コーリー・アレン・ブラウン(Corey Allen Brown, 1985年11月26日 – )は、アメリカ合衆国・フロリダ州タンパ出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。現在はFA。 アスレチックス傘下時代[編集] 2007年、MLBドラフト1巡目(全体59位)でオークランド・アスレチックスから指名され、6月19日に契約。A-級バンクーバー・カナディアンズで59試合に出場し、11本塁打48打点5盗塁、打率.268だった。 2008年はA級ケーンカウンティ・クーガーズで85試合に出場し、14本塁打49打点12盗塁、打率.270だった。7月9日にA+級ストックトン・ポーツへ昇格。49試合に出場し、16本塁打34打点4盗塁、打率.260だった。 2009年はAA級ミッドランド・ロックハウンズで66試合に出場し、9本塁打43打点5盗塁、打率.268だった。 2010年はAA級ミッドランドとAAA級サクラメント・リバーキャッツでプレー。AAA級では41試合に出場し、5本塁打20打点3盗塁、打率.193だった。オフの11月19日にアスレチックスとメジャー契約を結び[1]、40人枠入りした。 ナショナルズ時代[編集] 2010年12月16日にジョシュ・ウィリンガムとのトレードで、ヘンリー・ロドリゲスと共にワシントン・ナショナルズへ移籍した[2]。 2011年3月2日にナショナルズと1年契約に合意[3]。3月17日にAAA級シラキュース・チーフスへ異動し、開幕をAAA級で迎えた[4]。AAA級では124試合に出場し、14本塁打39打点4盗塁、打率.235だった。9月6日にメジャーへ昇格し[5]、同日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。4点ビハインドの9回裏2死で代打として出場したが、左飛に終わった[6]。9月13日に右足の故障で離脱し、そのままシーズンを終えた。この年は3試合に出場したが、3打数無安打2三振に終わった。オフの11月16日に40人枠を外れ、AAA級シラキュースへ降格した[7]。12月20日にナショナルズとマイナー契約で再契約した[8]。 2012年はAAA級シラキュースで開幕を迎え、5月28日にチャド・トレーシーが故障者リスト入りしたため、ナショナルズと再びメジャー契約を結んだ[9]。5月29日のマイアミ・マーリンズ戦では、5回表の第二打席でメジャー初打点となるスクイズを決めた[10]。3試合に出場したが、3打数無安打1打点2三振に終わり、6月1日にマイケル・モースが故障者リストから復帰したため、AAA級へ降格した[11]。7月23日にイアン・デズモンドが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[12]。7月28日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では、4回表の第二打席にランディ・ウルフからメジャー初安打となる本塁打を放った[13]。6試合に出場していたが、7月31日にトレーシーが故障者リストから復帰したため、AAA級へ降格[14]。9月4日にメジャーへ再昇格[15]。この年は19試合に出場し、1本塁打3打点、打率.200だった。 2013年3月6日にナショナルズと1年契約に合意。3月18日にAAA級シラキュースへ異動し[16]、開幕をAAA級で迎えた。AAA級では107試合に出場し、19本塁打56打点12盗塁、打率.254だった。9月3日にメジャーへ昇格。この年は14試合に出場し、1本塁打1打点1盗塁、打率.167だった。オフの12月12日にDFAとなった[17]。12月19日に金銭トレードで古巣のアスレチックスへ移籍[18]。 2014年1月22日にDFAとなり[19]、1月29日にAAA級サクラメント・リバーキャッツへ降格。1月31日にFAとなった[20]。 レッドソックス時代[編集] 2014年2月1日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。AAA級ポータケット・レッドソックスで開幕を迎え、83試合に出場。16本塁打39打点6盗塁、打率.226だった。8月5日にレッドソックスとメジャー契約を結んだ[21]。代打や代走として3試合に出場したが、8月18日にDFAとなり、8月19日にAAA級ポータケットへ降格した。結局この年は3試合の出場にとどまった。オフの10月30日にFAとなった。 レイズ傘下時代[編集]
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