第175ギムナジウム銃乱射事件 – Wikipedia

175ギムナジウムに突入する特殊部隊

第175ギムナジウム銃乱射事件(だい175ギムナジウムじゅうらんしゃじけん、ロシア語:Массовое убийство в гимназии № 175)とは、ロシア連邦・タタールスタン共和国の首都カザンにて、2021年5月11日に発生した無差別殺傷事件である。被害に遭ったのはジャヴダート・ファイジー通りにある小中高一貫学校(第175ギムナジウム)の生徒および職員たちである。銃撃と爆発によって9人が死亡、32人が負傷した[1]

事件の経緯[編集]

事件発生前[編集]

2021年5月11日朝、イリナーズ・ガリャヴィーエフは自分の住んでいるアパートの3ヵ所に火を付け、キッチンの床に大量の硝酸カリウムを撒いた。この件については、火がすぐに消えたため、アパートの他の住人たちに被害は及ばなかった[2]

その後、銃を携帯したガリャヴィーエフが通りで何名かに目撃されているが、その時点で警察に通報はされていなかった[3]。イタルタス通信(ロシアの国営通信社)の報道によると、警察に最初の通報が入ったのは同日午前9時18分、ガリャヴィーエフが学校を襲撃する1分前であった。その後、犯人が学校に侵入した午前9時19分に2回目、3回目の通報があり、校内で爆発と銃撃があったことが伝えられた。ある生徒の証言によると、何かが破裂するような音が聞こえたあと、教室の中に煙が見え、それからまた何回か破裂音がしたという[4]

事件の詳細[編集]

事件発生時、第175ギムナジウムには714名の生徒と約70名の職員たちがいた[5]。ガリャヴィーエフは通りを歩いていた19歳の少女と、学校の用務員を襲撃した。少女は犯人と同時刻に学校にに到着して銃撃され、用務員は犯人が窓から校内に侵入しようとしているのを目撃し、これを阻止しようとして同じく銃撃された。学校の警備員がパニックボタンを押し、事態を知った校長は校内放送でこのことを知らせ、教師たちに生徒を教室の中に入れて鍵をかけるよう呼びかけた。

犯人はその後、校舎の1階で教師のヴィニィエラ・アイザートヴァを射殺し、自作の爆破装置を用いて近くにある鍵がかかった低学年の教室のドアを爆破した。犯人は各フロアへと進み、その時点でほとんどの教室は施錠されていたが、3階フロアの8年A組の教室は侵入可能であった。この教室にいた生徒たちは、犯人の銃撃によって全員死亡した。騒ぎを聞いた英語教師のエリヴィーラ・イグナーティエヴァは、教室から廊下に出ていたところを犯人に射殺された[6][7][8]

午前9時27分、8年生の生徒のひとりから警察に通報が入った。彼女は銃声が聞こえたことや、怪我人や血が見えることを伝えた。また近隣の住民たちは、学校の3階の窓から外へ飛び降りる生徒たちを目撃していた。

午前9時33分、警察が現場に到着し、両手を挙げて入口から出てきたガリャヴィーエフはすぐさま逮捕された。その後、ロシア国家親衛隊が到着して生徒と職員たちを避難させた[9]

この事件により、8年生(14~15歳)の生徒7名、26歳の英語教師エリヴィーラ・イグナーティエヴァ、55歳の低学年教諭ヴィニィエラ・アイザートヴァの計9名が死亡した[10]。その内の8名は即死であり、1名は病院にて死亡が確認された。同日、3名の職員と18名の生徒たちが病院に搬送され、その内の6名の負傷者は極めて重篤な状態であり集中治療室に入れられた。

事件後[編集]

午前11時頃、タタールスタン共和国ルスタム・ミンニハノフ大統領が事件現場に到着[9]。午前11時、ロシア内務省の報道部は犯人がすでに拘束されていること、またテロ対策についても進行中であることを発表した[11][12]

ガリャヴィーエフ・イリナーズ・レナートヴィヒ(当時19歳)は事件を起こした疑いで司法当局により拘留された。その後、ロシア刑事法第105条第2項の規定(あらゆる危険な手段による2人以上の殺人)に基づき、刑事事件として起訴された[13]

ガリャヴィーエフは逮捕後、モスクワに移送され、セブルスキー社会・法医学精神医学研究センターにて精神医学の専門家により鑑定を受けた[14]

犯人について[編集]

ガリャヴィーエフは2001年9月11日にカザンの家庭で第2子として誕生した。2017年、ガリャヴィーエフは第175ギムナジウムを9年生(15~16歳)で卒業した(通常9年生または11年生で卒業する)[15]。その後、彼はタタール職業支援機関が運営する専門学校に入学した。2021年、ガリャヴィーエフが同校を卒業しなければならない年であったが、4月に試験に落第し、またインターンシップの面接にも失敗したため、4月26日に同校から除籍された。また2021年の春、彼の家族(両親、21歳の兄)は彼を置いて引っ越してしまい、彼はアパートに1人で暮らすこととなった。この時期に、彼は犯行の準備を開始した。

この事件以前には、目立った問題行動は起こしていなかったという[16]

警察署内で拘留中のガリャヴィーエフを撮影した映像がTelegramの多数の匿名チャンネルによって流出し、その中で彼は「自分は神であり、自分の中で目を覚ました怪物である、すべての人間を憎んでいる」といったことを供述している。また、ガリャヴィーエフのTelegramのチャンネルも発見された。チャンネルは公開状態であり、「大量のゴミどもを殺す」という犯行予告が少なくとも数回投稿されていた。パーヴェル・ドゥーロフ氏(Telegramの制作者)によると、ガリャヴィーエフはギムナジウムを襲撃するちょうど15分前にTelegramのチャンネルを作っていた[17]

ガリャヴィーエフが犯行に及んだ際、彼のチャンネルの登録者はチャンネルを作った彼自身のみでした。犯行からちょうど15分後、彼はおそらく遺書として残すつもりでそのチャンネルをパブリック公開にしています。この件に関し、Telegramのモデレーターたちは早急に対処しました。1時間以内には最初の通報を確認し、暴力的な内容を含むコンテンツとして彼のチャンネルを凍結させています。しかしながら、彼のチャンネルを通報した人や、チャンネルを登録した人などは、彼が警察に逮捕されるまで現れませんでした。 — パーヴェル・ドゥーロフ

政府の対応[編集]

ウラジーミル・プーチン大統領は犠牲者の親族に哀悼の意を表し、政府に対し、同国の武器に関する法律を強化するよう命じた[18]