柿生村 – Wikipedia

かきおむら
柿生村
廃止日 1939年4月1日
廃止理由 編入合併
柿生村、岡上村 → 川崎市
現在の自治体 川崎市
廃止時点のデータ
日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
都筑郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 神奈川県
川崎市
都筑郡山内村、中里村
東京府
南多摩郡稲城村、多摩村、鶴川村
柿生村役場
所在地 神奈川県都筑郡柿生村上麻生
座標

北緯35度36分14秒 東経139度30分20秒 / 北緯35.60378度 東経139.50569度 / 35.60378; 139.50569座標: 北緯35度36分14秒 東経139度30分20秒 / 北緯35.60378度 東経139.50569度 / 35.60378; 139.50569

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柿生村(かきおむら)は、神奈川県都筑郡西部に1889年(明治22年)4月1日から1939年(昭和14年)4月1日まで存在した日本の村。現在の神奈川県川崎市麻生区(あさおく)の大部分にあたる。

川崎市に編入され消滅した後は「柿生」の町名は残されていないが、小田急小田原線の駅名「柿生駅」にその名が残る。

河川:麻生川、五反田川、真光寺川、真福寺川、鶴見川、早野川

現行町名[編集]

すべて川崎市麻生区に所在する。

  • 住居表示実施地区:王禅寺東、王禅寺西、上麻生、片平、栗木、栗木台、栗平、五力田、下麻生、白鳥、虹ケ丘、白山、はるひ野、万福寺、南黒川
  • 住居表示未実施地区:王禅寺、片平、上麻生、栗木、黒川、五力田、下麻生、早野、古沢

村名は、鎌倉時代に王禅寺で発見されたと伝えられる柿の品種「禅寺丸柿(ぜんじまるがき)」の原産地であることに由来する[1]。王禅寺の境内には「禅寺丸柿」の原木が残されており、国の登録記念物に指定されている[2]。また「禅寺丸柿」が発見された真言宗の寺院・王禅寺は、王禅寺村の地名の由来となっている[3]。この「禅寺丸柿」は日本最古の甘柿の品種と言われる。

沿革[編集]

  • 戦国時代 – 万福寺の地名が見られる。
  • 江戸時代 – 以下の10村が成立。
    • 上麻生村(旗本三井氏知行、常安寺領)
    • 下麻生村(旗本安藤氏知行)
    • 早野村(旗本富永氏知行、戒翁寺領)
    • 王禅寺村(江戸増上寺領、王禅寺領)
    • 古沢村(旗本朝倉氏知行)
    • 万福寺村(旗本天野氏、椿井氏の相給)
    • 片平村(幕府領、旗本前場氏知行の相給、志光寺領→幕府領、修広寺領)
    • 五力田村(旗本朝倉氏知行)
    • 栗木村(旗本岡野氏知行)
    • 黒川村(旗本駒井氏知行)
  • 1868年(明治元年)
    • 旧暦6月17日 – 神奈川府の管轄となる。
    • 旧暦9月21日 – 神奈川府が神奈川県に改称。
  • 1874年(明治7年) – 大区小区制の施行により、王禅寺村、早野村、下麻生村が第6大区第7小区に、栗木村、五力田村、片平村、黒川村、上麻生村、万福寺村、古沢村が第6大区第8小区になる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、上麻生村、下麻生村、早野村、王禅寺村、古沢村、万福寺村、片平村、五力田村、栗木村、黒川村が合併して柿生村が成立。岡上村と町村組合を結成し、柿生村外一ヶ村組合が発足。大字上麻生に組合役場を設置。
  • 1939年(昭和14年)4月1日 – 柿生村外一ヶ村組合が川崎市へ編入。同日柿生村を廃止。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 – 川崎市が政令指定都市に指定され行政区を設置。旧村域が多摩区となる。
  • 1982年(昭和57年)7月1日 – 川崎市多摩区から麻生区を分区[1]。旧村域が麻生区となる。

鉄道[編集]

  • 小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)
    • 小田原線:柿生駅

川崎市への移行後に小田急多摩線が開業し、旧村域内に新百合ヶ丘駅、五月台駅、栗平駅、黒川駅、はるひ野駅が開業した。

道路[編集]

  • 津久井道
  • 鶴川街道
[脚注の使い方]
  1. ^ a b 区のプロフィール 川崎市麻生区、2014年7月2日、2022年1月6日閲覧。
  2. ^ 禅寺丸柿”. 川崎市教育委員会 (2018年7月20日). 2021年11月13日閲覧。
  3. ^ 麻生区のなりたち”. 川崎市. 1/2/2021閲覧。

関連項目[編集]

  • 麻生区 / 多摩区
  • 王禅寺
    • 禅寺丸柿
  • 都筑郡
    • 岡上村(現:麻生区岡上)- 共に川崎市へ編入
  • 神奈川県の廃止市町村一覧