京都大学大学院文学研究科・文学部 – Wikipedia
文学部東館(吉田本部キャンパス) 京都大学大学院文学研究科(きょうとだいがくだいがくいんぶんがくけんきゅうか、英称:Graduate School of Letters)は、京都大学大学院に設置されている研究科の一つである。また、京都大学文学部(きょうとだいがくぶんがくぶ、英称:Faculty of Letters)は、京都大学に設置されている学部の一つである。 [1]参照 1906年(明治39年)6月4日、京都帝国大学文科大学として設立される。京大の分科大学(法科大学・医科大学・理工科大学)の中で実際の開設が遅れたのは、当時、東京帝国大学の文科大学さえ学生定員を満たしていなかったことと、日露戦争のためと伝えられている。 初年度に開講されたのは哲学科のみであるが、史学科は翌年、文学科は翌々年と1年ずつ遅れて授業が始まった。当初のスタッフは東大出身者が大半であったが、内藤湖南、幸田露伴、米田庄太郎など、経歴にこだわらない採用も行われた。外国人を当初から外国文学の教授に採用しなかったのも京大文科大学の特色である。 東大文科大学とは異なる講座編成が行われるようになる。心理学、地理学が独立の講座となる。東洋学が重視され、東大では漢学科としてまとめられていた漢学は支那哲学・東洋史学・支那文学が3学科に分離して置かれた(とりわけ東洋史学は最初から3講座と破格の扱いであった)。 1919年2月7日に改正された帝国大学令により、京大文科大学は文学部となる。 大正後期から昭和初期にかけては、文科大学創設期の教授たちが相次いで停年等により退官する一方、京大出身者が教官に加わっていった。人文学の哲学や中国学の諸分野で、京大文学部の教官や卒業生は名声を上げ、人文学各分野の研究・教育の拠点となる。彼らは「京都学派」と呼ばれるようになる。 1949年(昭和24年)、新制京都大学の発足にあたり、文学部の教育学関連の講座を母体として京都大学教育学部が発足する。 新制になった当初は変動のあった学部の入学定員は1957年度から200名となり、以後1987年まで変更されなかった。またこの頃までに教官の大半を京大出身者が占めるようになる。 1996年(平成8年)、大学院重点化が行われ、文学研究科は学部の大講座の上位の組織として改組された。 人文学に関する研究を幅広く行っている。 教育と研究[編集] 組織[編集] 1995年4月、それまで哲学科・史学科・文学科・文化行動学科の4学科44講座であったのが、人文学科1学科16大講座(実験講座10、非実験講座6)へと改編された。
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