Month: May 2020

青木昆陽 – Wikipedia

青木 昆陽(あおき こんよう、元禄11年5月12日〈1698年6月19日〉 – 明和6年10月12日〈1769年11月9日〉[1])は、江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。サツマイモの普及を図り、甘藷先生(かんしょせんせい)と呼ばれる。名は敦書(あつのり、あつぶみ)[2]、字は厚甫(原甫[2]とも)、通称は文蔵、昆陽と号した。 大岡忠相による抜擢[編集] 江戸日本橋小田原町(現在の東京都中央区)の魚屋・佃屋半右衛門の1人息子として生まれる。 浪人として京都の儒学者である伊藤東涯の古義堂に入門して儒学を学ぶ[3]。江戸町奉行所与力・加藤枝直(又左衛門)と懇意で、享保18年(1733年)に加藤の推挙により南町奉行・大岡忠相に取り立てられ、幕府書物の閲覧を許される。 サツマイモの普及[編集] 享保17年(1732年)に起きた享保の大飢饉は日本全土に被害をもたらした[4]。しかし、享保期に薩摩国では既にサツマイモが伝来して農耕作物として普及定着していたと推測されており、サツマイモの栽培は飢えから人々を救っていた[4][5]。 昆陽は京都で学んでいた頃に書物によって甘藷(サツマイモ)が救荒作物として重要であることを知ったとされる[5]。昆陽は甘藷を栽培して救荒食とすべきことを江戸幕府8代将軍・徳川吉宗に上書し、これが認められて甘藷試作地として下総国千葉郡馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)、小石川薬園(小石川植物園)、上総国山辺郡不動堂村(現在の千葉県山武郡九十九里町)が選定された[5]。昆陽が江戸へサツマイモを伝えたのは享保19年(1734年)のこととされている[4][5]。享保20年(1735年)には『蕃薯考』(ばんしょこう)を発表。元文元年(1736年)には薩摩芋御用掛を拝命し、身分が幕臣となった。 寛保3年(1743年)には幕府から甘薯栽培の奨励を行っている[4]。昆陽は後世“甘藷先生”と称され、墓所の瀧泉寺(目黒不動)には「甘藷先生之墓」がある。また、甘藷の試作が行われた幕張では昆陽神社が建てられ、昆陽は芋神さまとして祀られている。九十九里町には「関東地方甘藷栽培発祥の地」の碑が建てられている。 古文書研究[編集] 元文4年(1739年)には御書物御用達を拝命した。昆陽はサツマイモ栽培から離れた。 寺社奉行となっていた大岡忠相の配下に加わり、甲斐(山梨県)・信濃(長野県)・三河(愛知県)など徳川家旧領の古文書を調査し、在野の家蔵文書を収集して由緒書を研究。昆陽は収集した文書を分類して書写し、『諸州古文書』としてまとめた。昆陽の研究に使われた原本は所有者に正しく返却され、返却の際には家蔵文書の重要性を説き保存を諭している。 蘭学[編集] のち紅葉山火番を経て1747年には評定所儒者となった昆陽は、1740年に将軍吉宗から野呂元丈とともに蘭語学習を命じられ、オランダ語の習得に努めた。短期間ではあるがオランダ人や蘭語通詞のいる長崎に修学のために赴いている。「和蘭(オランダ)文訳」「和蘭文字略考」などの入門書や辞書を残し、野呂と共に日本の蘭学の先駆者となった。最晩年の弟子には『解体新書』で知られる前野良沢がいる[7]。 明和4年(1767年)書物奉行を命ぜられた。 明和6年(1769年)流行性感冒により死去、享年72。 著書に『蕃薯考』『和蘭文訳』『和蘭文字略考』『経済纂要』『昆陽漫録』『草盧雑談』など。『国家金銀銭譜』は本邦初の金銀古銭の目録である。

Continue reading

禁欲主義 – Wikipedia

悟りを得るため、釈迦は当初は厳しい禁欲生活を経た後、非禁欲的な中道を見出した[1]。キリスト教ではアッシジのフランチェスコは支持者とともに厳しい禁欲生活を送っていた[2]。 禁欲主義(きんよくしゅぎ)とは、感性的欲望を悪の源泉、またそれ自体が悪であると考え、それを出来る限り抑圧し徳に進み魂の平安を得ようとする道徳上宗教上の立場。 イスラム教ではラマダーンとして、日の出から日没までの間、食物や水を含むすべての官能的な喜びを控えるという断食の形で禁欲を実践している。これはイスラム教の五行として信者の義務である。 防衛機制のひとつしても挙げられる[3]。 ユダヤ教・キリスト教世界の禁欲主義[編集] 後期ユダヤ教の黙示文学では、現在の悪が支配する地上にやがて訪れる「来るべき世」の審判に備えて禁欲を求めた。また、エッセネ派のように聖性を熱心に追求するユダヤ教徒は禁欲的生活を実践した。紀元1世紀のユダヤ人著述家フィロンは、人里離れた場所で観想を目的とした禁欲的な共同生活を送るテラペウタイというユダヤ人コミュニティについて記録している。テラペウタイの在り様は後のキリスト教修道院制度に大きな影響を与えた。 ヘレニズム世界の禁欲主義[編集] 肉体(物質的世界)と魂(精神世界)を対立させる二元論的な人間論が信じられたギリシャ哲学の諸派では、禁欲(アスケーシス)を理想的な人格形成に至るための「徳の訓練」として捉えた。プラトンは、誰もが分別を持ち、うつろいゆく世間とは然るべき距離を置く賢者になることを理想とした。プラトン哲学での哲学的生活には禁欲の実践が大きく取り入れられていた。 自ら求めず、自然(本性)に則り、運命に従うことを綱領としたストア学派にとって禁欲は必要不可欠な訓練だった。煩悩の源となる欲望を理性によって断ち、見せかけの善や悪に無関心でいられることはストア派の求めた理想的心境である。 ^ Randall Collins (2000), The sociology of philosophies: a global theory

Continue reading

ロベルト・ニコラス・フェルナンデス – Wikipedia

この項目では、ウルグアイのサッカー選手について説明しています。その他の用法については「ロベルト・フェルナンデス」をご覧ください。 この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はフェルナンデス、第二姓(母方の姓)はファグンデスです。(Template:スペイン語圏の姓名) ロベルト・フェルナンデス U-20ウルグアイ代表でのフェルナンデス(2017年) 名前 本名 ロベルト・ニコラス・フェルナンデス・ファグンデスRoberto Nicolás Fernández Fagundez ラテン文字 Roberto Fernández 基本情報 国籍 ウルグアイ 生年月日 (1998-03-02) 1998年3月2日(24歳) 出身地

Continue reading

柏髙島屋ステーションモール – Wikipedia

柏髙島屋ステーションモール(かしわたかしまやステーションモール)とは、千葉県柏市末広町の東武鉄道柏駅駅舎と一体となっている東神開発株式会社運営の駅ビル・複合商業ビル(ショッピングセンター)である。髙島屋柏店と駅ビルから成る旧「柏ローズタウン」を改修・発展させる形で1992年に開店した。 S館・本館・新館の3棟で構成する。本館は駅とは別棟のデパート髙島屋柏店(柏髙島屋)である。ステーションモール開業の1992年から2015年2月まではT館(TakashimayaのT)の呼称であったが、2014年から進められているリニューアルが、2015年3月の婦人靴売り場リニューアルにより完結したことにあわせ、現在の本館に改称した。高島屋柏店自体の開店のほうが早く、1973年に開業しており、1992年に「柏高島屋ステーションモール」開店と同時にそれを構成する一部として組み込まれたものである(建前としてはステーションモールの核店舗)。その後、2008年10月に、かつてりそな銀行があった場所に12階建ての新館を開業した(りそな銀行は新館1階で引き続き営業)。そのため現在の店舗フロアとしては、本館(高島屋)と、駅ビルであるS館(Station(=駅)の頭文字)の「S館専門店」と「S館髙島屋」、新館の4部分に大別できる。 S館髙島屋は、1979年に髙島屋柏店と併せて駅ビルとして開業した旧「柏ローズタウン」の専門店フロアの部分である(ローズ (rose) とはバラの英語名であり髙島屋がブランドとして使用するバラに由来する)。1992年の開業当初は「S館TX」と呼称していたが、前述の2015年3月のリニューアル後は「TX」を外し、「S館髙島屋」と改称した。旧称の「TX」は1992年開業当時からのものであり、2005年に柏市を経由する路線として開業したつくばエクスプレス(TX)とは無関係である。 S館専門店にはファッション関係を中心に店舗があり、建前で核店舗としている高島屋とは異なる比較的若い女性向けブランドを特徴とする。S館専門店は柏駅の東武鉄道野田線の駅舎と一体であり、1階には半屋内型のバスターミナルも抱える。駅・バス乗り場については柏駅を参照のこと。なお、1階にあった映画館、柏ステーションシアターは、近隣のシネマコンプレックスの影響により、2011年9月15日に休館し、2012年3月31日に閉館した。跡地はキネマ旬報社が買い取り、2013年2月に「TKPシアター柏 supported by KINEJUN」として、キネマ旬報お勧めの旧作映画を上映するシアターとしてリニューアルした(2014年6月1日に「キネマ旬報シアター」に改称)。 2007年8月3日に東急ハンズが7-8階にオープン。これに伴い、bayfmのサテライトスタジオ「K・WEST」は流山おおたかの森ショッピングセンターへ移転した(後に閉鎖された)。 2016年に競合店だったそごう柏店が、2018年には松戸市にあった伊勢丹松戸店が閉店したため(後の、キテミテマツド)、それ以降は柏市・かつ千葉県内の常磐線沿線地域で唯一の百貨店である[1]。千葉県内でも3店舗のみの日本百貨店協会加盟店舗の1つである(残る2店舗はそごう千葉店・東武百貨店船橋店)[2][3]。 2021年現在、柏駅西口北地区では市街地再開発事業が予定されており、高島屋についても本館を9m後退すると同時に建て替えすること計画されている。そのため、高島屋も再開発準備組合(2015年6月設立)に理事として参画していたが、2020年12月頃に「現時点で想定される計画案には賛同できず、離脱したい」との申し出があったことから2021年4月に組合から離脱したことが同年6月に報じられた[4]。 店舗構成[編集] 新館[編集] 12階建てとなっているが、2階は駐輪場、地下1階は駐車場である。 上層階(9階 – 11階)は主にレストランとなっており、3階 – 8階はファッション関連が中心である(そのうち、5階はくまざわ書店、6,7階は無印良品)。1階は前述のとおり、りそな銀行となっている。

Continue reading