御友別 – Wikipedia

御友別(みともわけ、御友別命)または吉備 御友別(きび の みともわけ)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の人物。吉備臣(吉備氏)の遠祖。

『日本三代実録』元慶3年(879年)10月22日条では、吉備武彦命の第二男とする。

また『新撰姓氏録』右京皇別 吉備臣条では、御友別を稚武彦命の孫とする。

『日本書紀』応神天皇22年9月条、『日本三代実録』元慶3年10月条に基づく関係系図
吉備武彦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浦凝別
[苑臣祖]
(苑県に封)
御友別
[吉備臣祖]
鴨別
[笠臣祖]
(波区芸県に封)
兄媛
(応神天皇妃)
(織部を賜う)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲速別
[下道臣祖]
(川島県に封)
仲彦
[上道臣・香屋臣祖]
(上道県に封)
弟彦
[三野臣祖]
(三野県に封)

『日本書紀』応神天皇22年3月14日条では、天皇妃の兄媛(えひめ)を吉備に帰郷させたとあるが、同条ではこの兄媛を吉備臣祖の御友別の妹と記している。

同書応神天皇22年9月6日条では、天皇が吉備の葉田葦守宮(岡山市足守付近か)に行幸した際、御友別は兄弟子孫を膳夫として奉仕させた。その功により、天皇は吉備国を割いて御友別子孫を次のように封じた[3]

  • 長子の稲速別 – 川島県に封ず。下道臣祖。川島県はのちの備中国浅口郡に比定。
  • 中子の仲彦 – 上道県に封ず。上道臣祖・ 香屋臣祖。上道県はのちの備前国上道郡に比定。
  • 弟彦 – 三野県に封ず。三野臣祖。三野県はのちの備前国御野郡に比定。
  • 弟の鴨別 – 波区芸県に封ず。笠臣祖。波区芸県はのちの比定地未詳(笠岡市付近か)。
  • 兄の浦凝別 – 苑県に封ず。苑臣祖。苑県はのちの備中国下道郡曾能郷か。
  • 兄媛 – 織部を賜う。

そして、こうした縁で彼らの子孫は今も吉備国にいると記している。

人物[編集]

文献に見える御友別の子孫として、『公卿補任』では吉備真備が九世孫と記されている。

また『日本三代実録』元慶3年(879年)10月22日条によると、播磨の印南野臣の祖の人上(馬養人上/印南野人上)が御友別命十一世孫であったといい、子孫が「笠朝臣」の改賜姓を得ている。

氏族[編集]

前述のように、『日本書紀』では御友別を吉備臣の祖とする。

また『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。

  • 右京皇別 吉備臣 – 稚武彦命孫の御友別命の後。

『日本書紀』では上記のように御友別の時の吉備の分封を記すが、『古事記』では仁徳天皇と黒日売(吉備海部直の女)の伝承が見えることもあり、分封伝承の成立は7世紀まで下るとする説もある。

  1. ^ 分封比定地の記載は「吉備武彦」『日本古代氏族人名辞典 普及版』 吉川弘文館、2010年による。

参考文献[編集]