Month: July 2018

プレスター・ジョン – Wikipedia

1558年に作成された世界地図上に描かれたプレスター・ジョン(プレステ・ジョアン) プレスター・ジョン(英: Prester John、羅: Presbyter Johannes、葡: Preste João、プレステ・ジョアン)は、アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた、伝説上のキリスト教国の国王。プレスター・ジョン伝説では、ネストリウス派キリスト教の司祭が東方に王国を建国し、イスラーム教徒に勝利を収めたことが述べられている。名前のプレスター(Prester)は聖職者、司祭を意味する[1]。 伝説の起源[編集] 1122年にインド大司教ヨハネと称する人物がローマを訪れ、教皇カリストゥス2世に対して自分の職権の承認を求めた[2]。ヨハネは教皇に対してピション川の側に立つフルナという大都市のキリスト教徒、郊外の修道院と聖トマスの名前を冠する大教会について語ったことがランス僧院長のオドらによって記録されているが、このインド大司教を称する人物は教皇の権威を利用しようとした詐欺師の類だと考えられている[3]。このインド大司教ヨハネのローマ訪問の記録は、しばしば後世に成立するプレスター・ジョンの伝説と混同して語られる[1]。 12世紀のドイツで記された、オットー・フォン・フライズィングの年代記内の1145年の条が、プレスター・ジョンに関する最古の記録と考えられている[4][5][6][7]。1145年にシリアのガバラ司教ユーグは教皇エウゲニウス3世に謁見し、中東のキリスト教勢力がイスラーム勢力との戦闘で苦境に陥っている戦況と共に東方に現れたプレスター・ジョンの情報を伝え、謁見の場に居合わせたオットーはユーグの言葉を書き残した[8]。ペルシア、アルメニアの東方に存在する広大な国の王プレスター・ジョンがメディア、ペルシアを支配するサミアルドスを破り、メディアの首都エクバタナを占領したことが、オットーによって記されている[1][8]。エルサレムに向かったプレスター・ジョンは道中でチグリス川に行く手を阻まれた。チグリス川の北では水が凍結すると聞いたプレスター・ジョンは北進するが川は凍結せず、やむなく帰国したと伝えられている[8][9]。オットーは戦況の報告に続けて、プレスター・ジョンが新約聖書に登場する東方三博士の子孫であり、エメラルド製の笏を用いているという伝聞を付記している[10]。 オットーが記録した報告は、東方に伝わっていたネストリウス派がウイグルの一部で信仰されていた点[6]、西遼(カラ・キタイ)の皇帝・耶律大石がイスラム教国に勝利を収めたこと[6][10][11][12]などに起因すると考えられている。オットーの年代記に現れるペルシアの王サミアルドスは、1141年のカトワーンの戦いで耶律大石に敗れたセルジューク朝の王アフマド・サンジャルに比定される[13]。西遼の支配層である契丹人は遼の時代に仏教徒に改宗しており、12世紀初頭に耶律大石に率いられて中央アジアに移住した一団も仏教信仰を保持していたが、ヨーロッパに誤ってキリスト教徒と伝えられたと考えられている[13]。しかし、耶律大石自身は仏教を信仰していたが、彼の軍内にはネストリウス派の信者が含まれていた可能性も指摘されている[14]。 プレスター・ジョンの戦果の報告の後に書かれたオットーの情報には、聖トマスのインドでの布教を述べた『聖トマス行伝』に現れるインド王グンダファル(Gundaphara)からの影響が指摘されている[15]。ほか、当時の神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がオットーの記述のモデルとなった人物の一人に挙げられている。 プレスター・ジョンの書簡、噂の流布[編集] 12世紀前半のインド大司教ヨハネのローマ来訪、オットー・フォン・フライズィングのプレスター・ジョンに関する最古の記録は、大きな反響を呼ばなかった[16]。しかし、プレスター・ジョンの書簡の写しとされるものがヨーロッパ中に流布し、プレスター・ジョンの使者が現れたという噂も広まっていく[4]。 1165年頃、東ローマ皇帝マヌエル1世コムネノスの元にプレスター・ジョンを差出人とする書簡が届けられる[9][17]。マヌエル1世の元に届けられた書簡にはアレクサンドロス3世の英雄譚や布教のためにインドへ赴いた聖トマスの伝承が組み込まれており、62の国を従えた「3つのインドの王」プレスター・ジョンと彼の王国の栄華、不老泉などの王国の自然、インドに住む様々な怪物が記されていた[18]。同様の手紙は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、教皇アレクサンデル3世、フランス王ルイ7世、ポルトガル王アフォンソ1世の元にも届けられ、吟遊詩人、放浪の楽士を介してプレスター・ジョン伝説はヨーロッパに広まった[9]。ラテン語による書簡の原文は1150年から1160年の間に作成されたと考えられており[12]、120以上存在する書簡の写本は様々な言語に訳されている[19]。写本作家によって記述は脚色され、版によってはアマゾン族、インドのバラモン、ゴグとマゴグ、イスラエルの十支族など様々なアジアの伝承が取り入れられている[20]。書簡の作者は判明しておらず、制作の意図も諸説ある[20]。当時の人々の願望を反映した理想郷、放浪の詩人が仲間を楽しませるために様々な逸話を組み合わせて作ったものなどが動機に挙げられ[20]、ネストリウス派のキリスト教徒によって作成されたとする意見もある[21]。歴史家レオナルド・オルスキーは神権政治の理想を説いたものだと解釈し、バーナード・ハミルトンは聖職者が世俗の支配者に服従する世界の有様を説こうとした神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が作成に関与したと考えた[20]。1220年ごろにバイエルンのヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハによって書かれた叙事詩『パルチヴァール』にはプレスター・ジョンの伝説も織り込まれ[22]、『東方旅行記』の著者として知られる14世紀のイギリスの騎士ジョン・マンデヴィルは書簡の写本を元にプレスター・ジョンの国の見聞録を書き上げた[23]。 イスラーム教徒との戦争が膠着する状況を反映して、まだ見ぬプレスター・ジョンへの期待はヨーロッパ諸国、十字軍内に広がっていく[6][5]。アレクサンデル3世はイスラーム勢力に対抗するため、1177年9月27日付けのインドのプレスター・ジョンに宛てた書簡を記し、医師のフィリップをプレスター・ジョンへの使者として送り出した[21][24]。アレクサンデル3世の書簡は以前に届けられたプレスター・ジョンの書簡の返信という形式をとっておらず、その内容にも触れられていない[21]。また、書簡の中でアレクサンデル3世は同盟の締結を提案しながらも、ローマ教会の正統性を主張していた。その後フィリップは消息を絶ち、彼が携えていた書簡の行方もまた判明していない[21]。ユダヤ人医師ジョシュア・ロルキが引用した学者マイモニデスの手紙では「キリスト教徒の領主プレステ・クアンの国に住むユダヤ人」について言及され[9]、1181年頃に編纂された『アドモント修道院年史』にはアルメニアにプレスター・ジョンの国が存在すると書かれていた[25]。 1219年のチンギス・カンのペルシア侵入後まもなく、キリスト教徒であるタルタリー王ダヴィドが東方のキリスト教徒の援護に向かうといった、恐らくはネストリウス派のキリスト教徒によって作り上げられた噂が広まった[26]。話の中ではチンギス・カンがイスラエル王の子でジョン王の孫にあたるダヴィデ王に擬せられており、中央アジア、ペルシアのイスラーム教徒に勝利を収め、シリア・エジプトのキリスト教徒の救援に向かっていると伝えられていた[26]。ダヴィデ王の治める中央アジアのキリスト教国こそがプレスター・ジョンの国ではないかと噂された[21]。1219年、キリスト教勢力の支配下にあるシリアの都市アッコの司教ジャック・ド・ヴィトリーは説教の中で、「二つのインドの王」ダヴィデがイスラーム教徒と戦うキリスト教徒の援軍として現れることを説いた[27]。1221年には、アッバース朝の首都バグダード近郊にダヴィデ王の率いる軍隊が現れた報告がキリスト教世界にもたらされる[28]。同年に実施された第5回十字軍に際して枢機卿ペラギウスと騎士修道会はこの噂を吹聴し、中東への新たな援軍の派遣を要請した[29][30]。 12世紀におおよその内容が形成されたプレスター・ジョンの伝説は、13世紀に入ると写本作家、アジアから帰還した旅行者の見聞録によってより誇張されていく[1]。プレスター・ジョンはヨーロッパ世界の探求心を刺激し、多くの探検家が派遣されたことでより現実に即したユーラシア大陸、アフリカ大陸の地図が作成されるようになる[31]。 アジアから帰還した旅行者の報告[編集]

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アーマードトルーパー – Wikipedia

アーマードトルーパー (Armored Trooper) は、テレビアニメ『装甲騎兵ボトムズ』およびその派生作品に登場する架空の人型ロボット兵器。関連作品を含め劇中では略称の「AT(エーティー)」と呼ばれ、予告編を除き「アーマードトルーパー」と呼ばれる場面はない。 いわゆるリアルロボットに分類される。4メートル前後の全高は、ボトムズと同じく高橋良輔による『ガサラキ』に登場するタクティカルアーマー、『FLAG』に登場するハーヴィックと並んで、密閉式コックピットに搭乗する方式としてはもっとも小型の部類に入る。 『太陽の牙ダグラム』のコンバットアーマーに続く、非常にミリタリーテイストの強いロボット兵器であるが、決定的に違うのはコンバットアーマーが頑強な決戦兵器である「人型戦車」「歩く攻撃ヘリ」のイメージであるのに対し、アーマードトルーパーは軽快な消耗品の「武装ジープ、またはテクニカル」「歩兵用強化服(というより単なる鎧)」というイメージが強い点である。 『ダグラム』以上に量産兵器風のデザインであり、実際に劇中でも徹底して「量産品」として描写されている。そのため、ガンダムのようなヒーロー性を持った主人公専用の機体は、一部例外を除いて登場しない。これは主人公であるキリコ・キュービィーがATをスクラップから再生したり、また破壊されたら躊躇なく乗り捨てていくという演出によって、ATがその物語世界できわめて一般的な存在であることを強調するもので、リアルロボット作品としての新しいイメージを打ち出していた。これより先行して放映されていた『超時空要塞マクロス』でも一般量産機であるVF-1 バルキリーが多数登場し、主人公の機体は小隊長タイプと指揮官タイプと設定されているが、主人公がその機体に乗っているあいだの同型機体は(少なくとも第一作テレビシリーズ作中では)登場しておらず、まだデザイン的にもヒーロー性を残しており、ボトムズほど徹底したものではなかった。また、バルキリーは量産機といっても技術力を投入した比較的高価な機体であり、むしろマクロス側の敵メカであるゼントラーディ軍の戦闘ポッドリガードのほうが、大量生産された超安価兵器として使い捨てにされるATのイメージに近い運用がなされている。実際、ボトムズでは第1話から同型機同士で戦い、しかもパイロットは顔の見えないヘルメットで皆同じ格好であるため、ほとんど声だけで識別するほかなかった(ただし一応、敵味方で塗装だけは区別させている)。また、クメン編では小隊内でキリコのみがドッグ系ATを使用しているなど一定の範囲で主人公を識別しやすくする手段が採られている。同型機が多いのには、ストーリーの構造上、敵対勢力のバララント側のATの出番が少ない事情もある。 しかし、ロボットアニメの宿命として、ストーリーの進行にしたがってベルゼルガ・ストライクドッグ・ラビドリードッグなど、量産機と一線を画するメインキャラクター専用ATが次々と登場、後発作品ではリアルロボットかどうかさえ疑わしい超高性能専用機まで登場する。 足裏のホイールを回転させ地面を滑走する「ローラーダッシュ」、パンチを火薬の爆発力で杭打ち機のように叩きつける「アームパンチ」、回転するターレット式三連カメラ(ターレットレンズ)、パイロットが乗降しやすいように脚部を変形させ全高を縮める「降着」などといったリアルというより動きのおもしろさを優先した非擬人的ギミックと、それらを画面上で徹底的に使いこなす演出と作画により、前作『ダグラム』でのメカ描写の失敗を払拭し、ATというメカのイメージを完成させている。監督の高橋良輔は三連カメラについて、後年のコメントで子供の頃に欲しかった顕微鏡からヒントを得たと語っている[1]。 作中の設定[編集] 開発の経緯[編集] アーマードトルーパーとは、百年戦争末期にギルガメス連邦の主星であるメルキアで開発された、全高4メートル前後の人型機動兵器の総称である。宇宙戦艦同士の艦隊決戦や惑星破壊ミサイルの応酬により双方の国力が疲弊、目的が有人惑星での資源争奪戦に移行したことによって開発された。 陸戦では戦車と機械化歩兵の役割を単体で担うことを期待されたが、平原など視界の開けた戦場での直立したATは、機体幅は小さいものの戦車より全高が1メートルほど大きく被発見率が高く、また戦車のほうが火力とその射程、装甲の点で有利であり、ATの採用後もその技術をフィードバックされて併用されている。人型であるATの長所は、市街地や山岳地で小回りが効き不整地走行能力の高い二足歩行システムと、マニピュレーターによる兵装選択システムによる多様性である。また足底にはコアレスモータのローラーや履帯が装着されており、平坦な場所ではこれを使った高速移動「ローラーダッシュ」が可能である。ロボットの滑走移動描写は歩行に比べアニメーション作画に手間が掛からないが、『装甲騎兵ボトムズ』のATのローラーダッシュは過度に乱用されることなく歩行と効果的に使い分けられており、機種、重量等級、所属陣営に応じて足音のSE音源が使い分けられてもいた。 機体構造[編集] 人間の頭と胸に相当する部分にコックピットがあり、パイロットは耐Gスーツ機能と真空中でも活動できる気密性を持った耐圧服を着用したうえ、外部視察・情報表示用の専用ゴーグルと酸素マスクを装着して搭乗する。これはATの構造簡易化により、一部機種を除きパイロット用生命維持装置はいっさい装備されていないためである。なおOVA『ペールゼン・ファイルズ』(PF)ではヒーター程度は備えられている描写がある。またテレビアニメ最終回の時代から32年後の『赫奕たる異端』では、2話で気密服なしのキリコが搭乗したスコープドッグが宇宙ステーションから真空の宇宙空間に出た際、普通に呼吸ができ空気も漏れていないことから、この時代では少なくとも多少の気密性はあるもよう。操縦装置は2本のスティックと2枚のペダルによるシンプルなものであるが、ボイスコマンドシステム(音声入力)とミッションディスク(基本動作の自動化)が採用されており、パイロットの負担を軽減している。ATH-14系を例外とすれば多くの機体には直接外部を見ることのできる窓がなく、ATの頭部にあるターレットレンズ(メインカメラ)からの映像と機体各部にあるセンサーの情報が、まとめてゴーグルに投影されるようになっている。なお劇中、ゴーグルのレンズは通常赤色であるが、パイロットがゴーグルのコネクターをコンソールに接続するとレンズが青緑色に変わるという描写がある。 パイロット搭乗時やパラシュート降下の着地時などには、脚部を変形させて胴体が前方に沈み込む独特の「降着形態」を取る。バララントATはギルガメスATと逆に胴体が後方に沈み込む体育座りポーズである。一部、降着機能がない機種も存在する。 ATには内燃機関は搭載されず、一種の人工筋肉であるマッスルシリンダーによって四肢を駆動するようになっている。これはポリマーリンゲル液(PR液、PRLとも)と呼ばれる液体に満たされており、アイドリング状態ではポンプによってシリンダー内を循環している。さらに駆動時には電気信号によって化学反応が発生、マッスルシリンダーが収縮する。ポリマーリンゲル液は気化性と引火性が高いために扱いが難しく、ATは少しの被弾でも引火・爆発しやすい。また、使用および経年によって劣化するため、一定周期での交換が必要である。交換の際には手持ちのジェリカンが用いられるなど、劇中での描写は普通の自動車用ガソリンと大差ない。 マッスルシリンダーという概念は、もともと『太陽の牙ダグラム』のコンバットアーマーの駆動系の裏設定として、『デュアルマガジン』誌上で創作されたもので、それが後番組である『ボトムズ』に流用されたという経緯がある。このため当初は非公式設定に過ぎなかったが、外伝OVA『機甲猟兵メロウリンク』の劇中で明言され公式設定となった。ただし『メロウリンク』劇中ではPL液という誤った略称で呼ばれている。いずれにせよ後付けの裏設定のため、テレビシリーズの劇中、ATの動力源に関する台詞では、単に「燃料は満タンだぜ」「エンジンを切れ」「エネルギー切れだ」などと語られるのみで、後年の『PF』でようやく具体的に描写された。 当初、ATは陸戦兵器として開発されたが、ラウンドムーバーと呼ばれる宇宙空間用機動ユニットや、ドッグキャリアーという突撃ブースターを装着することにより、宇宙戦闘機としても運用される。なおファッティーやスタンディングトータスMk-IIのように、背部にブースターを固定装備した宇宙専用型もある。だがコストが優先されたATは、コックピット周りの気密処理がなされておらず、生命維持をパイロットスーツに肩代わりさせているのが普通である。

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山岳救助隊 (消防) – Wikipedia

山岳救助隊(さんがくきゅうじょたい)とは、山岳における遭難者の救助(山岳救助)に当たる日本の消防レスキュー隊である。 御在所岳で滑落した山岳遭難者を救出する三重県の消防防災ヘリコプター 山岳遭難に際して出動する組織としては、他に全国の都道府県警察に組織されている山岳警備隊、消防団、地元山岳会、航空自衛隊の航空救難団や救難隊等が存在するが、消防の山岳救助隊も山の安全のためには欠かせない。 山岳救助隊は、全国の消防本部や消防署の中に設置される。ただし、設置はあくまでも当該自治体次第であり、東京消防庁に設置してある一方、山岳地帯を抱えている消防署でも設置されていないことも多く、山岳救助を行ってはいても隊名がないものもある。消防署によって、常設隊もあれば、遭難時のみの臨時編成にとどまる隊もあり、その実体は千差万別である。 ほとんどが特別救助隊(レスキュー隊)であり、普段は、通常のレスキュー業務を行う傍ら、地元山岳会の講習に出かけて山の特性を把握し、山火事の防止活動や、隊の中で救助トレーニングを重ね、山岳遭難の一報に備えている。自費で登山等の講習に参加する隊員も多い。 活動の際には、各都道府県や市町村の消防防災航空隊の消防防災ヘリコプター(場合によっては都道府県警察航空隊)の支援を受けて活動する。消防防災ヘリコプターから消防航空隊員が降下するのを山岳救助隊員が地上から支援したり、山岳救助隊員が消防防災ヘリコプターから降下する事もあるために航空隊との連携は欠かせない。 2014年の御嶽山噴火災害では高度救助隊と山岳救助隊を中心とする人選の緊急消防援助隊が派遣され、自衛隊などと共に多くの消防の山岳救助隊が活動した[1]。 東京消防庁山岳救助隊[編集] 青ワッペンが特別救助隊、白いワッペンが山岳救助隊 東京消防庁山岳救助隊の山岳救助車 東京都西部の山岳地帯を抱える東京消防庁では第九消防方面本部の4消防署に山岳救助隊が置かれている。八王子消防署の八王子特別救助隊、青梅消防署の青梅特別救助隊、秋川消防署の第2小隊(ポンプ隊)、奥多摩消防署の第1小隊(特別消火中隊)がそれぞれ兼務しており、山岳救助車や各山岳装備を保有している。活動に関しては東京消防庁航空隊の消防ヘリコプターと連携して救助活動に当たっている。 なお、東京消防庁の山岳救助隊はスイフトウォーターレスキュー(急流救助)にも対応している。これはレジャー客が中州に取り残された玄倉川水難事故を機転として急流救助(潜水を必要としない水面上の救助)に対応できる知識・技術を持ち、専門の資機材を装備している[2]。 2014年の長野県御嶽山噴火災害では第九消防方面本部消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)などと共に緊急消防援助隊として派遣され長野県の消防や他県緊急消防援助隊、自衛隊などと連携した捜索・救助活動に当たっている。 各自治体消防の山岳救助隊[編集] 山岳救助隊を配置する消防本部が増加し、浜松市消防局や静岡市消防局、姫路市消防局、阿蘇広域消防本部、秦野市消防本部、相模原市消防局、埼玉西部消防局、札幌市消防局などでは専用の山岳装備、林野火災工作車、災害多目的車を配置して、山岳救助を開始している。 多くの消防本部では通常は消防隊や特別救助隊等として活動しており山岳救助事案発生時に山岳救助隊として出場する。例として北九州市消防局では山岳救助用資機材を積載した専用消防車両を登山者が多く訪れる主要山岳地帯を管轄する消防署に配置され、林野火災や山岳救助の要請があれば特別救助隊など消防部隊で臨時編成され出動する[3]。 警察の山岳警備隊との関係[編集] 警察の山岳警備隊は、山岳地帯における治安維持、交通安全を主な目的とする組織である。山岳遭難の際の救助活動が最大の設置目的ではあるのだが、それ以外にも、登山道を歩いて危険な箇所を確認したり、入山届を受け付けたり、環境省や林野庁と協力して高山植物の無断採集を取り締まるなど、救助活動以外の活動も行っている。組織としては常設であり、県によっては山中の派出所に駐在する。 一方、消防の山岳救助隊は、山岳遭難に対応するのみの組織である。また、警察は都道府県ごとに設置されているために都道府県全てが活動範囲であるのに対し、消防は市町村ごとに設置されているために基本的に当該消防本部や消防署の管轄範囲にのみ出動する(ただし、要請により近傍派遣されることはありうる)。 とはいえ、山岳遭難の捜索救助活動には多くの人手が必要であるため、警察・消防・地元山岳会・自衛隊による協力体制が不可欠であり、警察と消防はよく協力して山岳救助に当たっている。遭難の一報は、110番に掛かってくる事もあれば119番に掛かってくる事もあるが、110番に掛かってくれば警察が動き、119番に掛かってくれば消防が動くという訳では無く、発生地域や気象、部隊配置を検討して、より適切と思われる部隊に出動命令が下り、その他の部隊も必要に応じて、次の命令に備え出動準備を行っている。

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新日本石油精製 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “新日本石油精製” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2012年8月) 新日本石油精製株式会社(しんにほんせきゆせいせい、英: Nippon Petroleum Refining Co., Ltd.)は、かつて存在した石油製品や石油化学製品の製造を行う企業である。新日本石油の精製子会社でもあった。 2010年7月1日に、JXホールディングス(現・ENEOSホールディングス)傘下である、同社と新日本石油・ジャパンエナジーの3社が合併・事業統合の上、JX日鉱日石エネルギー株式会社(現・ENEOS株式会社)となった。 製油所[編集] 製造所[編集] 新日本石油精製[編集] 東洋石油精製[編集]

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