家原氏主 – Wikipedia

 

凡例

家原氏主

時代 平安時代初期 – 前期
生誕 延暦20年(801年)
死没 貞観16年7月30日(874年9月14日)
官位 従五位上・主税頭
主君 淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇→清和天皇
氏族 家原連→宿禰→朝臣[1]
父母 父:家原富依
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家原 氏主(いえはら の うじぬし)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。姓は連のち宿禰、朝臣。家原富依の子[2]。官位は従五位上・主税頭。

嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位に伴って外従五位下に叙せられ、仁寿2年(852年)主計頭兼算博士に任ぜられる。以降20年以上の長きに亘って算博士を務め、斉衡3年(856年)安房守、天安3年(859年)伯耆守と一時的に地方官を務めるが、いずれも年内に算博士に復している。またこの間、主計頭・玄蕃頭・勘解由次官・主税頭なども兼務する一方、天安2年(858年)従五位下、貞観9年(867年)従五位上と昇進を果たしている。

貞観14年(872年)一族と共に宿禰姓から朝臣姓に改姓した際、天長年間に父・富依が家原氏の出自を後漢の光武帝としたのは誤りで、本来は宣化天皇の第二皇子(火焔皇子か?)の後裔である旨、氏主が述べている。

貞観16年(874年)7月30日卒去。享年74。最終官位は従五位上行算博士兼但馬守。

『六国史』による。

  • 天長3年(826年) 日付不詳:家原連に改姓(旧姓不詳)
  • 時期不詳:正六位上
  • 嘉祥3年(850年) 4月17日:外従五位下
  • 仁寿2年(852年) 2月15日:勘解由次官。6月14日:主計頭。11月7日:兼算博士
  • 斉衡2年(855年) 8月15日:連から宿禰に改姓
  • 斉衡3年(856年) 正月12日:安房守。10月21日:算博士
  • 天安2年(858年) 閏2月20日:兼玄蕃頭。11月7日:従五位下(内位)
  • 天安3年(859年) 2月13日:伯耆守。3月22日:勘解由次官兼算博士
  • 貞観4年(862年) 4月15日:兼美作権介
  • 貞観9年(867年) 正月7日:従五位上。2月29日:兼尾張権守
  • 貞観10年(868年) 2月17日:主税頭
  • 貞観12年(870年) 12月29日:次侍従
  • 貞観14年(872年) 8月13日:宿禰から朝臣に改姓
  • 時期不詳:兼但馬守
  • 貞観16年(874年) 7月30日:卒去(従五位上行算博士兼但馬守)
  1. ^ 天長3年に氏主の父・富依が家原連に改姓しており、同じく氏主も改姓したと考えられるが、元の氏姓は不明。
  2. ^ 『日本三代実録』貞観14年8月13日条

参考文献[編集]

  • 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上』戎光祥出版、2009年