Month: June 2021

刺股 – Wikipedia

刺股(さすまた)は、相手の動きを封じ込める武具及び捕具。「指叉」[1]、「刺又」[2]とも表記されるが、ひらがな、カタカナで書き表すこともある。 U字形の金具に2-3メートルの柄がついており、金具の部分で相手の首や腕などを壁や地面に押しつけて捕らえる。また先端金具の両端には折り返し部分が付いており、これを対象者の衣服の袖等に絡めて引き倒す際にも利用される。 元々は江戸時代に作られた物で、暴れる犯罪者の動きを封じ込めるために捕物用として使われた。柄が長いため、ナイフのような小型の刃物や刀などを持った相手と距離をおいて、安全に対応することができる。ただ、構造や機能から飛び道具一般への対応は基本的にできない[3]。 歴史的背景[編集] 江戸時代には犯罪者を捕獲する捕り物のための三道具の内の一つとされ、突棒・袖搦と共に、日本では古くより捕縛に使う道具として発展してきたため、三道具術なる刺股・突棒・袖絡を使う武芸の一種として発展した。『和漢三才図会』には、関人(せきもり)・門番が用いるものとしての記述がみられる。 町火消が家屋の破壊器具として使用していたこともあった。これは当時、延焼中の家屋を手早く引き倒して防火帯とし、延焼を防止して消火していたためである[4][5]。現在の消防署の地図記号はこの刺股を図案化したものである[6]。 捕り物用の物では、対象が柄を掴んで逃れたりしないよう、柄の金具に近い部分には鋭く長い刺があり、これを集団で用いて金具部分で叩いたり押さえ込んだりして対象者の活動を停止させて捕縛した。 刺股を使う三道具術は、現在では古武術の一部流派を除きほとんど残っていないが、昨今では防犯用品として見直されつつある関係上、これを復興する動きも見られる。 防犯器具として[編集] 現代では、柄が木製からアルミや強化プラスチック製になり軽量化され、更に取り回しが楽になった物が登場しており、警察でも使用されている。近年では附属池田小事件やその他の不審者らによる学校侵入事件が相次いだ2002年以降、防犯グッズとして教育委員会や小学校、中学校、高等学校が学校施設の防衛力強化に導入するところが増えており、また金融機関も強盗の被害から防衛する意図で導入する動きも見られる。その他、民間警備会社所属の警備員も警備業法の改正により刺股の携帯及び使用が可能となった。 刺股だけでは制止力に欠けるため、同器具で対象者と距離を取った上で催涙スプレーやスタンガンなどにより相手の行動の自由を奪い捕縛するといった方法もみられる。刺股だけで対象者を制圧する事は困難で技術を要するため、対象者を怯ませて撃退するか、もしくは壁などに押さえ付けて応援を待つために利用される。 ただしこれらの行為は、単独では対象者の腕力が取り押さえる側よりも強い場合に、返り討ちに遭う危険も伴うため、複数人数で同器具を複数用いて集団で押さえ込む方法が勧められる。江戸時代の刺股術では首や手足を押さえ込むような物が多かったが、現用の刺股では対象者の胴体を押さえ込むよう、先端部の金具が大型化している。訓練度の低い人が使う場合には胴体を押さえ込む方が、手でガードされやすい首や、動きの速い手足を狙うよりも、扱いやすく確実である。 加えて、腕力に大差が無い場合でも、柄を中心としたモーメントでは刺股使用者が圧倒的に不利なので先端を捻るようにして容易に脱出されてしまう場合がある。 またこれら器具の扱いに際して、器具の製造・販売メーカーの担当者や警察官などが主体となり、扱いを学校関係者や金融機関従業員に教える講習会も日本の全国各地で開催されている。 ^ “さすまた”. 広辞苑 第六版. p. 1128. ^ “歴史民俗用語辞典「刺又」の項”.

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スティーヴン・グレイ – Wikipedia

スティーヴン・グレイ(Stephen Gray、1666年 – 1736年2月15日)は、イギリスのアマチュア科学者。本業は染物屋であった。電気伝導の発見者として知られる。 スティーヴン・グレイはカンタベリーで、染物屋マシアス・グレイの三男として生まれた。誕生日は不明だが、洗礼を受けたのは1666年12月26日であることが記録に残っている。1684年ごろに父が死に、跡を継いだ長兄トマスも1695年に死亡したため、以後はスティーヴンが染物屋の主人となった(次兄のマシアス・ジュニアは商人となり後にカンタベリー市長となった)。しかしグレイの興味は自然科学、特に天文学にあり、独学で勉強した。このとき、地元の裕福な友人が本や科学機器を貸してくれた。当時、科学は金持ちの道楽という面が強かった。 レンズの研磨から始めて望遠鏡を作り、それを使って(主に太陽黒点について)いくつも小さな発見をし、観測の正確さが評判になった。王立協会の事務員で友人だったヘンリー・ハントの仲介で、グレイの報告が王立協会から出版されたこともある。 アマチュア天文学者としてのそうした活動が初代王室天文官でグリニッジ天文台の初代天文台長ジョン・フラムスティードの目にとまった(フラムスティードはグレイのケント州での友人と親交があった)。フラムスティードは正確な全天星図を作ろうとしていたころで、それによって天測航法の経度特定の問題を解決しようとしていた。グレイは星図の製作のための観測や計算の面でフラムスティードを助けた。 グレイは1696年ごろからフラムスティードと文通をはじめ、友人になったが、そのことでグレイが科学界に正式に受け入れられるのが難しくなるという問題を生じた。フラムスティードは予備的な星図データへのアクセスに関して、アイザック・ニュートンとの長い加熱した論争に巻き込まれていた。この論争は王立協会の派閥抗争に発展し、ニュートン側が数十年に渡って主流派となったため、フラムスティードとその一派は隅に追いやられた。 1707年、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに建てられたイギリス第2の天文台で、ニュートンの友人で天文学者のロジャー・コーツの助手としてしばらく働いた。ここで摩擦電気の実験を行ったが、この時期には太陽黒点の観測などを行った。しかしコーツの運営がまずくそのプロジェクトは失敗に終り、グレイは1709年9月には職を辞してカンタベリーの染物屋に戻った。健康に問題があったものの、彼は間もなくジョン・デザグリエの助手としてロンドンに移った。デザグリエは王立協会のデモンストレーターとして、国中やヨーロッパ大陸の各地で科学的新発見についての講演を行った。グレイは宿泊場所を提供されただけで、無給でこれについて回った。 グレイは貧窮したが、ジョン・フラムスティードとハンス・スローン(後の王立協会会長)の尽力で、1719年以降はチャーターハウス(Charterhouse、ロンドンにあった一種の救貧院)に住み年金を受給できるようになった。このころグレイはガラス管を静電起電機とした静電気の実験を再開している。電気伝導の発見はここでなされた。 電気伝導の発見[編集] 当時(18世紀前半)、摩擦された物体が帯電することは知られていたが、「電気」が物体を通じて伝わることは知られていなかった。グレイはチャーターハウス時代に、長さ3フィート、直径1.2インチのガラス管を実験に使っていたが、湿気と塵をガラス管内に入れないようにするために両端をコルク栓で塞いでいた。ある夜、チャーターハウスの自室でガラス管を摩擦して静電気を起こしたとき、そのコルク栓が紙やもみ殻の小片を引きつける力を発揮することに気づいた。そこで彼は小さなモミの棒をコルクに接触させてみた。するとモミの棒も明らかに帯電した。さらに長い棒を試し、最終的にコルクから細い糸を伸ばしその先端に象牙の玉を接触させた。こうしてグレイは「電気の効力 (electric virtue)」が離れたところまで伝播し、その先端の象牙の玉が帯電したガラス管のように軽い物体を引き付けることを発見した。その後グレイは真鍮の箔を用いて一種の検電器を作り、電気が18フィートの通信路を伝播することを確かめた。 チャーターハウスは手狭だったため、続く実験は主に友人の家で行われた。1729年5月14日、ノートン・コートのジョン・ゴッドフリー邸にて、グレイは「ガラス管(起電器)・棒(通信路)・検電器」という実験系を作り電気が長さ24フィートの距離を伝播すること確認。16日には距離32フィートで同様の実験に成功した。通信路に荷造り紐を使って距離を伸ばすことを試み、18フィートの棹に34フィートの紐を付け窓から垂らした時には成功したが、紐を水平に這わせた時には支持部からの漏電により失敗した。 1729年7月2日、ケント州のグラヴィル・ウィーラー邸において、通信路の紐を絹糸(麻の荷造り紐より絶縁性が高い)で支えた実験系で、電気伝導が147フィートの距離でも起こることを確認。グレイとウィーラーは徐々に実験系を伸張し、8月1日には886フィートの距離でも電気が伝播することを確かめた[1]。ウィーラー邸での実験には副次的な発見もあった。グレイは7月3日に絹糸をより丈夫な鉄線に変えたが、電気を伝える実験は漏電のため失敗した。一連の実験でグレイは紐を地面と絶縁することが重要であることを発見し、金属のワイヤで紐を支えると帯電した電気が逃げること、紐を曲げても電気は逃げないこと、紐を垂直にたらしても電気が重力の影響を受けないことなどを発見した。 一連の実験により導体(鉄)と不導体(絹)の区別が認識されたのである。ただしそれを表す用語を考案したのは、グレイの知己であり彼の死後も実験を続けたジョン・デザグリエである[2]。1732年、フランスの科学者C・F・デュ・フェがグレイとウィーラーを訪問してこの実験を見てフランスに帰り、世界初の電気に関する包括的理論を組み立て、電気は2種類あるとした。友人のジャン=アントワーヌ・ノレがこれを支持したが、ベンジャミン・フランクリンを初めとするフィラデルフィアのグループは若干異なる理論を組み立てた。フランクリンらは電気は1種類であり、2つの状態があるだけだとした。後にフランクリンの仲間が2つの状態を「正 (positive)」と「負 (negative)」と名付けている。 グレイは、吊るされた物体を帯電させるなどのさらなる実験を繰り返した。”Flying

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世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団 – Wikipedia

『世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団』(せかいがおどろいたニッポン スゴ〜イデスネ しさつだん)は、テレビ朝日系列で2014年4月13日未明(12日深夜)から2019年9月7日まで放送されていたバラエティ番組である。 レギュラー放送終了後は、不定期特別番組として放送されている。 『お願い!ランキング』で行われていた企画「日本ツウ学院」をベースにした番組。「もっと日本のことが知りたい!」と思っている外国人生徒たちとともに、身近な商品やサービスに潜む日本ならではのスゴイもの、これぞ!ニッポン流!と言えるものについて学ぶ。 当初は深夜番組で、2014年4月から9月まで『これぞ!ニッポン流!』と題して放送。そして同年10月11日をもってゴールデンタイムでの放送となり[2]、同時にタイトルも改めた。 『これぞ!ニッポン流!』の初期においては教室を模したスタジオで担任役の芸人が外国人生徒に教える形をとっていたが、『これぞ!ニッポン流!』の末期と『世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団』においてはテーマに沿った海外の専門家が日本に招かれ、テーマに関するスポットを視察して海外と比較しつつ日本の凄さを学ぶ形となっている。 ゴールデンタイムへ移動してからは、前番組『お願い!ランキングGOLD』シリーズと同様に土曜20時台の『関ジャニの仕分け∞』→『池上彰のニュースそうだったのか!!』との交互2時間特番が続いていた。 拡大スペシャル放送では高視聴率を獲得することがある。視聴率15%超えとなる回も多く、週間のバラエティ番組視聴率トップ10に入ることも珍しくなかった。例を挙げると、2018年4月7日の3時間半スペシャルでは15.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録している。 MCの3人は『お願い!ランキング』に引き続き、特別番組『◯◯総選挙』シリーズでも司会を務めている(『視察団』と直接関係はない)。 2018年5月19日放送分をもって番組表上でのタイトル表記が『ニッポン視察団』に改められた。 司会の一人・ウエンツ瑛士が2018年10月よりイギリス・ロンドンに留学するため、同年9月29日放送の3時間SPをもって降板した。 番組は2019年9月7日をもってレギュラー放送を終了し、以後は不定期特番として放送されている。 世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団[編集] MC 進行 井澤健太朗(テレビ朝日アナウンサー)

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セーレン・レアビー – Wikipedia

この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “セーレン・レアビー” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年8月) セーレン・レアビー 名前 ラテン文字 Søren Lerby 基本情報 国籍  デンマーク 生年月日 (1958-02-01) 1958年2月1日(64歳)

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バレンシア空港 – Wikipedia

「バレンシア空港」のその他の用法については「バレンシア空港 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 バレンシア空港Aeropuerto de Valencia IATA: VLC – ICAO: LEVC 概要 国・地域 スペイン 所在地 バレンシア州マニゼス 母都市 バレンシア 種類 民間用 運営者

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スマラ – Wikipedia

スマラ(セマラ) Smara(Semara)سمارا OCHAマップに基づく (地図) 位置 座標 : 北緯26度44分22秒 西経11度40分13秒 / 北緯26.73944度 西経11.67028度 / 26.73944; -11.67028 歴史 建設 1869年 行政 国 西サハラ

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古ウイグル文字 – Wikipedia

古ウイグル文字(英: Old Uyghur alphabet)または単にウイグル文字は、8世紀頃から中央アジアで主に用いられた古ウイグル語の表記に使用された文字。 アラム系の文字であったソグド文字を改良して作成されたもので、ソグド文字の草書体から派生したとみられている。フェニキア文字に遡るアルファベットのグループにおいて、現行のヘブライ文字やアラビア文字などと同様にアラム文字の系統に属する文字である。 アラム文字やその系統に属すソグド文字の文章は、ギリシア文字やラテン文字の文章とは異なり、文字を右から左へ書く。このため、古ウイグル文字で文章が縦書きされた場合、一般的に中世ウイグル語の文章などは、アラム文字系の文章が反時計回りに90°回転するかたちになるため、行は漢文などとは逆に左から右へ書かれることになる。 一般的に、古ウイグル文字の文章を横書きするか縦書きするかを「時代の経過」と関連付けて、「当初はソグド文字と同様に右横書きであったが、後に90度回転して左縦書きとなった」と説明されるが、これはやや不十分な説明である。ソグド文字は4世紀の段階で横書き、縦書きの両方されていた事例があり、古ウイグル文字もまた現存するトルファンなどの9世紀から12世紀頃の壁画や文書資料などはソグド文字と同様に、初期には縦書き、横書き両方されていた。 しかし、仏典などで漢文との併記や混用などの影響の結果、徐々に縦書きが中心になったようである。古ウイグル文字による正書法が確立されたのは誕生と同じく天山ウイグル王国時代においてであり、のちのモンゴル文字も引継がれた。 古ウイグル文字の系統はその後のモンゴル文字に繋がる。 モンゴル帝国および大元ウルスでモンゴル語の筆写に使用されていた「モンゴル文字」は、当時漢語では「畏兀児文字」、ペルシア語でも khaṭṭ-i Uyghrī (ウイグルの文字)と称されており、あくまでも「ウイグル文字」であって「モンゴル文字」とは呼ばれていなかった。 契丹文字は、契丹人がウイグル人の使者から古ウイグル文字を学び、それを参考にして作ったとされる。 元の時代に書かれたと思われる、居庸関雲台の、古ウイグル文字による仏典の碑文(西側) 元の時代に書かれたと思われる、居庸関雲台の、古ウイグル文字による仏典の碑文(東側) 関連項目[編集] 外部リンク[編集] 松井太「ウイグル文契約文書研究補説四題」『内陸アジア言語の研究』第20号、中央ユーラシア学研究会、2005年8月、 27-64頁、

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日本のタクシー – Wikipedia

この項目では、日本におけるタクシーについて説明しています。会社としての日本タクシーについては「日本タクシー」をご覧ください。 この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “日本のタクシー” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年7月) 日本のタクシー(にほんのタクシー)では、日本におけるタクシー事情について記述する。 典型的な日本のタクシー 法的定義など タクシー事業は、道路運送法上の「一般乗用旅客自動車運送事業」である。 第3条第1号「一般旅客自動車運送事業(特定旅客自動車運送事業以外の旅客自動車運送事業)」 (ハ)一般乗用旅客自動車運送事業(一個の契約により乗車定員10人以下の自動車を貸し切つて旅客を運送する一般旅客自動車運送事業) 事業用自動車を示す緑地に白字(軽自動車のタクシーは黒地に黄字)、3ナンバー又は5・7ナンバー(乗用登録)のナンバープレートがつけられる。自家用自動車を用いて無許可でタクシー営業しているものは『白タク』と呼ばれ、道路運送法第78条[注 1]により違法である。この呼び方は、ナンバープレートが事業用車の緑ナンバーに対して、自家用車は白ナンバー(白地緑文字)であることに由来する。なお、この規定の例外に相当する公共交通の撤退した廃止代替バスや、福祉有償運送は自家用有償旅客運送と言われる。 タクシーに係わる法令として、道路運送法のほかにタクシー業務適正化特別措置法、特定地域及び準特定地域における一般乗用旅客自動車運送事業の適正化及び活性化に関する特別措置法(タクシー事業適正化・活性化特別措置法)、旅客自動車運送事業運輸規則、一般乗用旅客自動車運送事業標準運送約款などがある。

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