サリー鉄道 – Wikipedia
サリー鉄道の料金表 サリー鉄道(サリーてつどう、Surrey Iron Railway)はイギリス、サリー州[注釈 1]のワンズワースとクロイドンを結んでいた馬車鉄道である。 開業は1803年で、不特定多数の利用者を対象とした公共目的の鉄道(public railway)としては世界で最初である[1][2][3]。またその運営会社は1801年に設立を認可された、世界初の鉄道会社でもある[4]。 ワンドル川沿いの工場(1973年撮影) 木製の軌道の上の貨車を馬が牽引する貨車軌道(ワゴンウェイ)は、中央ヨーロッパでは15世紀までに現れ、イギリスでも遅くとも17世紀初めには導入されている[5]。18世紀には、鋳鉄製のレールも用いられるようになった[6]。ただしこうした軌道は炭鉱や運河などの専用鉄道であり、炭鉱会社や運河会社が保有していた[1][5]。 ロンドンの西に位置するテムズ川支流のワンドル川沿いは、18世紀には多くの工場の立地する工業地帯となっていた。1799年、工場主たちは技術者ウィリアム・ジェソップに交通手段の改良についての調査を依頼し、ジェソップは鉄道の建設が望ましいと報告した。運河を建設する案もあったが、ジェソップは鉄道のほうが建設費が安いこと、運河のためにワンデル川から取水すると川の水量が減って水力を利用する工場に影響があることから鉄道を選んだ。ジェソップは北東イングランドの炭鉱で用いられていた鉄道についても知識を有していた[2]。 鉄道会社の設立[編集] イギリスでは1720年の南海泡沫事件以来、株式会社は原則として禁止されていた。しかし運河などの公共目的の場合は、議会で個別に法律を設けることにより設立が認められた。サリー鉄道会社もこの方式を利用した[7]。 サリー鉄道に関する法案は庶民院、貴族院を通過した後1801年5月21日に国王裁可(英語版)を受けて成立した[4]。これにより世界初の公共鉄道(public railway)であるサリー鉄道会社が設立され、線路建設のための土地利用や運賃の徴収も許可された[7]。会社設立時の株主は82人で、資本金は35000ポンドであった[8]。 なお、イギリスでは1801年から1821年までの間に同様に議会で認められた公共鉄道会社が19社あり、うち14社が実際に路線を開業させている[1]。 サリー鉄道のマクラギ サリー鉄道はワンドル川とテムズ川の合流点であるワンズワースにある河港を起点とした。そこからほぼワンドル川に沿って南下し、ミッチャム(英語版)で南東に向きを転じ、クロイドンを終点とした。延長は約8.5マイルで、全線が複線である。ミッチャムからハックブリッジ(英語版)までの支線が存在し、他にも沿線の工場などへの専用の引込線もあった[9]。 レールは鋳鉄製で、断面はL字型である。レールの内側にフランジがあり、車輪のにはフランジのないものが用いられた。これは当時ベンジャミン・ユートラム(英語版)が普及させていた方式である。ジョセップ自身は、車輪側にフランジのある棒状レールを使っていた[10][11]。レールの長さは約3フィート、幅は4インチでフランジの高さは約3インチである。サリー鉄道のレールの1本がロンドンのサイエンス・ミュージアムに保存されている。レールは石のマクラギで支持されていた[12]。 レール内側の間隔(軌間[注釈 2])は4フィート2インチとする説[13]と4フィートとする説[1][3]があったが、1967年に発見された遺構では、フランジの内側の間隔は4フィート2インチであった[12]。なお4フィート2インチは、ユートラムがL型レールの馬車鉄道で用いていた軌間である。一方ジョセップは以前は4フィート4.5インチ軌間の棒状レールを使っていた[14]。
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