晋中市(しんちゅうし)は、中華人民共和国山西省東部に位置する地級市。 山西省中部に位置し、陽泉市、太原市、呂梁市、臨汾市、長治市、河北省に接する。市内は東高西低の地勢となっており、殆どが海抜1,000mを越える丘陵地帯となっており、最も低い霊石県南西部の汾河沿岸でも海抜547mとなっている。 春秋時代には晋が晋中西部に祁県・鄔県(現在の介休市)・涂水県(楡次区)・馬首県(寿陽県)の4県を設置し、西部は白狄による肥国が存在していた。戦国期になると韓・趙・魏の三国が割拠していた。 秦が中国統一すると、前221年、晋中地区は晋陽県が設置され太原郡の管轄とされ、後漢には太原郡・西河郡・楽平郡の3郡が設置されている。南北朝時代には中国北部を統治した北魏により并州(太原郡・楽平郡・郷郡)及び汾州(西河郡・定陽郡)が設置された。 隋代になると583年(開皇3年)に郡制廃止に伴い并州・介州・韓州・遼州の4州が設置されたが、607年(大業3年)に郡制が再施行され、太原郡・西河郡両郡が、更に行政区画の整理が行われ太原郡・介休郡に改編された。 唐代になると頻繁な行政変更が加えられた後、883年(中和3年)に太原府及び汾州・遼州が設置され、清末まで沿襲された。 明清時代には「晋商」と呼ばれる山西商人が中国全土で活動した。平遥県・祁県・太谷県は晋商が集い本拠を置く中国の金融の中心として栄えた。当時は「金太谷、銀祁県、銅平遥」とも称され、その名残を残す建築や邸宅は各地に残る。特に平遥古城は街並みや城壁の保存状態が非常によく、世界遺産にも登録されている。 中華人民共和国が成立すると1949年に山西省の管轄となり、楡次専区が設置され、公署が楡次県に設置された。1958年には楡次専区は晋中専区と、1970年には更に晋中地区と改称された。 1999年9月24日、晋中地区及び県級市としての楡次市の廃止が決定され、新たに晋中市が設立された。2000年10月、晋中市人民政府が正式に成立し現在に至っている。 行政区画[編集] 山西商人の邸宅。霊石県の王家大院 2市轄区・1県級市・8県を管轄下に置く。 市轄区: 県級市: 県: 年表[編集] 楡次専区[編集] 晋中地区[編集] 1958年11月21日 (2市7県)
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