Month: July 2018

ジョヴァンナ・デリ・アルビッツィ – Wikipedia

ジョヴァンナのメダル。 トルナブオーニ礼拝堂のギルランダイオのフレスコ画『聖母のエリザベト訪問』。ジョヴァンナは画面右に描かれている。 ジョヴァンナ・デリ・アルビッツィ(伊: Giovanna degli Albizzi, フィレンツェ, 1468年12月18日-1488年10月7日)は、ルネサンス期のイタリアの女性である。15世紀のフィレンツェの中流上層階級の女性で、ロレンツォ・トルナブオーニ(イタリア語版)と結婚し、画家ドメニコ・ギルランダイオとサンドロ・ボッティチェッリの多数の芸術作品に描かれた。 ジョヴァンナはマソ・デリ・アルヴィツィ(Maso degli Albizi)の娘で[1]、父マソはメディチ家とカテリーナ・ソデリーニ(Caterina Soderini)のかつてのライバルであった。メディチ家と密接な関係にあるトルナブオーニ家(イタリア語版)の子孫ロレンツォとの結婚は、間接的ではあったが2つの一族の和解を意味した。結婚式は1486年6月15日に行われた。義父のジョヴァンニ・トルナブオーニ(英語版)はロレンツォ・デ・メディチの叔父で、教皇の会計係であり、ロレンツォに次ぐフィレンツェで最も有力な人物であった。結婚式のために、ボッティチェッリはヴィラ・トルナブオーニ(イタリア語版)のロッジアに寓意的なフレスコ画を制作し、そのうちの1つ『若い婦人に贈り物をするヴィーナスと三美神』は花嫁であるジョヴァンナに捧げられた。 ジョヴァンナはトルナブオーニ礼拝堂のフレスコ画でも目立つ位置にあり、1つは『聖母の誕生』(Nascita della Vergine)、もう1つは『聖母のエリザベト訪問』(Visitazione)に描かれている。両方のフレスコ画には、同じ金色のダマスク織の豪華なドレスが描かれているが、袖は異なっている。ギルランダイオはまた、いくつかの肖像画を彼女に捧げた。有名なものの1つは、現在マドリードのティッセン=ボルネミッサ美術館にあり(おそらく彼女の死後の制作、礼拝堂のフレスコ画と同じカルトンに由来する)、そしてそのうちの1つは東京都八王子市の東京富士美術館に所蔵されている。3番目の工房作は、マサチューセッツ州ウィリアムズタウン(英語版)のクラーク・アート・インスティテュート(英語版)に所蔵されている。典型的な彼女の髪型は、うなじに集まったブロンドの髪と顔を縁取る巻き毛として描かれている。 1487年10月11日、19歳のときに最初の子供ジョヴァンニーノ(Giovannino)が生まれた。さらに1年後に2人目を妊娠したが、出産の際に若くして死去し、1488年10月7日にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に埋葬された。 ^ Pompeo Litta, Albizzi

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ヒカリモ – Wikipedia

ヒカリモ(光藻、学名:Ochromonas vischeri)は、日本各地の水のきれいな洞窟や、山陰などの池に生息する藻類であり、暗所で光を反射させることで黄金色に光って見えることが和名の由来である。 普段は単細胞生物として、長短1本ずつ、計2本の鞭毛で移動する。周年で構成される生活環のうち、通常は4月から6月の浮遊期に、疎水性の柄の上に複数の層で構成される細胞塊を形成し、これが鏡のように入射光を反射させることで黄金色に光るように見え、その様子は「金粉をしきつめたよう」だとのこと。[1][2]光る仕組みについては、かつては葉緑体が光を反射させるとされたが、これは誤りである。しかし、詳しい仕組みについては十分に解明されていない。 一般には浮遊期は4月から6月であるが、日立市東滑川海浜緑地のヒカリモ群生地のように、年間を通して光って見える場所もある。 日立市が北限といわれていたが、近年福島県や宮城県でも発生が確認されている[3]。 東滑川海浜緑地のヒカリモ 現在、分類は混乱しており、文献によりChromulina rosanoffiiやChromulina vischeriとされることもあるが、本稿では神戸市環境保健研究所の研究[4]に従い、オクロモナス属(ハダカヒゲムシ属)としている。 産地によって種が異なっているかもしれない。 千葉県富津市竹岡の群生地は、日本で初めてヒカリモが発見された場所であり、「黄金井戸」の名前で、国の天然記念物に指定されている。 ^ 池上陽子「ヒカリモ(黄金色藻綱)における浮遊細胞の微細構造と分類学的研究」 (pdf) 『つくば生物ジャーナル』第2巻第2号、筑波大学生物学類、2003年2月、 38頁。 ^ 大石英明・矢野 洋・伊藤裕之・中原正展「兵庫県内の池に発生したヒカリモ(黄金藻)の観察」 (pdf) 『藻類』第39巻第1号、日本藻類学会、1991年3月10日、

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常呂遺跡 – Wikipedia

常呂遺跡(ところいせき)は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町、北見国)にある擦文文化期およびオホーツク文化期の遺跡[注釈 1]。国の史跡に指定されている[3]。 オホーツク海をのぞむ海岸に沿って常呂川の河口からサロマ湖西岸へと続く幅約300メートル、長さ約2.7キロメートルの砂丘上に立地し、2,000基以上の竪穴住居跡および墳墓と推定される多数の小形の竪穴状遺構が検出された。 擦文文化の集落遺跡としては北海道最大規模を有し、オホーツク文化期の住居跡も発見されており、特異な存在となっている。両文化の移行の問題を検討するうえでも重要な遺跡である。 東北地方北部から北海道にかけての各遺跡では、しばしば竪穴が埋没しきらず地上に大小の凹みを残存させている場合がみられるが、常呂遺跡の竪穴群はそのなかでも最大級の規模と密度を有する例として知られている。 史跡指定[編集] 1974年(昭和49年)3月12日、国の史跡に指定され[3]、遺跡の保存と整備が進められた。遺跡の広がりが確認されたため、2002年(平成14年)9月20日には追加指定がなされている[3]。 周辺情報[編集] 周辺は「ところ遺跡の森」として整備されており、附近には旧石器時代からアイヌ文化のものまで数多くの遺跡が散在している[4][注釈 2]。原生花園であるワッカ原生花園とそれに附属する施設「サロマ湖ワッカネイチャーセンター」にも近い[注釈 3]。 注釈[編集] ^ 擦文時代は、本州の奈良時代・平安時代・鎌倉時代に相当し、擦文土器が広く用いられ、鉄器使用の広がりが全道的に確認できる金属器時代である[1]。オホーツク文化は、3世紀ころから13世紀にかけてオホーツク海沿岸から樺太・千島の地域にみられる文化で、その後期には一部擦文文化と並行する北方海洋民族の文化である[2]。特に土器装飾、住居形態、墓制などにおいて、擦文文化とは異なるきわだった特徴を有する[2]。 ^ 旧石器時代の遺跡として岐阜第二遺跡、縄文・続縄文の遺跡としてトコロチャシ跡遺跡、トコロ貝塚、常呂川河口遺跡などがあり、縄文以降の遺跡は他時期にも営まれた複合遺跡となっている[4]。「ところ遺跡の森」は、北海道地方のなかでも独自の歴史を歩んだオホーツク地域の文化の変遷を、発掘調査によって出土した考古資料を実見することで学習できる施設となっている[4]。 ^ ワッカ原生花園は、2001年10月、北海道遺産に選定されている[5]。 出典[編集] 関連項目[編集]

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河原光 – Wikipedia

河原 光(かわはら ひかる、1968年7月10日 – )は、日本のグラフィックデザイナー。有限会社リンカーン・グラフィックス・ファミリー(TLGF)代表。 桑沢デザイン研究所卒業後、CAP、フリーランスなどを経て1997年、TLGFこと(有)リンカーン・グラフィックス・ファミリーを設立。Spiral Life、AIR、Dragon Ash、ゆず、レミオロメン、pre-schoolなどのミュージシャンのCDジャケットデザインをメインにグラフィックデザイン全般で活動中。特にDragon Ash、ゆず、pre-schoolにおいてはデビュー時からアートワークを手がけている。 2002年からカジュアルファッションブランド「NARCOTIC」を、2003年からはレディースブランド「narcoterrier」をアパレルメーカー「GDC」内にてスタート。2004年からは「NARCOTIC」を終了させ新たに「RAW FUDGE」を立ち上げた。また、プライベートブランドとして「FUTURE ZOMBIE」も展開している(2010年をもって終了)。発売された商品は雑誌「smart」などでも取り上げられることが多く、裏原系ファッションを好む若者の支持を受ける。現在アパレルブランドとしては「WRIGHT」で不定期に活動。 同業者であるアートディレクターの木村豊(セントラル67)、守矢努(ila)と三人でアート・ユニット「676869▲(サンカッケー)」名義での活動も開始。2013年1月、初の展覧会となる「▲の部屋」を恵比寿のギャラリー「AL」にて開催。 2015年、名古屋造形芸術大学での一般公開講座にて、特別講師として招致。「STRANGER THAN PARADISE」と銘打たれた講座を開き、自身のデザイン論を講ずる。 近年では、ジュエリー・ブランド「Justin Davis」のアート・ディレクターとして、ビルボード広告、カタログなどビジュアル面全般も手がける。2015年にはジャスティン・デイビスとスター・ウォーズのコラボレーション企画において、そのビジュアル全般からラ・フォーレ原宿での特別展示までディレクションを担当。 2020年3月、元NICO Touches

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エイブラハム・ヌニェス (内野手) – Wikipedia

この項目では、ドミニカ共和国出身の内野手について説明しています。ドミニカ共和国出身で同姓同名の外野手については「エイブラハム・ヌニェス (外野手)」をご覧ください。 この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はヌニェス、第二姓(母方の姓)はアダメスです。(Template:スペイン語圏の姓名) エイブラハム・ヌニェスAbraham Núñez フィラデルフィア・フィリーズでの現役時代 基本情報 国籍 ドミニカ共和国 出身地 首都地区サントドミンゴ 生年月日 (1976-03-16) 1976年3月16日(46歳) 身長体重 5′ 11″ =約180.3 cm200 lb

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アーシュラ・K・ル=グウィン – Wikipedia

この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2020年10月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。 英語版記事の機械翻訳されたバージョンを表示します(各言語から日本語へ)。 翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いることは有益ですが、翻訳者は機械翻訳をそのままコピー・アンド・ペーストを行うのではなく、必要に応じて誤りを訂正し正確な翻訳にする必要があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Ursula K. Le Guin}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な翻訳の手順・指針についての説明があります。 アーシュラ・クローバー・ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin、1929年10月21日 – 2018年1月22日)は、アメリカの小説家でSF作家、ファンタジー作家。「ル・グィン」、「ル=グイン」とも表記される。 SF作家としては、両性具有の異星人と地球人との接触を描いた『闇の左手』で広く認知されるようになり、他に代表作にユートピアを描いた『所有せざる人々』 などがあり、SF界の女王と称される。ファンタジーの代表作は『ゲド戦記』のシリーズで、「西の善き魔女[2]」のあだ名もある。他に『空飛び猫(英語版)』といった絵本作品もある[3]。 生い立ち[編集]

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美郷町立美郷南学園 – Wikipedia

美郷町立美郷南学園(みさとちょうりつ みさとみなみがくえん)は、宮崎県東臼杵郡美郷町にある公立の施設一体型幼小中一貫校[1]。 美郷町立南郷幼稚園、美郷町立南郷小学校、美郷町立南郷中学校がひとつの施設にあり、運動場・体育館等を共用している。小学校・中学校の職員が乗り入れ授業を行ったり、異学年の間でも合同授業が行われている。 児童生徒数: 120名 職員数: 29名(平成28年度 現在)[2] 教育方針[編集] 教育目標 「生涯にわたって自分の力で学び、豊かに生活できる南郷っ子の育成」 美郷南学園[編集] 2010年(平成22年)5月 – 一般募集していた校名と愛称が、それぞれ「南郷」(幼稚園・小学校・中学校)、「美郷南学園」に決定[3]。 2011年(平成23年) 4月1日 – 南郷幼稚園、南郷小学校、南郷中学校を幼小中一貫校とした「美郷町立美郷南学園」を設立。 7月

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さらば征平・最後の挑戦! – Wikipedia

この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。目安に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “さらば征平・最後の挑戦!” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年11月) 『さらば征平・最後の挑戦!』(さらばしょうへい さいごのちょうせん)は、2004年5月15日(土曜日)の 15:55 – 17:25 (日本標準時)に関西テレビで特別番組として放送されたドキュメンタリー番組で、同年の日本民間放送連盟賞テレビ番組エンターテインメント部門グランプリ(最優秀賞)を受賞[1][2]。 関西テレビの名物アナウンサー・桑原征平の定年退職を記念した特別番組で、退職当日の午後に、同局のスタジオから生放送。桑原の後輩アナウンサーをはじめ、桑原と縁の深い著名人が多数スタジオへ出演したり、VTRでコメントを寄せたりしていた。日本の放送局において、正局員として勤務していたアナウンサーの定年退職を記念した冠番組を制作することは、異例の試みであった。 当番組は、『土曜大好き!830』(桑原と板東英二が共同で司会を務めた関西テレビ制作土曜朝のワイドショー)などの制作を手掛けた上沼真平[注 1] が、制作の総指揮を担当。桑原が全国的な知名度を得ていた「征平の挑戦!」(『土曜大好き!830』の前身番組に当たる『ハイ!土曜日です』でのロケ企画)や特別番組でのダイジェスト映像や、桑原の人となりに迫る企画を放送した。さらに、桑原が『土曜大好き!830』でのロケをきっかけに熱望してきた「ペルーのマチュピチュ遺跡に現れる『グッバイボーイ』の追体験」を、「最後の挑戦」として実現。退職の直前に現地で特別に実施したロケの一部始終を紹介したところ、2004年の日本民間放送連盟賞テレビ番組エンターテインメント部門のグランプリ(最優秀賞)を受賞するなど、大きな反響と高い評価を得るに至った。関西テレビ制作の番組が日本民間放送連盟賞でグランプリを受賞したのは、この番組が初めてである。 なお、生放送の後も、関西テレビで数回にわたって再放送。本放送と同じ2014年に実施した3回の再放送における視聴率は、1回目から順に、6.6%、7.0%、10.0%(12月31日11:00

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安島太佳由 – Wikipedia

この存命人物の記事には、出典が全くありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “安島太佳由” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年8月) 安島 太佳由(やすじま たかよし、1959年 – )は日本の写真家。戦跡取材で若い世代に戦争の記憶を語り継いでいく。 1959年、福岡県生まれ 1981年、大阪芸術大学写真学科卒 大日本印刷株式会社写真部、広告制作会社などを経て、 1993年、安島写真事務所を設立。 フリーランスとして活動開始 1995年「日本の戦争」をテーマに戦跡取材を開始

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