中でも最高品質とされるのは旧軽部村(赤坂町を経て現在の赤磐市の一部)産のものであり、軽部を含めた旧赤磐郡内で生産された備前雄町を特に「赤磐雄町」と呼んでいる。とりわけ赤磐雄町は地元酒造メーカーとの契約栽培が多く、他県の酒造メーカーにはなかなか供給されないのが現状である。 また、瀬戸内海を隔てた香川県でも栽培され、こちらは「讃州雄町」、隣の広島県で栽培されるものは「広島雄町」と呼ばれることもあるが、生産量が少ないため単に「雄町」と呼ばれることが多い。 雄町米を使用した醸造酒は、日本国内の品評会のみならず国際博覧会においても高く評価されている。赤磐市内の複数の酒造メーカーが出品した吟醸酒は、第41回モンドセレクション(2002年)の最高金賞、金賞を受賞している。 関連項目[編集] 外部リンク[編集]

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和歌山県道24号御坊由良線 – Wikipedia

この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。出典検索?: “和歌山県道24号御坊由良線” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年2月) この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “和歌山県道24号御坊由良線” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年8月) 和歌山県道24号御坊由良線(わかやまけんどう24ごう ごぼうゆらせん)は、和歌山県御坊市から日高郡由良町に至る県道(主要地方道)である。

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トイデジカメ – Wikipedia

トイデジカメとは、トイカメラとデジタルカメラの機能を持ち合わせたカメラ装置である。略称としてトイデジと呼ばれることもある。トイデジカメの確固とした定義は存在しないが、一般的に低価格で写りに強いクセを持つ製品を指すことが多い。 トミー(現:タカラトミー)「Mexia」(1999年10月16日発売)[1]や高木産業(現:パーパス)「PDC-35」(1999年11月25日発売)[2]を皮切りに、2000年〜2001年頃にかけて有効画素数30万画素程度、実売価格1万円前後のデジタルカメラが玩具メーカーを中心に発売されブームとなった[3]。その後カメラ付き携帯電話の普及とともにブームは沈静化したが、デザイン性の高いものを中心にジャンルとして定着した。 共通する性質として、ピントがあまい、接写に弱い、色調が独特、シャッター時にタイムラグが生じるなどの点が挙げられる。機種によりその特徴は様々だが、液晶画面がないものやフラッシュ機能のないもの、高画質 (500万画素程度) であっても写りが曖昧なものもある。近年(2016年現在)では携帯電話に搭載されたカメラの性能向上によりジャンルそのものが衰退しつつある。 主な機種[編集] Vista Quest VQ500 VQ1005 … 2006年製造版と2008年製造版が存在 VQ1015 VQ2000 VQ3007 VQ5010 VQ5090 VQ7024 VQ7220 VQ8950

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南アルプストンネル – Wikipedia

南アルプストンネル(みなみアルプストンネル)は、山梨県南巨摩郡早川町から長野県下伊那郡大鹿村に至る建設中の中央新幹線のトンネルである。途中で静岡県静岡市葵区を通過する予定である。 2027年に予定されている中央新幹線の鉄道トンネルであり、山梨県・静岡県・長野県の3県を跨ぐトンネルになる予定である[1]。また、静岡工区に関しては、大井川の水量減少問題で未だ未着工である[1]。 大井川水量減少問題[編集] 南アルプストンネルは静岡県内で地表に出ず、大井川の地下約400mの地点を通過する。トンネルは断層を横断する見込みで、トンネル内に出水があることが予想されている。これにより、地下水の分布が変わり、大井川の流量が減少して下流の地域に影響の出ることが懸念されている。大井川では、以前より発電等の影響もあって流量が不足することがあり、2005年には田代ダムから富士川水系の早川へ分水して発電する水利権を持つ東電と流域自治体との間で、発電用の取水を減らして下流に放流する合意が成立している[2]。大井川の流量についての懸念に対して、JR東海はトンネル内の出水を大井川に戻すための導水路トンネルを掘削することで対応するとしているが、静岡県はJR東海の示す対応策では不十分であるとして、2020年7月現在、静岡工区の工事開始を認めていない[3]。 南アルプストンネル工事の概要[編集] 南アルプストンネルの工事を担当する JR 東海の説明では、リニア中央新幹線の山岳部においては、一般的なトンネル工事と同じく「NATM(ナトム:New Austrian Tunneling Method)」が採用している。 掘削した箇所の表面を吹付けコンクリートで固め、さらに、トンネル周囲の岩盤をボルトとコンクリー トで固定し、地山(じやま)と一体化させることで、地山が本来持っている支える力を利用して掘進し ていく。 また、大井川の湧き水対策については掘進速度が比較的速い「TBM(Tunnel Boring Machines)工法」 を採用し、導水路トンネルを速やかに設置し、トンネル工事において生じる湧水をいち早く大井川へ流 すための工事計画を進めている[4]。 ^

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探針 – Wikipedia

探針(たんしん、英:probe プローブ)とは、対象を探ったり試すための道具のことで[1]、その多くは、先端が針状の細い金属でできている。対象や試料の特定部位の物理的あるいは機械的あるいは電気的特性等を検査したり測定したりするための道具、あるいは測定器の部品。気象学などでは、しばしばドイツ語でゾンデ(Sonde)と言う。 様々な探針[編集] 医療において、負傷部位(など)を探るために用いる外科的な道具[2]。 痔の一種である痔瘻の深度を計測する際に用いる金属棒も探針(ゾンデ)と呼ばれる。瘻孔部から直接ゾンデを挿入し、直腸部に到達した(或いは最深部に到達した)箇所で止め、マジック等で探針に印を付ける。 歯科検診で使われる先端が鋭利に尖った棒状の検査用具も探針と呼ばれる。エクスプローラとも。歯周ポケットの深さを測定するポケット探針などがある。 オシロスコープなどの測定機器で、測定対象と測定機器を接続するのに使われるアクセサリもプローブと呼ばれる。測定対象に押し当てる先端の尖った針と測定対象のグランドに接続する端子からなる電圧プローブ(10:1プローブ)や、2点の電圧差を測定できる差動プローブ、その他、高電圧プローブ、フローティングプローブ、電流プローブ、FETプローブなどがある。 プラズマ中の電子温度など様々な特性を測定するための探針は、静電探針(静電プローブ)またはラングミュアプローブと呼ばれる。 段差計や走査型プローブ顕微鏡において測定試料に接触させて試料の凹凸をとらえて走査する突起も探針(プローブ)と呼ばれる。 遺伝子の解析などに用いられる分子もプローブと呼ばれる。ただ針の形状をしていないので探針とは呼ばない。 雪崩に埋没した人を探すための棒のこと。プローブあるいはゾンデと呼ばれる。折畳式で伸ばすと3mほどの長さになるものが一般的。 探針が使われている装置[編集] プローバー 半導体ICの電気特性を調べるための装置。電極に金属プローブ(プローブカード)をあてて使用する。 触針式段差計(スタイラスプロファイロメータ) 片持ち梁(カンチレバー)の先端についた先端が尖ったダイアモンドのチップ(スタイラス)で、半導体ウェーハなどの測定試料表面をなぞりその凹凸を測定する機械。なぞった直線上の荒さを紙やモニター上に拡大表示し、荒さや段差の程度を定量的に知ることができる。 走査型プローブ顕微鏡 走査型プローブ顕微鏡においては、機械的に試料に作用するプローブ (mechanical probe)

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明日の3600秒 – Wikipedia

『明日の3600秒』(あしたのさんぜんろっぴゃくびょう、Summer Color Trip)は、紺野りさによる日本の漫画作品。『ベツコミ』(小学館)2015年5月号から[1](2016年6月号より不定期連載[3])、2018年10月号まで連載された[2]。単行本全4巻。 あらすじ[編集] 高校2年生の織部夏帆(おりべ なほ)は、京都の修学旅行の自由行動中に、取り壊される予定だという薄汚れた小さな祠を見つける。放っておけない性分の夏帆は、ホコリを払い、見ばえを少しだけ整える。別行動をしていた友達の元へ戻ろうとした時、夏帆は突然倒れてしまう。起きた時には既に3時間経過しており、急いで集合場所へ戻る。 日常が戻り、6時間目の体育の授業が終わった後、教室に戻った夏帆は、親友の冴子の大切なポーチが盗まれたことを知る。闇雲に探し回る夏帆は、階段から落ちてしまう。しかし目を開けた夏帆はどこも怪我をしておらず、おかしいと思いながら教室に戻ろうとすると、時間が巻き戻っていた。体育の授業中で誰もいないはずの教室に行くと、冴子のポーチを盗もうとしているクラスメイトを目撃する。自分から名乗り出るよう助言し、後日、2人の間で問題は解決する。自分に起こったことが理解できず、白昼夢だと思い込もうとしていた夏帆だったが、体育の授業をサボって屋上にいたクラスメイトの茅野圭一が、体育の授業で校庭を走る夏帆と、校内を走り回る夏帆が同時に写った、決定的な1枚の写真の撮影に成功していた。圭一に問い詰められた夏帆は、自分に起こったことをありのままに話すが、当然理解されない。 登場人物[編集] 織部 夏帆(おりべ なほ) 高校2年生。常に前向きでポジティブな性格。「思い立ったが吉日」をモットーに、直観的に行動してしまうため、トラブルを起こしやすい。困っている人を放っておけないお人好しな性分。 修学旅行中に荒れた祠を整えた後、クラスで起こった窃盗事件解決のために走り回る中、階段から落ちて目が覚めると、時が1時間巻き戻っていた。巻き戻るタイミングについては、いずれも高いところから落ちる、夏帆が同じ時間に2人存在してしまうという共通点がある以外は、まだ謎が多い。 家族構成は両親と中学2年生の弟。 茅野 圭一 夏帆のクラスメイト。一匹狼タイプで、クラスでは孤立しているが、成績は上位。 授業をサボっていた時に偶然、同じ時間にいるはずのない2人の夏帆の写真を撮ってしまい、本人も理解できていない秘密を知ってしまう。 家族構成は母、中学1年生の弟、5歳の妹で、父は他界している。弟妹の面倒見も良い。 冴子

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