Month: May 2019

松應寺 (岡崎市) – Wikipedia

松應寺(しょうおうじ)は、愛知県岡崎市松本町にある浄土宗の寺院。山号は能見山。本尊は阿弥陀如来。 1560年(永禄3年)、徳川家康が父松平広忠菩提のため、隣誉月光を開山として本寺を創建した。手植えの松が緑深く、東方に伸長するのを見て家康は「我が祈念に應ずる松なり」と言ったという。ここから「松應寺」と名付けられた[1]。 広忠は一説に天文18年3月6日(1549年4月3日)、家臣岩松八弥に殺害されたと言われており、能見原で荼毘にふされた。 慶長期に入ると、松平氏ゆかりの寺社は家康の先祖に対する権威付けにより寺格が高められた。慶長7年(1602年)6月14日付で能見・菅生村に朱印地100石が寄進され、慶長10年(1605年)の広忠57回忌に際しては、松廟・拝殿・鳥居・玉垣をはじめ、坊中の浄誓寺・善入院・西光院・宗慶院・貞照院・林塔庵・存入庵・伝宗庵8か院に至るまでの再建工事が行われた[3]。 慶長17年(1612年)1月26日には大坂へ進軍途中の徳川家康が本寺に参拝し、銀子・時服などの拝領が許された。元和9年(1623年)、将軍徳川秀忠と徳川家光が上洛の途中で本寺を参拝。 寛永10年(1633年)、徳川家光が大造営を行い、翌寛永11年(1634年)、常紫衣綸旨を受けた。文化2年(1805年)、太子堂が建立される。 1945年(昭和20年)7月20日、岡崎空襲により、御廟所と太子堂を除き焼失。1952年(昭和27年)、現在の本堂が落成した。 付近では老朽化した空き家の増加が進んでおり、この問題を解消するべく、2011年(平成23年)に地域住民やNPO法人と「松應寺横丁プロジェクト」を開始。同年7月から路地や空き家を活用した「松應寺横丁にぎわい市」を年数回開いている。かつての夜の街は「昼の街」へと変貌を遂げ、2018年(平成30年)現在、置屋などの古民家12軒のうち、洋菓子店、軽食や雑貨の販売店など7軒が稼働している[4][5]。 「あいちトリエンナーレ2013」においては本寺が会場の一つに選ばれた。最終日の2013年(平成25年)10月27日には「クロージングイベント また逢う日まで」が開催された[6]。あいちトリエンナーレがきっかけで初めてこの地を訪れた女性はひとめぼれし、1年かけて古民家を工事。路地に洋菓子店を開いた[7]。 ギャラリー[編集] 以下の物件が市の指定文化財に指定されている[8]。 2018年(平成30年)4月3日、岡崎市教育委員会は下記の「松平広忠公御廟所」について、文化財の指定範囲を20倍以上に広げた。最近の調査により建造当初の構造が明らかとなったため[9]。 また、「松平広忠公御廟所」は2019年(令和元年)9月1日に歴史的風致形成建造物に指定された[10]。 指定名称 種別 指定年月日 所在地 絹本著色十六羅漢像 絵画

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気団 – Wikipedia

気団(きだん)とは、停滞性の高気圧により、気温や湿度などの性質が水平方向に広い範囲にわたってほぼ一定になり、一つの塊と見なせるようになった状態をいう。1930年にスウェーデンの気象学者であるトール・ベルシェロンが定義し、分類を行った[1]。 多くの気団は、季節の変化に伴って勢力と勢力圏を変える。気団の勢力変化や拡縮によって、それぞれの地域に特有の気候や気象現象が生み出される。広い海洋に発達する気団など、1年中勢力を維持する気団もあるが、ごく一部に限られる。 気団の多くは高気圧であるが、熱帯収束帯(赤道低圧帯)にできる赤道気団は気圧の低い気団である。 停滞性高気圧は、主に赤道付近の低緯度と両極を取り巻く高緯度の地域で発生する。これらの地域は、水平方向の擾乱が少ないために均質な大気がまとまって存在しやすいため、気団を形成しやすい。 中緯度地域では、ジェット気流の流路付近を中心として大気擾乱が発生し、これが温帯低気圧を発生させて南北の大気を攪拌してしまう。さらに高気圧はジェット気流によって移動性となるため、大規模な気団は存在しない(地域的には、気団とみなせる高気圧圏が季節的に発生する)。 複数の気団が接触すると、前線が生成され、低気圧が発達することがある。 北アメリカの気候に影響を与える7つの気団 発生場所と、温度、湿度により以下のように分類される。略号はアルファベット2文字で表される。小文字のcは大陸性、小文字のmは海洋性、大文字のAは北極または南極、大文字のPは寒帯、大文字のTは熱帯、大文字のEは赤道を示す。それぞれ、英語での頭文字(大陸=continent、海洋=maritime、北極=Arctic、寒帯=Polar、熱帯=Tropical、赤道=Equator)が使われている。 大陸性気団は乾燥、海洋性気団は湿潤である。また、北極や南極の気団は非常に低温で、寒帯、熱帯、赤道の順に暖かくなってくる。南極にはcAしか存在せず、そのまわりをmPが取り囲んでいる。(北極には大陸性気団と海洋性気団が存在するが、南極には海洋性気団がない)また、北極海洋性気団も冬季には、海が凍結するために湿度が低くなり、北極大陸性気団とあまり変わらなくなる。しかし、近年では9月を中心に海氷面積が激減しており、北極気団はより湿度が高い気団に変化しているのではないかという指摘もある。 発生場所 大陸 (c-) 海洋 (m-) 北極 (-A) 北極大陸性気団 (cA) 北極海洋性気団 (mA)

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シダ類 – Wikipedia

この項目では、薄嚢シダ類と真嚢シダ類を合わせた側系統群について説明しています。近年では単にシダ類とも呼ばれるトクサ類とマツバラン類を含む単系統群については「大葉シダ植物」をご覧ください。 「シダ」はこの項目へ転送されています。ミジンコの一種については「シダ (ミジンコ)」をご覧ください。 シダ類(シダるい、羊歯類、英: Ferns)は、一般に「シダ」(羊歯、歯朶)と総称される維管束植物の一群である[1][2]。伝統的分類および一般的な文脈では、薄嚢シダ類に加え、合わせて真嚢シダ類とも呼ばれるリュウビンタイ目とハナヤスリ目を含む分類群を指す[1]。 かつてはシダ植物の伝統的分類において、マツバラン類(無葉類)、ヒカゲノカズラ類(小葉類)およびトクサ類(楔葉類)とともにシダ類(大葉類)としてシダ植物に含められ[4][5][6]、多くシダ綱(シダこう、Pteridopsida, Filicopsida)として綱の階級に置かれた[1][5]。1920年代以降、系統的に4群が遠いと考えられるようになり、シダ門 Pterophytaやシダ類亜門 Pterophytinaとしてより上位の分類階級に置くこともあった[7][8]。しかし分子系統解析により、シダ植物だけでなくシダ類自身も側系統群であることが判明し、本項の示す「シダ類」は分類群としては現在ではもはや用いられない[9][10]。なお、スミスら (2006)の分類体系では「シダ綱 Filicopsida」は薄嚢シダ類を指す分類群として用いられていた[11]。 近年では分子系統解析により、伝統的なシダ類にマツバラン類およびトクサ類を含めたグループが単系統群をなすことが明らかになっており、それをまとめて「シダ類 ferns」と呼ぶことも多くなっている[4][9]。このグループはKenrick & Crane (1997)において “Moniliformopses” と呼ばれた群に相当し[12]、「モニロファイツ」や「大葉シダ類」と呼ばれる[13]ことも多く、この単系統群については「大葉シダ植物」にて解説する。 「シダ」[編集] シダ(羊歯、歯朶)という言葉は、本項で示すシダ類を指す場合[2]に加え、シダ植物を指すこと[2][14]、および特にウラジロを指すこと[2][16]がある。和名の「シダ」の語源は「しだれる」と同源であるとされる[14][17]。シダは方言または古名でデンダやカグマと呼ばれる[20][21][22]。このうち、「デンダ」は「連朶」が訛ったものだとされ、そう漢字表記される。また、標準和名シノブ

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油彩 – Wikipedia

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2021年6月) 油彩(ゆさい)には、以下の意味がある。 油彩絵具を用いる制作の手法。下層にはしばしば水性の地塗り塗料(絵具)も使用される。 油彩画の構造[編集] 油彩画は絵画の内でもすぐれて明確な積層構造をとる媒体である。塗膜[注釈 1]の接着を良くする意味で、”Fat over lean“という慣(ならい)に従い、上層が下層より油分が多くなるようにする。油彩絵具による塗膜にそのまま水性絵具を重ねると剥落などの問題を起こすので避けられる[注釈 2]。経年によって、鉛白などは乾性油と反応し金属石鹸を生じ[1]、透明度が高まるので、凡そ100年以上経過すると描き直しや躊躇いが見えるようになる。これをペンティメント[2]と呼ぶ。パウル・クレーの『ドゥルカマラ島』のように、経年による絵具層の変化が利用された作品も知られている。油彩の基本的な構造は以下の通りである。 支持体 支持体は絵画の塗膜を支える面を構成する物質である。下地や描画層を物理的に保持する部分。多くの場合、キャンバス(帆布)や、木製のパネル(羽目板)や単独の板に麻布や綿布が用いられる。 絶縁層 油彩絵具は乾性油の酸化重合によって固化する絵具であるため、布地などに直接描画すると布を酸化してしまう。それを防ぐために支持体と絵具層の間に、絶縁する層が必要となる。麻布を用いる場合、伝統的には麻布に膠水を引くことで絶縁する。これは前膠(まえにかわ)と呼ばれる。代表的な膠は、兎膠と牛膠である。前者は柔軟性が高く、後者は接着力が強い。特に後者は工業的にも用いられており、純度の高いものはゼラチンとして流通している。絶縁にはPVAや酢酸ビニルなども用いられている。 地塗り層(下地) 絵具は下層の影響を受けるため、絶縁層と描画層との間にしばしば、地塗りをして絵具の発色を良くし描画特性を高める層を設ける。地塗り層は、上層であるの絵具層からある程度の油分を吸収することで絵具の固着を良くする役割も果たすことから、地塗りは技法の中でも重要な役割を果たす。キャンバスには予め地塗りを施してあるものが市販されているほか、木枠に張られた商品もある。これは便利であるが、本人の要求を満たす適性を備えているとは限らない。購買層の多くは初学者や絵画教室の生徒である。 描画層 地塗り以外の絵具の層のことを描画層と呼称する。 保護層 絵具層の上に保護の目的で施される層。油絵具に用いられる顔料の中には、硫化水素などの物質によって化学反応を起こし変色するものがある。またホコリや煙草のヤニによっても絵画は汚れる。これを防ぐ目的で描画が終了して一年程経過した後(のち)に、保護バーニッシュを塗布する。例えば、展覧会直前まで制作した絵画をその展覧会で販売し、購入者がバーニッシュの塗布を専門家に依頼する等しなかった場合、その絵画には保護バーニッシュが塗布されていない状態が続き、絵画が汚れる危険に晒され続けることになる。このバーニッシュには、後に再度溶解による除去が可能で、バーニッシュの塗り直しを許容するものを用いる。バーニッシュは剥離や剥落を抑える効果を生じる場合もある。 油彩画の材料[編集]

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ムーンライト号 (高速バス) – Wikipedia

ムーンライト号(阪急観光バス) ムーンライト号(西日本鉄道) ムーンライト号(ムーンライトごう)は、かつて京都府京都市・大阪府大阪市・兵庫県神戸市と福岡県北九州市・福岡市を結んだ高速バス路線である。2017年3月31日をもって運行休止された。 本項では、ムーンライト号の派生系統であったちくご号及び期間限定で運行されていた福岡・北九州 – ユニバーサル・スタジオ・ジャパン線についても記す。 1983年3月24日の中国自動車道全通により近畿と九州が高速道路で直結されたのを機に、同日から運行を開始した夜行高速バス路線である。「ムーンライト」の愛称は当時の阪急バス社長の命名と言われている。 1980年に国鉄山陽本線経由の座席急行列車が廃止されたことや飛行機の空白時間を埋める時間帯で大阪~福岡間を直結することで開業時から人気を集め、この路線の成功が、他の路線バス事業者がこぞって夜行高速バスに参入するきっかけとなったこともあり、加えて現在の夜行高速バスで主流形態となっている「起終点事業者による『共同運行』」「運賃収入を一旦プールし、走行距離に応じて業者に配分する『プール精算制』の採用」「2人がけ4列の概念を打ち破った『1人がけ独立3列シート』の導入」をいずれも初めて行った路線でもあることから、日本の夜行高速バスの歴史の中でもエポックメイキングとなった路線の一つといえる。また、ちょうどこの時期はバブル絶頂期とも相まって利用客も多く、特急便や筑豊便も設定された全盛期には平日でも満席になる事も多くほとんどが2台での運行、週末や連休・繁盛期などは続行便も5台以上出る事も珍しくなかった。だが、1990年代後半頃よりバブル崩壊の影響、山陽新幹線の高速化や利便性向上ならびに割引きっぷの導入、瀬戸内海を航行するフェリーの設備向上などによって利用客も減少傾向が少しずつ見られるようになり、特急便や筑豊便が廃止されるなど陰りが見え始めた。さらに2000年代に入ると、格安高速バス(旧ツアーバス)が登場し複数の事業者が競い合うように台頭し始め、さらには格安航空会社(LCC)による航空便の就航などに伴ってさらなる利用客離れに拍車が掛かる形となり、本路線としても様々な打開策(運賃の見直し(福岡・北九州片道運賃を統一し福岡県内どこから乗っても同一運賃とする、往復割引運賃を廃止しカレンダー制割引運賃を導入 など)、運行経路の変更ならびに既存路線との統合(「きょうと号」と統合して起終点を京都まで延伸、神戸三宮・USJへの停車など))で対抗するも、いずれも採算面での抜本的な収支改善には至らず、最終的にはこれ以上の路線維持は困難という判断が下される結末となり、2017年3月31日の運行を以って34年という長い歴史に終止符が打たれる事となった。 全席座席指定制のため、乗車には事前の予約が必要だった。 運行会社[編集] 阪急バス(運行開始日から2003年1月30日まで) 運行経路・停車停留所[編集] 太字は停車停留所。関西地区内および福岡地区内のみの相互利用はともに不可。 京都駅八条口〈ホテル京阪前〉 – (阪神高速8号京都線) – 久御山JCT – (京滋バイパス)

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シーザー・ヘルナンデス – Wikipedia

この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。 セサル・エルナンデス セザー・ヘルナンデス シーザー・オーガスト・ヘルナンデス(César Augusto Hernández, 英語発音:/ˈseɪzər ˌɔˈgʌstoʊ hərˈnændɛz/[1];1990年5月23日 – )は、ベネズエラ・カラボボ州バレンシア出身のプロ野球選手(内野手兼外野手)。右投両打。MLBのワシントン・ナショナルズ所属。愛称はセシータ(Cesita)[2]。 プロ入りとフィリーズ時代[編集] フィラデルフィア・フィリーズ時代(2019年5月14日) 2006年7月2日にフィラデルフィア・フィリーズと契約してプロ入り。 2007年、傘下のルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・フィリーズでプロデビュー。54試合に出場して打率.276、2本塁打、21打点、6盗塁を記録した。 2008年もルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・フィリーズでプレーし、60試合に出場して打率.315、1本塁打、24打点、19盗塁を記録した。 2009年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・フィリーズでプレーし、41試合に出場して打率.267、18打点、13盗塁を記録した。 2010年はA-級ウィリアムズポート・クロスカッターズ(英語版)でプレーし、65試合に出場して打率.325、23打点、32盗塁を記録した。オフの11月19日にフィリーズとメジャー契約を結び[3]、40人枠入りを果たした。 2011年はA+級クリアウォーター・スレッシャーズ(英語版)でプレーし、119試合に出場して打率.268、4本塁打、37打点、23盗塁を記録した。 2012年はまずAA級レディング・フィリーズでプレーし、103試合に出場して打率.345、2本塁打、51打点、16盗塁を記録した。8月にAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ昇格。30試合に出場して打率.248、6打点、5盗塁を記録した。

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エピブラスト幹細胞 – Wikipedia

エピブラスト幹細胞[1](えぴぶらすとかんさいぼう、エピ幹細胞、epiblast stem cell、epi-stem cell、EpiSC)は、マウス胚のエピブラスト(英語版)を単離培養して樹立される幹細胞。マウスES細胞よりもヒトES細胞に近い性質を持つ[1]。幹細胞研究の新たなツールとして期待され、様々な研究が行われている[7]。 エピブラスト幹細胞に関する初めての論文は、2007年7月12日に英国科学雑誌ネイチャーで2本同時に掲載された。ES細胞と異なり、マウスとラットの着床後胚の後期エピブラストから樹立した細胞株である。なお、エピブラストは、胚盤葉上層[12]、胚体外胚葉[13]、原始外胚葉などと呼ばれる。 ES細胞とエピブラスト幹細胞を比較すると、 という共通点がある。しかし、エピブラスト幹細胞は という特徴を持ち、その性質はナイーブ型のマウスES細胞よりもプライム型のヒトES細胞に近い[1]。 エピブラスト幹細胞からの分化誘導やエピブラスト様細胞(EpiLC)についての研究開発も行われ[7]、2013年には九州大学の研究チームが大量培養法を発表している[1]。また、エピブラスト幹細胞由来の神経板細胞を発生させ、その転写制御ネットワークを解明しようという研究も進められている。 研究論文[編集] 最初の論文[編集] I. Gabrielle M. Brons, Lucy E. Smithers, Matthew W.

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増田いずみ – Wikipedia

増田いずみ ジャンル クラシカル・クロスオーバー 職業 歌手 レーベル ビクターエンタテインメント 公式サイト 癒しオペラ 増田いずみ 増田 いずみ(ますだ いずみ、1967年 – )は日本の歌手。日本におけるクラシカル・クロスオーバーの草分けともいえる存在である。夫は文楽の太夫、六代目竹本織太夫[1]。 目次 1 略歴 2 ディスコグラフィ

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オークローンマーケティング – Wikipedia

株式会社オークローンマーケティング(OAK LAWN MARKETING, INC.)は、愛知県名古屋市東区に本社を置くNTTドコモグループの企業。テレビショッピングやECサイトなどによる通信販売事業を行っている[1]。 テレビショッピング番組「ショップジャパン」(Shop Japan) を自社制作している。なお「Shop Japan」は同社の登録商標である[5]。テレビショッピングの放送量はジャパネットたかたに次いで多く、テレビショッピングでの市場占有率は6%で業界第4位[6]である。 2007年に発売した「ビリーズブートキャンプ」のDVDが大反響を呼び、150万セットを売り上げ同社の看板商品となった[5]。また2015年4月からは腹筋運動マシン「ワンダーコア」のCMキャラクターに剛力彩芽を起用し話題となった[7]。 創業者のロバート・W・ローチ (Robert W. Roche) は、1983年に南山大学日本研究センターの交換留学生として初来日[8]。1985年にイリノイ州立大学(英語版)で経済学および日本学の学士号を取得し[8]、1986年に再来日[8]。1988年にデンバー大学ロースクールで法学位を取得[8]後、1989年に3回目の来日を果たし名古屋へ来た[9]。 ローチはバブル景気に湧く日本で円高を背景に、アメリカから商品を輸入して販売すれば成功すると考え、名古屋の老舗百貨店を回ったものの相手にされず、日本の商習慣の壁に直面した[9]。バブル崩壊後の1993年にローチは異業種交流会で現ファウンダーの中村規脩と知り合い、外国人をパートナーとして輸入業に進出しようとしていた中村とローチは意気投合し、同年5月に株式会社オークローンマーケティングを設立[1][9]。社名はローチの出身地であるイリノイ州シカゴ郊外の町・オークローン(英語版)に由来して命名された[8]。 会社設立当初は、ティファニーやグッチなどのハイブランド商品を並行輸入して問屋に卸していたが、取り扱い商品がテレビショッピングで紹介され、売れ行きが好調だったことから他の商品も紹介されることとなり、テレビショッピング主体のビジネスモデルを確立していった[9]。 1994年4月、海外映像を使用したテレビショッピング番組を制作し放送を開始[5]。アメリカのインフォマーシャル(情報提供型ショッピング番組)を日本語吹き替えで放送する形での放送開始であった[9]。しかし外国人社長が経営する小さい会社であったことから、ローカル局でもなかなか相手にされず、やっとケーブルテレビ局で放送開始されることとなった[9]。 翌1995年には本社を名古屋市中区丸の内へ移転[5]。1999年には「ショップジャパン」ブランドを開設した[5]。 2003年には低反発マットレス「トゥルースリーパー」を発売[5]。2004年には有酸素運動&筋トレマシン「ラテラル・サイ・トレーナー」を発売[5]。2006年には「ヒルズコレクション」(Hill’s Collection)

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